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■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.31] ■■■
[647]倭の五七調は漢詩より古層
思考方法という観点で、極めて重要と考えるので、ここで一言。・・・

漢字は、品詞が自明でない上に、倭語の助詞や活用語尾に当たる文字が皆無だから、倭語の文字表記化には向いていない。しかしながら、律令国家の公式文書を漢語表記と決めた以上、漢字で倭語を表記する以外に手はなくなるので、太安万侶もえらく苦労したに違いない。(母音-子音の表音文字[梵語]を使うことも可能だったが、中華帝国ではこの表記文字の書は焚書化された。)お蔭で、「古事記」読者はどう読んでよいのか解らず悩まされることになる訳だ。

ただ、歌については、漢字を50音的な音素文字として使用しているので、句の分け方は一意的に決まらないものの、音の数はわかる。そこから推測するに、古くから五七調の歌体が基本だったと見てよさそう。その辺りについては、バラバラではあるが、少しづつ書いて来たつもり。・・・📖歌と舞踏・奏楽の分離 📖五七定型歌への道 📖五七調の意味再考(続)
つまり、以下の様な変遷を想定している訳である。📖歌体ルールが想像できる
【俳句】       (5-7-5)
 ↑
【和歌】       (5-7-5)-(7-7)
 ↑
【標準的文字表記倭歌】(5-7)-(5-7)-7
   …1句5/7文字
 ↑
【標準規格口誦倭歌】 (短-長)-(短-長)-長
 ↑
【原初口誦倭歌】   (短-長)フレーズ複数-(長)コーダ
   …1句4拍子(短長の違いは休符有無)

上記の流れ自体はどうでもよく、文字化によって、現代人に分かり易い五七調という形式が生まれたという点が重要。しかし、こうした見方は一般的ではなさそうで、「古事記」には五七調以外も混じっており、そこらが古代の歌の雰囲気を感じさせると考えることになっている。・・・小生はそんなことなどあり得ぬと見る。

例えば、下記の表記言葉を、口誦叙事として表現するとどうなるか。
  阿那邇夜志あやによし 袁登古袁をとこを 📖[歌前駆]

この言葉は、五十音という観念が無い段階で生まれたもの。にもかかわらず、五七調を感じることなどできるものだろうか。・・・根本的な疑問である。
それに、現代感覚としても、五十音の羅列として平板的に棒読みするとは思えないし。
  |||
もちろん、その様な棒読み朗詠を"公的"に目指す流れはあってしかるべき。公語を漢語とする以上、中華帝国の漢詩を"正式"に吟ずることになるのだから、歌もそれに倣おうとの動きを避けることはできまい。それが倭国に於ける文字社会化そのものなのだから。
従って、和歌の五七調を味わうとは、名目的にはこのような棒読みでの鑑賞を意味する。しかしながら、自由に詠むと、句の境で息継ぎをするものの、棒読みリズムからは大きく外れてしまうのでは。
  ||𝄽|||
・・・この言葉は歌とはされておらず、男女間の掛け合い話語であり、本来は五七調を云々する対象ではない。つまり、1文字1音表記されているという歌表記の原則の適用外ということになり、五四調でなく、五七調で詠むことも可能。
  |||


一般に、無文字社会の歌には必ずと言ってよいほど特別なリズムが設定されており、それから外れることは滅多になさそう。ところが、そのリズムは、三々七拍子のような決まり事とは違っているので、文字社会の眼からみると、ルールが無いように見えたりする。しかも、残存歌には、後世の影響もあるので、分析的検討で古代のルール想定は極めて難しい。
とは言え、少なくとも、棒読みではない筈だし、50音的な感覚での文字数詠みはなされていなかったと考えるのが自然だろう。ここらを踏まえて、五七調の意味を考えるべきだと思う。

・・・「古事記」歌は国史や歌集とは根本的に違っており、独立歌ではなく、叙事に組み込まれて一体化している点を忘れるべきではなかろう。しかも、叙事歌謡は原則的には"樂"が伴うとしたら、5拍と7拍のリズムが乱れてしまう表現は異様と言わざるを得まい。
自然体で音楽を奏でるなら、普通に考えれば、スピードの緩急は多発するものの、拍子自体は一貫していないと、奏楽は難しいからだ。従って、極く僅かの例外を除いて4拍子が採用されている可能性が高いのでは。

つまり、漢詩であっても、七言句にはその根源というか、古層精神には4拍子が存在していると見なすことになる。
  |(𝄽) 𝅗𝅥 |・・・
  |(𝄽) 𝅗𝅥 | 📖愛情と哀情の違い
五言は言うまでもない。
  |共入夕陽 𝄽 |因窺甘露 𝄽 |・・・ 📖お寺サロンでの詩作-II

このように考えれば、上記の"阿那邇夜志 袁登古袁"は以下のようなリズム感と言えそう。・・・
  |あやよし 𝄽 |をと 𝅗𝅥 |
  |あやよし 𝄽|うつをと|

例えば、(5-7)-8は、文字表記では字余りになるが、リズムとしては規定形式に当て嵌まっている"完成形"ということ。 📖[歌8]
  阿加陀麻波あかだまは 袁佐閇比迦禮杼をさへひかれど
  斯良多麻能しらたまの 岐美何余曾比斯きみがよそひし 多布斗久阿理祁理たふとくありけり
  |あかだま𝄽 |さへひか|
  |しらたま𝄽 |きみよそ|たふとくありけり|

上記の場合5音句とは、2節(合計4音)句に助詞1音の3節からなる。活用語尾1音1節を付けた2節(合計4音)句のこともあろうが、どちらも同じ形式と考えることができよう。📖[付録]5音とは"3節+息休め"形式か2節が4音で無い場合、字余り字足らずになるが、1拍を<1音符♩><2連符♫><3連符♬♪>にしているだけ。(コレ恣意的に書いているのではなく、語彙のまとまりがわかるように発音するのは当然と考えるから。棒読みで語彙が想像できるとは思えない。日本語の単語の語幹は2か3音が多く、時に1音。助詞や活用語尾は、1音か2音。話語はこの切れ目がわかるようなリズムになるのが自然。)
このような連符的詠みこそが、倭語のリズム感では。文字読みのリズム感に捉われていると理解しにくいかも知れぬが。(口誦形式としては、五七五七七より四七五七八の方が落ち着いたリズム感になる。これを古代の代表的歌体とみなすのも手。)
  |そら𝄽 |♬♪やまとくに|
  |あま𝄽 |かるをと|
  |つぎねふ𝄽 |やましろがは|
  |あしひき𝄽 |・・・
  |♬♪こもり𝄽 |・・・

こんな風に考えていると、漢詩も、無文字時代はもともとはこのようなリズム感だったが、文字化を経ることで、五言・七言に進んだのではないかとも思えてくる。
文字化された漢詩の基本はあくまでも対句であり、一言 二言 三言 四言 六言 の漢詩があっても実は驚きではないし。📖一七言対句釈詩[「酉陽雑俎」の面白さ]

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