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■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.15] ■■■
[歌の意味48]「記紀」歌自体に両書の対立無し
国史に収載されなかった歌について見て来た。
📖非収載の国史挿入歌一瞥  (ご注意)歌番号はテキストに従っておりません。
📖《下巻23代天皇関連》…9首(#105〜113)のうち5首
📖《下巻21代天皇段》…14首(#91〜104)のうち12首
📖《下巻軽王・軽大郎女》…12首(#79〜90)のうち7首
📖《下巻17代天皇》…3首(#76〜78)のうち2首
📖《下巻16代天皇段》…23首(#53〜75)のうち11首
📖《中巻15代天皇段》…14首(#39〜52)のうち3首
📖《中巻倭建命関連》…15首(#24〜38)のうち8首
_ 《中巻10代天皇段》…1首(#23)のうち0首
📖《中巻初代天皇段》<崩御後 皇后が皇子の危機を救う>…2首(#21〜22)のうち2首
📖《中巻初代天皇段》<即位後の皇后探し>…5首(#16〜20)のうち5首
_ 《中巻初代天皇段》<東遷続々勝利を誇る久米族>…5首(#11〜15)のうち0首
_ 《中巻初代天皇段》<東遷敗色脱却となる戦勝後の酒宴>…1首(#10)のうち0首
_ 《上巻》八尋和邇…2首(#8〜9)のうち0首
📖《上巻》@出雲…7首(#1〜7)のうち5首
📖113首INDEX  (ご注意)歌番号はテキストに従っておりません。
上記の数字を見ると、「古事記」の独自色がありそうにも思えるが、「記紀」の歌だけを一通り眺めてきた印象からすると、小異は色々あるもののほとんど同じ。
もちろん、収録段や歌人の違いが餘に大きい歌もあるので、読む方としてはビックリさせられ、どうしても両者は全く異なるとの印象の方が強い。
しかし、両書の目的は異なるので収載方法も違っており、ほぼ自動的にそのような齟齬は発生せざるを得ないとも言える。従って、一見、とんでもなき潤色ありに映りかねないが、たいした問題ではない。
総体で見れば、対立的な歌を掲載している訳では無い、というのが、小生の結論。

歌体の構造についても、一寸見には、両書の差異は目立たない。・・・「古事記」112首 「日本書紀」128首(土橋寛/小西甚一校注:「古代歌謡集」岩波書店 日本古典文学大系1957年)のうち、長歌はそれぞれ33首 32首で明らかに主流ではない。人々の頭に残るのはやはり短い歌、ということなのだろう。
句分けは専門家も意見が一致していないので、両書の差を余り云々したくはないが、どう見ても句の音数が5 or 7としか思えない句がほぼ7割を占めているし、字余り字足らずを加えると9割を越す。小生は、このことから、古代から定型が確立していたと見る。
ここらは確証を欠くので悩ましいが、「古事記」収録歌はすでに完成した定型であり、定型以前の残滓はほとんど無いと考えた方がよいと思う。無文字社会と言っても、基本語彙や助詞概念はすでに確立していたに違いないからだ。要するに、語彙をバラバラに分解する音素概念が存在している筈はないから、定型といっても、我々が考える文字数の<音数>感覚と違っているだけのこと。文字表記による目読み歌になれば、字足らず字余り型の歌が淘汰されて五七調一色になるのは必然。

・・・この様に考えていくと、「記紀」の歌はまったく対立的では無いと見てよいという結論になってしまう。伝承加工のバージョンの違いで言葉上の小異はあるものの。

しかし、両者は目的と収載方法が異なっているから、それなりに注意を払う必要はあろう。
例えば、音素表記漢字の用字上の違いがあり、呉音と漢音ということで了解して通り過ぎてしまいがちだが、それは根本的な違いを象徴しているとも言えないでもない。
雁孵化譚の収載歌数も3首と2首と異なるが、内容的には同一であるからどうでもよさそうに映るが、これは歌体を踏襲するか否かという姿勢の違いを意味している可能性があるからだ。
こうした問題については別稿で。

(付記)和歌は独立した短詩で、たとえ吟詠しようが、音楽を伴う歌謡ではない。一方、「古事記」にも類似形態の歌が収録されているが、地文と不可分な表現になっている以上、独立した詩文ではありえない。しかも、宮廷歌謡の通称名の注を書き入れているから、叙事歌謡を文字化した作品なのは明らか。もちろん、文字化した途端に、音楽とは切り離されるから、歌謡ではなくなる。・・・「萬葉集」は<歌われなくなった>歌の収録集ということになり、「古事記」の方は<歌われていた>歌ということ。

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