→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.8] ■■■ [7] 序文要約部冒頭は解題的 📖國生みは実は分かり易い 📖阿波は麻の国ではなく粟時代の雄 📖地方「風土記」には阿波国関連話 📖中華帝国が倭国=ヰ国を認定 📖辰砂生産能力が覇権獲得の鍵 📖「大八島國」の成立史 📖「日本書紀」の国生みは単 📖「国生み」の前段こそ真骨頂 言い方は適切ではないが、これらの中身については実はどうでもよい。 重要なのは、「古事記」には、太安万侶が見た世界が描かれており、広い視野を感じさせる作品に仕上がっているという点。それをどう読むかは、はっきり言って、読む方の好き勝手。 換言すれば、思想・信仰や政治的信条を吐露するとか、主張を入れ込む意図で書かれてはいないと見たのである。 序文に記載されている目的がどうあれ、又、勅があろうとなかろうと、これほどの大部の著作を完成させるには、ヒト(質の高いサポート役)+モノ(書籍へのアクセス)+カネ(パトロン)は不可欠だから、実は、成立経緯自体はそう気に留める問題ではない。たまたま得られた大チャンスを利用して、太安万侶が企画した書と考えるからである。 つまり、「今昔物語集」の編纂者や、唐代の奇書「酉陽雑俎」の著者 段成式と同じような姿勢で作り上げたと想定したのである。どの書も基本的には引用集。自分の見解を述べるための書ではない。しかし、題材が多岐にわたるので、何をどのように収載するかを示すことで、様々なモノの見方を提起することができる。自分の見方を主張をしたいのではなく、冷静に眺めるとこういう具合になるが、読者はコレをどう考えるかネ、と問題提起する書ということ。 このような類書はほとんど無いのでは。 条件が揃わない限りできることではないからだ。 当たり前だが、この書での問いかけが権力構造を揺るがしかねないと判断されでもしたら、即刻、政治的に抹消されかねないから、"綱渡り"テクニックは不可欠となる。 そのような工夫がこらされていると見て読む必要があるということでもある。 当然、削除・改訂や潤色的な部分があっておかしくないが、それは、公的史書に於ける作為とは性格が違う。そちらは、有能な官僚達が政権の権威を高めるべく叡智をふり絞って作るものだからだ。 「古事記」が、そのような書とすれば、じっくり全体を眺めると、様々な問題が読み取れる筈だ。 前置きが長くなったが、こうした見方で序文を読むべし、というのが小生の考え方。 序文は<要約>、<成書の由縁と経緯>、<記述様式(凡例)>からなるが、ここでは、そのうちの<要約>の冒頭を取り上げよう。 "国生み"本文を踏まえて読むと、太安万侶の立場と言うか、インテリの苦闘が見えてくる気がするからだ。 (本文すべてを読んだ上で序文を読むことをお勧めする。) ⓪ 序文はご挨拶から始まる。 臣安萬侶言 太安万侶は「多氏古事記」の家柄の出自であり、本来の名前は多安万侶だが、「多⇔太」としたようだ。本貫地は、多神社/多坐弥志理都比古神社@磯城田原本[御祭神:神八井耳命…神倭磐余彦尊/神武天皇皇子,神沼河耳命/綏靖天皇兄]の地と考えられている。 考えてみれば、この名称変更は意味深。八百万神信仰から、仏教との習合の道ではなく、太一神信仰へと流れて行ったことを示しているようにも思えてくるからだ。 ① 余計な文言無しに、すぐに、本文の要約に入る。ここで先ず驚かされる。 本文の冒頭部は極めて簡潔な文章なのに、序文はクドクドと解説。しかも、"天地"を儒教で用いる"乾坤"に変え、"高天原”という名称には言及しない。さらに、"氣'という概念を持ち出す。古代日本にあったとは思えないが。(それこそ、道教類書 張君房[撰]:「雲笈七籤」1020年頃をテキストとして読んでいる錯覚に陥りかねないほど。) この部分"解題"と言ってよいだろう。しかし、その説得力は極めて弱い。天地出現から記述が始まっているのに、それ以前のことが読み取れるという書き方だからだ。 天地初發之時 於高天原 ⏬ 夫 混元既凝 氣象未效 …混元=混沌之前,元気之始 無名無爲 誰知其形 …無名 無爲@老子:「道コ經」 然 乾坤初分 …乾☰=天 坤☷=地 この文意なら、「日本書紀」の、"陰陽"を持ち出した本文の方が近い印象を与える。しかし、もちろん、それとも違うのである。 ⏫「日本書紀」 古天地未剖,陰陽不分,渾沌如鷄子,溟A而含牙。 及其清陽者薄靡而爲天,重濁者淹滯而爲地,精妙之合搏易,重濁之凝竭難。 故天先成而地後定。 ② ここで3神登場。道教的な創造主との"解釈"がなされる。しかし、本文上では、現れた後に隠れてしまうだけで、何も為さぬ神々である。神の名称に"產巢"が入っているので、産み育てる役割がありそうとのイメージはあるものの。 成~名❶天之御中主~ 次❷高御產巢日~ 次❸~產巢日~ 【此三柱~者並獨~成坐而隱身也】 ⏬ 參~作造化之首 …造化=自然界的創造者 知識人なら、オイ、オイ、そりゃ無いだろうとなりかねない一文である。 ①からの続きで3神となっているなら、それは三皇(天・地・人)を意味するのが通り相場だからだ。(元始天王+天皇+地皇と言う事か。)つまり、太安万侶はそのように解釈すべしと論を張ったに等しかろう。仏教の習合が成り立つなら、道教の習合も成り立つのですゾと言うかのよう。 そうなると、ペア神の概念は、"伏羲+女娲"に基づくということか。 ③ 5柱の別天神は上記3神だけ紹介して終了。葦の芽が伸びるように登場するという、いかにも河湖的な環境出自を示唆していそうな、独特なモチーフの神を取り上げる気はなかったのである。道教にそのようなコンセプトがあるとも思えないから、道教的論旨を繰り広げるつもりなら、無視するしか手はなかろう。 次國稚如浮脂 而久羅下那州多陀用幣流之時 如葦牙因萌騰之物 而成~名❹宇摩志阿斯訶備比古遲~ 次❺天之常立~ 【二柱~亦獨~成坐而隱身也】 【上件五柱~者別天~】 ⏬ 捨象 ④ 以上、公的史書の方針に合わせるため、"乾坤"とか"造化"という用語を用いて、解題的に本文を記載しているかのように見える。そんな方針なら、ここで國之常立~を登場させてしかるべき。ところが無視。 次成~名㊕國之常立~ 次㊕豐雲上野~ 【此二柱~亦獨~成坐而隱身也】 ⏬ 捨象 ⑤ この辺りの神々は大胆に捨象されてしまい、造化3神の次には、一気に伊邪那岐~と伊邪那美~が登場してくる。これは要約ですから、という理屈なのだろう。 ペアの神が5代続く点については全く触れず、天地開闢後、日本国を創出する男女の祖神が現れるとの説明にしたのである。 次成~名❶宇比地邇上~ 次妹須比智邇去~ 次❷角杙~ 次妹活杙~ 次❸意富斗能地~ 次妹大斗乃辨~ 次❹於母陀流~ 次妹阿夜上志古泥~ 次❺❶伊邪那岐~ 次妹❷伊邪那美~ 【上件自國之常立~以下伊邪那美~以前幷稱~世七代 [上二柱獨~各云一代 次雙十~各合二~云一代也]】 ⏬ 陰陽斯開 …陰陽=古代中国二元論觀念@老子:「道コ經」 二靈爲群品之祖 伊邪那岐~・伊邪那美~は名前も記載されないが、地上に降りた2靈が万物を揃えていく"国生み""神生み"が"爲群品"の一言で記述されている。史書的には、どちらも形式的に記述すれば十分というところだろうから、そのセンスでの要約と見てよいだろう。 と言うより、一般論的に万物が次々と生まれて行く様子が描かれているパートとして説明している訳だ。つまり、「日本書紀」のこのパートから歴史を読み取ろうとしない方がよい、と注意を喚起しているとも言えよう。「日本書紀」編纂者達は、"国生み""神生み"のパートにはさして関心がなく、ここはコンパクトな記述で済ませ、早く、次のパートへ移りたいと考えたに違いないからだ。 ⑥ そこで、いよいよ天照大神登場だが、サラリとしたもの。 所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 ~祇呈於滌身 ここでの"日月"は天照大神・月読命だろうし、"~祇"とは、どう見ても一般用語ではなく、天照大神・速須佐之男命を指している。 要するに、ここまでの①〜⑥とは、要約と言うのではなく、<無⇒混元(氣)⇒混沌⇒天地開闢⇒造化3神⇒伊邪那岐~・伊邪那美~の万物創出⇒天照大神・月読命・速須佐之男命>という流れを道教的に書いただけ。史書の序とみなすなら、天照大神の話の前置き的役割の文ということになろう。 道教的宗教観が組み込まれているので、さらに一文が駄目押し的に付け加えられることになる。・・・ ⑦ "国生み""神生み"の意味を教義に基づいて理解するように、との仰せ。 故 太素杳冥 因本教 而識 孕土產嶋之時 元始綿邈 頼先聖 而察 生~立人之世 と言うことで、 太古の昔は暗くて朧げであるが もともとの教義に基づけば 国土を生み、嶋を産んだ頃のことを認識できる。 原始の時は朦朧としてはいるものの 古き時代の聖人の言葉を頼ることによって、 神々が生まれ、人が出現した世の状況も察することができる。 神祇には経典は無いし、神の御言葉はママ理解可能な"教え"ではない。そうなると、このまとめは、道教経典を学べば、日本のいにしえの状況も理解できる、と言っているように映る。 太安万侶は道教信仰者とは限らないが、このような主張はおかしなことではない。 日本列島を造った伊邪那岐~+伊邪那美~の前に、4組ものペア神が國之常立~が切り開いた地平に存在する以上、日本列島外の國生みが行われ、その最後として日本列島が生まれたとせざるを得ないからだ。中国の神話は消滅させられてしまったが、それを引き継ぐのが道教だから、その教えを知らなければ"国生み"より前の話は理解できまい、との論理は筋が通っている。 📖神道視点での道教考(宇宙創成) (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |