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■■■ 古代の都 [2018.11.9] ■■■
[時代区分:6] 26〜32代総ざらい

在位37年間にのぼる33代が収載の最後だが、ここからは律令国家体制に入るので《飛鳥時代》。
そこでの一番のハイライトは608年に隋から答礼使を迎えたことではないかと思うが、「古事記」には外交関係については何の記載もない。(「隋書」卷八十一 列傳第四十六 東夷 國)

前《飛鳥時代》にあたる26〜32代は一括して考えてもよかろう。ネーミングとしては26代の伊波禮玉穂宮の所在地"伊波禮"がよさげだが、現代の地理的感覚に合わないので"桜井"にしてみた。宮地すべてが桜井近辺ではないが。

《桜井時代》

 [26]伊波禮玉穂宮@桜井
 [27]勾金箸宮@橿原 曲川
 [28]廬入野宮@明日香
 [29]師木島大宮@桜井
 [30]他田宮@桜井
 [31]池邊宮@桜井
 [32]倉橋柴垣宮@桜井
  ここからは《飛鳥時代》。
 [33]小治田宮@明日香…ここで「古事記」了

脱大型前方後円墳的な風情を感じさせる南河内 科長での御陵の天皇期を分けたかったが、御陵が無記載の天皇があるので止めた。伝承皆無の訳もなく、無記載には意味がありそうだ。
 [26]三島之藍御陵
 [27]河内古市高屋村@古市
 [28]無記載
 [29]無記載
 [30]川内科長
 [31]石寸掖上⇒科長中稜
 [32]倉椅岡上
  ここからは《飛鳥時代》。
 [33]大野岡上⇒科長大稜…ここで「古事記」了

この期の特徴は、桜井を中心にして南北街道と東西街道のヒト、モノ、情報の流れが確立したということ。街道西端は瀬戸海につながり、北端は日本海。東は伊勢湾に入るが、東日本への流れの主流は琵琶湖から伊勢湾だと思う。
26代は近淡海から奈良盆地へと上って即位したとあるから、琵琶湖地域に縁ありそう。交通の要衝の勢力をバックボーンにしていたのだろう。
これだけのことならたいしたことではなさそうに映るが、明治維新に匹敵するような転換が生まれた切欠ここにあり、と見ることもできそう。(攘夷を掲げた単なるクーデターだったが、権力を奪取すると経済の中心地東京に宮を移し、一気に方針転換して開国。)
御陵も、伝統に縛られぬ、淀川に通じる地に設定されており、その感を強める。巨大な海軍を擁する必要性を考えれば淀川系の港湾基地は必須であり、それらの守護役になるとの決意を示したということだろう。

《桜井時代》の前の《初瀬川時代》[20〜25代]は血みどろの皇位継承闘争が繰り広げられた時代である。いかにも霊的雰囲気を与える宮地だが、瀬戸海と日本海への陸路交通ルートを差配するのに便利な地だからこそ選ばれたとも言え、それがついにあからさまになったということでもあろう。
交通量は鰻登りで経済は絶好調だったろうから、2つの時代は連続的であるが、奈良盆地内の権力闘争には疎そうな天皇を即位することになったということで、分けざるを得ない。
表面的には、それは皇位継承の抗争史ということでの時代区分になりかねないが、その背後の大転換を見逃してはならない。だからこそ、「古事記」は淡々と即位と御子の系譜のもを伝えているのだと思う。
つまり、26代が、空位状況をチャンスと見て地方から中央に登場してきた訳ではなく、国際的視点を欠く奈良盆地内勢力が政権を失ったに過ぎないと看破している訳だ。このことは、26代は地方勢力というより、実質的に日本の外交代表的役割を担っていた可能性さえあることになろう。
国家といっても、隋のような文書管理された官僚組織がある訳ではないし、国際派知的エリート(僧侶)も皆無だった。権謀術数と軍事采配に長けている国内派とは違って、国際派は実務家が多かった筈で、琵琶湖近辺に居を構えている可能性は高かろう。そこは、近江が海外・国内の十字路的位置だからだ。

この頃、東日本経済が急速に発展していたということでもある。今迄、経済圏の"終はり"(尾張)の役割が、東夷の侵入を防ぐ剣だったのが、新興大経済圏の入口と化したのである。尾張勢力は全力で26代を支えたに違いない。熱田を拠点化したのは倭"猛"だったが、日本"建"がついに皇位についたとも言えそう。

海外とのヒト・モノ・情報は、日本海ルートから琵琶湖に入りそこから尾張へと繋がっていたということ。

重要拠点()は「古事記」記載の系譜から一目瞭然。
 日本海(港):筑紫、三国(越前 坂井@九頭竜川)
 琵琶湖(港):近江 坂田(琵琶湖東岸)と近江 高嶋 三尾(琵琶湖西岸)
 東海道:尾張 熱田

日本海■■■■■■■■■■■■■■■■■■
┼┼┼若狭敦賀┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼└─┤┼┼┌──東山道
┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┌┘
┼┼┼┼┼┼┼琵琶湖
┼┼┼┼┼大津├─┴─┐
淀川┼┼┼┼┼┼┼┼
┌────┬┴─┘┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼
難波┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├────東海道
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼伊勢湾
(水運:琵琶湖⇒瀬田川⇒宇治川⇒木津川…奈良盆地の北丘陵北麓)

┼┼┼┼┼┼┼《奈良盆地》
┼┼┼┼┼
┌─────
┼┼┼
┼┼┼▲▲
┼┼┼└──初瀬川
└─────◎───※↑至: 伊勢湾
┼┼┼┼
┼┼┼┼┼
↑ この当時の大和川は現在の河内を走り、河口は淀川(大川)近隣と推測されている。河内湾⇒河内潟⇒河内湖⇒内陸という変遷があったのは確実だが、当時、どの程度かははっきりしていない。海流上砂洲はできやすい場所だし、洪水による堆積土砂も半端ではないので、初代天皇譚で取り上げられているように、水先案内人無しには大型船は入りにくい地域だったのは間違いない。

このような見方が当たっているとすれば、事績を欠くのも当然といえそう。神権政治史の叙事詩の対象として描こうと思ったら、えらく魅力の薄い天皇だからだ。

「古事記」は、同様に、この時期に力をつけたと暗記させられる蘇我氏についても、系譜に稻目が"宿禰大臣"と要職にあったことと、皇位継承者を輩出させた妃の家督だったことをし示しているだけ。それ以上、なにも語ろうとはしない。

奈良盆地を、横肥りにして、歴史区分が分かり易いように概念的に描くとこうなる訳である。・・・

┼┼┼┼┼┼↓佐紀└─┘(木津川)
┌淀川┘┼┼┼▲▲▲▲▲▲
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼春日山
┼┼生駒山┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
高安山┼┼┼┼┼┼┼(←和爾/櫟井/柿本)
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
大和川─┼┼┼┼┼┼┼←石上
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼←柳本
二上山┼┼┼┼┼┼┼┼巻向山
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼三輪山
┼┼┼┼┼┼┼┼┼▲▲▲←桜井
葛城山┼┼┼┼┼┼┼ └─初瀬川─
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼▲▲▲
┼┼┼┼▲▲▲
金剛山巨勢山
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼多武峰
┼┼┼▲▲▲┼┼┼↑飛鳥
吉野川───────────

ということで、"有史"歴史区分はこうなる。・・・
  【プレ古代(神権政治)】
葛城〜金剛〜巨勢時代 [→]
山の辺の道三輪山〜巻向山〜柳本時代 [→]
筑紫本営時代 [→]
摂津〜河内〜和泉時代 [→]
初瀬川時代 [→]
桜井時代
  【古代(律令国家)】
飛鳥の時代(仏教伝来)
奈良の時代
 藤原京(白鳳)
 平城京(天平)
平安京の時代
 大内裏(遣唐)
 摂関邸(国風)
 北面(院政)
  【中世(中央集権国家)】
 福原京(平清盛)
鎌倉の時代
室町の時代
 京都北山 v.s. 吉野(南北朝)
 京都東山(戦国)
  【近世[封建制権力分散国家]】
安土城の時代(織田)
桃山/大阪城の時代(豊臣)
江戸の時代(徳川)
 江戸屋敷+出島(初期:参勤交代+鎖国)
 上方商家(中期:元禄文化)
 江戸町方地(後期:改革)
  【近代[市民国家]】
 (幕末期:薩長)
東京宮城の時代
  【現代[第二次世界大戦後の秩序]】
第一生命館の時代(GHQ)
永田町の時代
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