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■■■ 「古事記」解釈 [2021.12.8] ■■■
[341]下巻21代天皇段所収歌14首検討
21代の歌については、極めて書きにくいところがある。婚姻に政治的背景があると考えるのは常識だが、それよりは、性的睦み合いの欲望あらわな天皇として描いているようにも思えるからである。
   《上巻》@出雲・八尋和邇…7+2首 📖
   《中巻初代天皇段》…13首 📖
   《中巻10代天皇段》…1首 📖
   《中巻倭建命関連》…15首 📖
   《中巻15代天皇段》…14首 📖
   《下巻16代天皇段》…23首 📖
   《下巻17代天皇》…3首 📖
   《下巻軽王・軽大郎》…12首 📖
   《下巻21代天皇段》…14首
<睦み合いたと直接的に心情吐露>…1首
<睦み合う約束忘却の彼方 そこに老婆突然訪問>…6首
<木に登って一言主からの難を脱した>…1首
<@新嘗祭酒宴
  粗相し斬殺寸前の采女、皇后、妃による寿ぎ>…
6首
上記のような表題だと、余り性的な雰囲気は感じられないが、記載は露わな表現ではないものの、そこらを思わせるように工夫されていそう。
おそらく、元の歌謡は、そのような男女関係を面白おかしく語るものだったのだろう。当然ながら、人気話だったろう。「古事記」はそのなかから、比較的あたりさわりない歌を収録したのでは。一般的には、魅力的な天皇イメージが強かったのではないかと思うが、儒教的には天子らしからぬ所業ばかり、という評価が下されることになる。宗族の永遠の繁栄を全く考えず、男系の絶対性とは無縁な態度であり、ただただ性的奔放な生活を送っており、言語道断な天皇になる訳で。

マ、歌の読み方がわかっているとは言いかねるから、解釈は人それぞれ。従って、儒者が歌からそう感じ取っているかも、ナントモ言えないので、そこらはご注意あれ。

例えば、上記の最終御製だが、枕詞"水灌ぐ"は意味知れずだし、主題は"秀瓶"となるが、酒宴の歌とはいえ、余りに唐突。前段から意味が全く繋がっていない。

しかし、享楽的な内容と考えれば、徳利を堅く握れと、袁杼比売に求愛していると読むこともできる。次が、それに応じるとの返歌とも思えてくる訳で。

そうとでも考えないと、袁杼比売への歌での "鋤き撥る"の意味がさっぱりわからないからでもある。
ただ、この辺りは、古代の用語を知らない素人が、現代語彙の意味で読んだに過ぎない。そうは読めない理由があってもおかしくないので、ここらはナントモ言い難しだ。
小生としては、<禁断の情事悲恋物語>に続く歌であるから、そんなところかも知れないと思ったが、ハズレの可能性も高かろう。
---㉑大長谷若健命@長谷朝倉宮/雄略天皇
[_91]【天皇】皇后との結婚
    日下辺の 此方の山と 畳薦 平群の山の 此方ごちの 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫 本には い組み竹生ひ 末方には た繁竹生ひ い組み竹 い組み宿ず た繁竹 確には率宿ず 後も組み宿む 其の思ひ妻 憐れ
[_92]【天皇】志都歌婚姻の約束を忘れたままだった
    三諸の 厳橿が本 橿が本 由々しきかも 橿原乙女
[_93]【天皇】志都歌若かりし頃睦合えばよかった、と
[_94] ├【赤猪子】志都歌待たされ続けた、と
[_95]└【赤猪子】志都歌日下の皇后に入り浸りで忘れられた、と
    引田の 若栗栖原 若くへに ゐ寝て坐しもの 老いにけるかも
    ↓
    見諸に 築くや玉垣 築き余し 誰にかも依らむ 神の宮人
    ↓
    日下江の 入り江の蓮(はちす) 花蓮(はなばちす) 身の盛り人 乏(とも)しきろかも
[_96]【天皇】吉野で童女を見初める
    胡坐居(あぐらゐ)の 神の御手もち 弾く琴に 舞する嬢子(をみな) 常世にもかも
[_97]【天皇】吉野行幸時の蜻蛉島寿ぎ
    三吉野(みえしの)の 小室岳(をむろがたけ)に 鹿猪(しし)伏すと 誰(たれ)そ 大前(おほまへ)に白(まを)す やすみしし 吾が大王(おほきみ)の 鹿猪待つと 胡坐(あぐら)に坐(いま)し 白妙(しろたへ)の 袖着(き)装束(そな)ふ 手脛(たこむら)に 虻(あむ)齧(か)きつき 其の虻を 蜻蛉(あきづ)早咋ひ 斯(か)くの如(ごと) 何に負はむと そらみつ 倭(やまと)の国を 秋津洲(あきづしま)と云(ふ)
[_98]【雄略天皇】猪に襲われ木の上に逃げた
    八隅知し 我が大王の 遊ばしし宍(しし)の 病み宍の うたき畏こみ 我が逃げ登りし 在峯(ありを)の 榛(はり)の木の枝
[_99]【雄略天皇】袁杼比売に求婚
    少女の い隠るを 金鋤も 五百箇もがも 鋤き撥(ば)るもの
[100]【三重の采女】粗相で殺される寸前
    纏向の日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の日翔ける宮 竹の根の根足る宮 木の根の 根延ふ宮 八百によし斎の宮 真木さく日の御門 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る槻が枝は 上枝は天を覆へり 中枝は 吾妻を覆へり 下枝は鄙を覆へり 上枝の枝の裏葉は 中枝に 落ち触らばへ 中枝の枝の 下つ枝に落ち触らばへ 下枝の 枝の裏葉は あり衣の三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ち足沾ひ 水こをろこをろに 来しも 綾に恐し 高光る 日の皇子 事の 語り事も 此をば
[101]【大后】三重の采女に仕切り直しを勧める
    倭の 此の高市に 小高る 市の司 新嘗屋に 覆ひ樹(た)てる 葉広(びろ) 斎(ゆ)つ真椿 其が葉の 広り座(いま)し 其の花の 照り座す 高光る 日の皇子に 響(とよ)みて 奉らせ 事の 語り事も 此をば
[102]【天皇】天語歌酒宴では享楽三昧でよし、と
    百礒城の 大宮人は 鶉鳥 領巾取り懸けて 鶺鴒 尾行き和へ 庭雀 髻華住まり居て 今日もかも 酒御付くらし 高光る 日の宮人 事の 語り事も 此をば
[103]【天皇】浮歌続く求愛
[104] └【袁杼比売】静歌応じる、と
    水注く 臣の少女 秀樽取らすも 秀樽取り 堅く取らせ 下堅く 弥堅く取らせ 秀樽取らす子
    ↓
    八隅知し 我が大王の 朝処には い拠り立たし 夕処には い拠り立たす 脇几が下の 板にもが 吾兄を

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