→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2021.12.6] ■■■
[339]下巻17代天皇所収歌3首検討
17代の段は、16代とは打って変わって御製3首のみ。地名がママ詠み込まれ、なんの飾りも技法も使わず。それがかえって、暗殺を辛うじて逃れ感を与えていそう。
ただ、危機といっても、天皇は全く動じず、山で野営なら薦でも持ってくるのにといった調子。これはこれで、絵巻物的シーンとして通用しそうだ。
そのため、元の歌謡にはもっと色々な話があったのではないかと思わせるところがある。

   《上巻》@出雲・八尋和邇…7+2首 📖
   《中巻初代天皇段》…13首 📖
   《中巻10代天皇段》…1首 📖
   《中巻倭建命関連》…15首📖
   《中巻15代天皇段》…14首📖
   《下巻16代天皇段》…23首📖
   《下巻17代天皇》…3首
  <弟の、暗殺を狙った焼き討ちを喰らったが辛くも逃走>

---⑰伊邪本和氣命@伊波禮若櫻宮/履中天皇
[_76]【天皇】宮焼き討ちで焼殺寸前
    丹比野に 寝むと知りせば 立薦も 持ちて来ましもの 寝むと知りせば
[_77]【天皇】なんとか助かったことがわかった時
    埴生坂 吾が立ち見れば 陽炎の 燃ゆる家群 妻が家の辺り
[_78]【天皇】敗走逃亡中に乙女に道を尋ねた時
    大坂に 遇ふや乙女を 路問へば 直には乗らず 当麻路を乗る

3種の歌の内容からすれば、深酒で熟睡中の深夜に焼き討ちされ、臣の機転で避難することができ、敗走して行く様子が順に示された歌ということになる。地名を詠み込むことでルートにハイライトが当たるようになっている訳だ。その手の地名発祥譚は五万とある訳で。

字余りはあるものの、ほぼ五七五七七定型短歌であることも、頭に入り易い効果を生んでいるのは間違いなかろう。
 5[タジヒノに] 7[ねむとしりせば] 5[たつごもも]
   8[もちてこましもの] 七[ねむとしりせば)]
 5[ハニフザカ] 7[わがたちみれば] 5[かぎろひの]
   7[もゆるいへむら] 9[つまがいへのあたり]
 5[オホサカに] 7[あふやをとめを] 5[みちとへば]
   7[ただにはのらず] 7[タヂマジをのる]


和歌で表現することで、苦難の状況がより心に染みることになるのだろう。
上記はなんら特別な歌ではなく、この様な言い回しこそが、日本語語法の原点と見ることもできよう。主語が自明なら、絶対に表記しないのであり、"我が"の"が"は主語を示す格助詞ではないということ。

これに限らず、これらの歌は、日本語の特徴を十二分に示している。
倭語は「火、あの辺り。」で必要十分。主語-述語を省略しているのではなく、曖昧化しているのでもない。構造言語ではなく、話し手と聞き手の場ありきの言語だからだ。従って、環境や背景がはっきりしなくなる文字化記録は極めて難しい。
太安万侶は文書化に当たってその辺りを理解していたように思えるが、それを現代人が感じ取るのはことの他難しいかも。

地名の丸暗記と地図ありきの現代の感覚では、上記の歌を分析的に眺めることになってしまうからである。一般に、散文による説明の方がこの歌よりわかり易くて有り難いということでもある。

一方、地図なるものが存在せす、地勢全体を概念的に頭に入れるしかなかった時代だと、韻文で伝える方が圧倒的に嬉しく、すぐに頭に入った筈。そう考えれば、上記3首はよくできた作品と言えよう。
そして、この歌が感動を呼べば、その後、乙女峠と名付けられたり、大坂を逢う坂と呼ぶようになっておかしくない訳だ。

後世の聖徳太子の時代になると、ルードは寺の道である。📖 [私説]小治田宮への道間の角逐
"難波宮"⇒難波大⇒四天王寺⇒久宝寺/渋川廃寺⇒船橋廃寺/衣縫廃寺⇒【竜田峠】⇒斑鳩寺/中宮寺⇒額田寺⇒太子道⇒"小治田宮"(雷丘東側)
川の道であれば、
"難波宮"⇒河内湖⇒大和川(下流)⇒一時上陸【亀の瀬】⇒中流via浅船⇒支流(初瀬川)⇒海石榴市(湊)⇒阿倍山田道(via 山田寺)⇒"小治田宮"(雷丘東側)
17代が座すのは、伊波禮若櫻宮であるから、その地から見た全体観はかなり違っていておかしくない。📖枕詞「あまだむ」は"軽"専用
"難波宮"から山道を通って逃げ込んだのは、石上の地である。
┼┼┼┼下道
┼┼──┬─────石上
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼師木上道
当麻←┼─横道───□→海石榴長谷
┼┼┼┼┼┼┼伊波礼
┼┼┼┼←────┘山田道
歌の感覚からすれば以下の如くになろう。大和域の北端に逃げ込むことにした訳である。暗闇で船で出れば捕囚間違いなしであるし、丘陵突端の宮への陸路は敵兵部隊の侵入ルードだろうから、難波大道の抜け道を通って丹比道に入り一安心ということろで、天皇は目が覚めたようだ。ここらも絵になりそうなシーンであり、臣下の働きが歌謡化されていたと思うが、収録しても冗長になるだけ。暗殺寸前だったと聞かされ、オヤオヤといったところであるが、宮が燃え、皇后勢力の地も同様であることを望見して、本気にどうするか考え反撃体制を整えるために早く拠点に入らねば、というところ。・・・
難波宮
│難波大道┼┼┼┼┼┼┼┼┼北横道
┼┼┼┼┌─龍田道─┼┼┼石上神宮
┼┼┼┼┼┼┼┼┼││││
埴生坂┌┤大坂道下中上│山辺道
└──△┤└──┐┼┼道道道│
丹比道└〓──┴──┼┼┴┴横大道
┼┼┼┼┼当麻道●伊波禮若櫻宮
┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼

 (C) 2021 RandDManagement.com  →HOME