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■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.23] ■■■
[669c]本文のプレ道教性[10]「死」の2面性(続)
❿🅒   【📖続き】

さて、<死>についての観念の話で長くなってしまったが、避けていたのが<常世>である。
およそ一般概念から程遠い語彙とされると、異界を意味する固有名詞だろうとならざるを得ない。しかし、他の名称とは違って統治する神も居るのか居ないのかもわからないし、地理感覚あるいは宇宙的に、どの辺りに存在するのかの情報は皆無。しかし、用例から見て、<死>に関係しているだろうとはなる。それ以上、何もわからない。
決定的なのは、この地だけが、視覚的にその世界を暗示する記載が皆無な点。読者の勝手なイメージで設定しろといわんばかり。従って、「古事記」解説者は自由自在に位置付けすることができる。これでは、議論御無用の世界である。

小生は、この曖昧さこそ太安万侶の狙ったもの、と見る。

倭国には、老子を宗族祖とする天子独裁国唐が定めた国教で、明らかに新興宗教でしかない「道教」など不要であるとわかるように伝えたということ。(忘れてはこまるが、序文記載から見て、対象読者は教育レベルが極めて高い皇族と一部の人々であって、支配層全般という訳ではないし、ましてや大衆などありえない。なかでも重視されているのは、国史プロジェクトメンバーだろう。儒教国家の統治手法全面的導入と仏教国教化への道を走っている朝廷への忖度はあるものの、専門官僚としての姿勢を矜持した上で、"ガツンと一撃"を意図しているだろうと想定できよう。
太安万侶はメンバー会合で、そこらを丁寧に説明した筈で、頭抜けて優秀な人々だったから、それは100%伝わったと見てよさそう。・・・国史作成に「古事記」は用いないという意思決定がなされた筈である。)


序文で記載されているように、日本国の信仰は「道教」的そのもの。しかしそれは倭国の伝統信仰と、大陸の新興宗教がたまたま似ているに過ぎないということ。
倭国の信仰はプレ道教の可能性があると示唆したことになる。儒教成立より古い時代の観念がママ引き継がれていることになる。どうしてそうなるかと言えば、言語の文字表記化をしなかったから、古代の観念を変質させて統一的信仰に組み入れることがなされず、ママで残渣的に伝承され続けたから。
「古事記」成立とは、ついにその伝統が消えることを意味する。
文字記載とは、国家的に一枚岩となれる様に、強制的に揃えることであり、それなくしては国家消滅もありうるので邁進する必要があるが、多様な神話共存の世界は一瞬のうちに消え去り、標準化された宗教概念に置き換わることになる。

"ガツンと一撃"は効いたと言ってよいだろう。
国史は、「史記」的な体裁を考えていた筈だが、編纂方針は大転換したと思われる。その辺りの話をすると又長くなりそうなので、常世を見ることにしよう。・・・

高御產巢日神之子思金加尼神令思 而 集常世長鳴鳥
🐓📖「常世長鳴鳥」こそ南方信仰そのもの
音が違うので、本居宣長の常世=常夜説は成り立たたないのは知られている。そもそも、夜明けを告げる鶏鳴と、常夜感覚は合わない。しかし、批判したところで、どの様な観念かわかっている訳ではないから、面倒なので、受け入れておこうとなりがち。(鳥と来れば高天原と見なしがちだが、長鳴鳥だけは常世の鳥との断り書きなのだろうが。)
其少名毘古那神者 度于常世國
📖少名毘古那神の推定出自
常世思金神 手力男神 天石門別神
📖秩父神社寄り道(思金神)
故 御毛沼命者 跳波穗 渡坐于常世國
又 天皇 以三宅連等之祖 名多遲麻毛理 遣常世國・・・叫哭以白:「常世國之登岐士玖能迦玖能木實持參上侍」遂叫哭死也 <其登岐士玖能迦玖能木實者 是今橘者也>
📖石立たす少御神と酒宴 📖多遅摩毛理往復先の常世国
其大后比婆須比賣命之時 定石祝作又定土師部此后者葬狹木之寺間陵也
石祝部は石棺で、土師部は埴輪と考えられる。
[歌40 御祖 息長帶日賣命]此の御酒は 吾が御酒ならず 御酒[奇]の司 常世に坐す[登許余邇伊麻須] 石立たす 少名御神の 神祝き 寿き狂ほし 豊寿き 寿き廻ほし 奉り来し 御酒そ 浅ず飲せ ささ(囃子) 📖
[歌96 大長谷若健命/雄略天皇]胡坐居の 神の御手もち 弾く琴に 舞する嬢子 常世にもかも[登許余爾母加母] 📖
【「萬葉集」の用例】[巻一#50]常世尓成牟 [巻三#261]益及常世 [巻三#446]常世有跡 [巻四#650]常世國尓 [巻四#723]常呼二跡 [巻五#865]等己与能久尓能 [巻九#1740]常代尓至・・・常世邊・・・常世邊 [巻九#1741]常世邊 [巻十八#4063]等許余物能 [巻十八#4111]常世尓和多利

プレ道教的に考えると、色々と気付く点があり、ついつい書いて見ようかとなってしまうが、ここで止めることにした。

結局のところ、"天帝⇒天子"宗教でもある道教は、日本では仏教に取り込まれてしまうが、当たり前である。(儒教型国家はがんじがらめの宗族体制を敷くことで恋愛も含めて個人の自由抑制を旨とするから、呪術型の現世願望希求の呪術型補完型宗教の併存は不可欠となる。)
そのお蔭で、道教由来の習俗は現代でもいくらでも見つかるが、それを指摘されるのを嫌う人が多いらしい。尚、日本最初の神仙説話集大江匡房:「本朝神仙伝」1098年(全37譚)は名称は神仙ではあるものの、ほぼ仏教一色の内容。📖

【「萬葉集」の一般概念のトコの用例】[巻一#37]常滑 [巻二#174]常都御門跡 [巻二#199]常闇 [巻六#917]常宮 [巻六#1009]常葉之樹 [巻十七#3909]常花

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