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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.6.9] ■■■
[345] 報恩
巻十九の構成はまとまりがないように映り、編纂方針が読み取りずらい。
  【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  《1〜18俗人出家》[→]
  《19〜22転生 仏物盗用》
  [巻十九#19]東大寺僧於山値死僧語 [→仏物盗用罰]
  [巻十九#20]大安寺別当娘許蔵人通語 [→転生 仏物盗用罰]
  [巻十九#21]以仏物餅造酒見蛇語 [→鳴滝の寺酒壺の蛇]
  [巻十九#22]寺別当許麦縄成蛇語 [→傀儡師]
  《23〜34報恩》
  《35〜44三宝加護奇譚》[→]

しかし、冒頭の俗人出家譚グループは、出家に至る次第、出家者の人となり、教化・説教僧の影響力、等を描きたい訳ではなさそうと感じると、かなり現代的な嗜好の編纂スタイルの巻のような気がしてくる。

要するに、自発出家となった切欠を考えてみたいということ。
例えば、仕えていた天皇が崩御し出家、といっても、その理由は本人でもわかっていないかも。それこそ、政治的解釈もできない訳ではない。ただ、常識的には、無常観を得て決断としか書き様がなかろう。・・・はたしてどうなのだろう?。

巻末の奇譚グループも、"偶々運がよかった。"ではなく、"神仏に祈って助かった。"と考えられている話を集めた訳だが、その辺りも、一緒に、思い巡らしてみようという仕掛けでは。

両者に挟まれたお話も同じようなもの。

他人から慈しみを与えられた感じると、それに対して利他的行為をしたくなるのは、衆生誰でもが持つ"性"のようだが、そこらと信仰とはどう繋がるのか、考えて見たくなったのだろう。

そういう観点では、この巻は、極楽往生とか、現世利益を求める、といった、思弁的な理屈を土台にしている信仰とはかなりかけ離れた領域を扱っていると言えよう。確かに仏道を歩んだ人達の話ではあるものの、仏教教義による解釈がたいした意味を持たないのではないか。
いかにも、「今昔物語集」編纂者が主宰しているサロンでの談義に取り上げたくなるものだらけ。

さて、#23〜34譚を"報恩"グループとしたが、"恩"が題名に入っているのは一部にすぎない。
大乗仏教における"恩"の概念は決まっている訳ではなさそうだが、よく引用されるのは以下の記述。・・・
世出世恩有其四種:一父母恩,二衆生恩,三國王恩,四三寶恩。
如是四恩,一切衆生平等荷負。
 [般若[譯]:「大乘本生心地觀經」巻ニ報恩品]

順に見て行こう。・・・

このグループ最初に来る#23譚のご教訓では、"孝養の心の深かりければ"となっている。思うに、師への恩からくる熱き報恩心をどうしても伝えたかったのだろう。
  [巻十九#23]般若寺覚縁律師弟子僧信師遺言語 [→鳴滝の寺]

  [巻十九#24]代師入太山府君祭都状語
 止事無き僧が重病に。
 祈祷の験も無いが、
 陰陽師安倍晴明は、
 太山府君祭祀で命を保つことができると。
 ただ、その為には、
 弟子が身代わりになって病気を負う必要がある。
 ところが、止事無き弟子達を始め、
 そんな役回りを引き受ける人が出てこない。
 そこに、師の身代わりとして病気を負い、
 死ぬ覚悟の弟子がでてきた。
 お蔭で師は助かる。
 弟子は死ぬつもりで念仏を唱えていたが
 朝になってもなにもない。
 そこに、晴明がやってきて、
 師も身代わり弟子も死ぬことはないと告げる。

不動明王が慈悲を発揮するために登場することで知られる。極めて珍しい設定。
 →泣不動縁起(絵巻)@15世紀 (C)奈良国立博物館
   …中世には有名な話だったからか、詞無しの絵のみで全巻連続。

  [巻十九#25]滝口藤原忠兼敬実父得任語
 夏、宮中 大極殿で夕涼みの会が開催された。
 滝口所の衆も沢山参加。
 返ろうかと、八省の北の廊を行く頃、にわかに夕立。
 公達の数は多いのに、笠の数は少なすぎ、
 笠が来るのを待っている人達で溢れていた。
 そのなかに、滝口の藤原忠兼もいた。
 得任の子だが、
 裕福な養父烏藤太に、児のうちにひきとられ、
 その実子として扱われていた。
 私語として、実の親のことがささやかれる程度。
 得任は官掌の(位が低い)でこの陣に参加していた。
 家は西京なので、束帯者の袖を被って走り出て行った。
 その、沓を手に取り、たくし上げた袖を被っていく姿を
 忠兼の目に移った。
 そこで、笠を取り走り寄って、
 笠を差しかけ隠しながら行ったのである。
 をれを見て、
 (雨に濡れて走るのを嘲笑していた)
 殿上人から滝口処の衆まで、
 (実子の親思いの念からの行動を目にして)
 笑うのを止め、感動で涙したのだった。

立派になった我が子に、別れてから初めて、間近で会えたシーン。親から見れば、これだけで十分すぎる程の恩返し。従って、この先の話は不要では。

  [巻十九#26]下野公助為父敦行被打不逃語 [→近衞官舎人]

  [巻十九#27]住河辺僧値洪水棄子助母語
 淀川の河辺に、法師が、老母、妻、5〜6才の愛児と住んでいた。
 ある時、高潮で、子供が流され、さらに母も。
 同時に二人を助けることはできないので決断を迫られた。
 そこで子を見捨てて、母を救った。
 そのため、子を愛おしく思う妻は泣き悲しみ、
 何時死んでもおかしくない老人を助け
 可愛い我が子を棄てるなど
 どうかしていると罵倒される。
 子供はまたもうけることができるが、
 母と別れれば二度と会えない、
 という考えを法師は伝えるが
 耳には入る状況ではない。
 その後、子は 下流で人に助けられた。


  [巻十九#28]僧蓮円修不軽行救死母苦語
 大和宇治に安日寺があり、
 そこの僧 蓮円の母は邪見で、因果を悟ることもなく
 年老いて病にかかり、悪相道に墜ちて死んだ。
 蓮円は歎き悲しみ、後世安楽を得させたいと考え、
 日本国中到らぬ所に行き尽くし
 不軽行を修めることにした。

   (「法華経」常不軽菩薩品に由来し、会う人毎に軽んずることなく礼拝する。)
 さらに、六波羅密寺に入り、自ら法華八講を行つた。
 その後、蓮円は夢を見て
 地獄の母に会うことができ
 地獄の呵責を逃れ 利天に転生できたと
 母から感謝された。
 そして、後、高野山に入った。


ここからは、題名に"恩"を入れたりも。
  [巻十九#29]龜報山陰中納言🐢 [→亀譚] [→継子殺戮]

  [巻十九#30]龜報百済僧弘済🐢 [→亀譚]

  [巻十九#31]髑髏報高麗僧道登 [→架橋]

次は、神様もご恩忘れず話だが、結構、詳しい。
  [巻十九#32]陸奥国神報平維叙語
 陸奥守平維叙は平貞盛朝臣の子。
 任国に初めて下り、神拝すると決め、
 国内の所々の神社を参詣。
 その折、道辺に木が3〜4本ある所に小さな祠があった。
 人がお参りしている気配がないので、
 守は、お供をしている国の人々に、
 「ここには神様が居られるのか?」と尋ねた。
 すると、年老いて、古い事を知っていそうな庁官が話した。
 「ここには、止事無き神様がおいでになった。
  昔、田村の将軍がこの国の守として在任中のこと。
  神社の禰宜、祝の中に、思い懸けぬ事をしでかした者がいて、
  大事になってしまい、公けに奏上されるまでに。
  そして、神拝が無くなり、朔幣も停止となった。
  その後、社殿も倒れて失せてしまい、参拝者も絶え
  長いことこんな状態になっている、と、
  我が祖父の、80才になった者が申しておりました。
  ここから考えてみますと、
  こうなってから、200年ほどでしょうか。」と。
 平維叙はこれを聞き、
 「それは極めて不憫なこと。
  神の御錯誤ではないと言うに。
  この神を元の様に崇め奉ろうではないか。」
 と言い、そこにしばらく留まり、
 薮を切り払わせたりして
 その者に仰せになって
 すぐに大きな社殿を造営させ、朔幣に参拝し、
 神名帳に記入させたりした。
 かように崇められたので、
 神も定めしお喜びになられただろうと思って過ごしていたが、
 任期中に霊験は無く、夢に出現することもなかった。
 そうこうするうち、
 いつしか平維叙は任期が終わって上京。
 国府の館を出立した2〜3日後、
 こ神のことを守に申し上げた庁官の夢に
  誰とも知らぬ者が、突然、家の中に入って来て、
  「この家の門外においでで、お召しになっている。
   すぐに参上するように。」と言う。
  庁官は、だれがお召しなのだ。
  守の殿はすでに上京されており、
  "召す"と言うことができる人はいないのにと思い、
  しばらく出て行かないと、
  何回も「早く参上せよ。早く参上せよ。」と言うため、
  何事かあるのかと立ち出ると
  2〜3尺ほどあるえらく美しく飾った素敵な唐車があり、
  そこに乗っておられる方が居た。
  気高く事無きな気配がしており、
  沢山のお供の人々が土の上居並んでいた。
  訳ありかと、畏まって伺候していると
  唐車の屋形の入口で控えている人が、
  「その男、こちらへ参れ。」と召す。
  恐ろし気なので、直ぐに行かないでいると、
  強引に召すので、恐る恐るれながら近寄って行くと、
  唐車の簾を少し動かし仰せがあった。
  「我を知っているか。」
  「どうして、存じ上げることができましょうか。」と申し上げると、
  「我はこの年来棄てられていた、あの神である。
   ところが、ここの守が思いも懸けずこのように崇めてくれたので、
   そのお礼喜びで、守の上京を送って行く。
   京に送り着いたら、すべからく、立ち返るべきとは思うが、
   再び受領にならせてから後、返って来ようと思う。
   その間はこの国には居らん。
   汝が、我有様の委細を守に語ってくれたので
   守も崇めてくれたと考えており
   汝に告げているのである。
   汝にも、喜ばしく思っており、
   自然にそれを思い知ることもあろう。」
  とおおせになって、上京された、
 そこで、汗だくになり目が覚めた。
 なんだ夢か、と思ったが、この神の御心が極めて貴く
 その後、この夢を人に語ったところ、
 聞く者は、皆、哀れということで、貴び奉ったのである。
 その後、
 中将藤原実方が陸奥守として京より赴任して来た。
 その忙しさに紛れ、この夢のことは忘れていた。
 年月が経ち、思いも懸けず、
 前のように夢を見た。
  例の人が入って来て、門の所にお出ましになり、
  「お召しが有った。」と。
  夢心地に、
  以前に初めてお越し頂いた神様がお出ましになったのかと考え、
  急いで参上すると、実に、最初の唐車。
  しかし、前より少し古くなっていたし、神も旅馴れした御様子。
  あの神であるとわかり、畏まりて伺候して居ると、
  前のように召されて、
  「我を覚えておるか。」と仰せに。
  「以前のこと、仔細を承っております。」と申し上げると、
  「よく覚えておる。
   我は、前の国司に付いて、この3〜4年京に住んでいたが
   色々と構えて、ようやく常陸守に任じさせ、帰って来た。
   これを何としても汝に告げねば、と考えてこうして告げておる。」
  と仰せになった。
 そこで、夢から覚めた。
 怪しく思い、以前に夢を語った人々に又会って、夢を語る。
 前国司が常陸守にお成りになるなら、
 神様の霊験は素晴らしいものデスナ、と言い合っていたところ、
 京から使者が下って来て、任官除目書状が到着。
 見ると、前司はすでに常陸守に。


流石に、衆生"恩"と言っても、そこに地主神や比叡山の天狗を含めるのは、よそうとなったのではなかろうか。
  [巻十九#33]東三条内神報僧 [→紅梅情緒](後半欠文)
 二条の北で、西に洞院、筋向いが東三条戌亥の角の神の森、
  という場所に住す僧だが、
 特段に貴いとかいう訳ではないものの
 常に法花経・仁王経を読誦し、神に法楽奉っていた。
 ある日の夕暮れ時、半蔀に立ち読経していたところ
 大変な清気を漂わす、20才を過ぎた見知らぬ男がやって来た。
 神の化身の男で、案内され、神木を昇ることに。
 そこには宮殿があり、屋家の中へと。
 覗き見するなと言われたが、男が内に入ったので
 先ず食べ物を見ると蓮の実。
 外を覗くと、
 東は正月・春からの風物と景色、
 南は賀茂の祭や五月五日だし、未申は六月の解除、
 そして、西には七月七日・・・(以下欠文)


 [巻十九#34]比叡山天狗報助僧 (欠文)

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