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■■■ 「古事記」解釈 [2023.3.28] ■■■
[644]"An affair to remember"
訳のわからぬタイトルとしか思えないだろうが、映画の原題を借用してみただけ。

歌が1首たりとて含まれていない天皇段*にもかかわらず、「愛」が題材の長編の≪沙本毘賣譚≫には、これがお似合いということで。・・・伝承叙事としてではなく、小題「兄を愛します」という"作品"として、じっくりと読んで欲しい、と謂うのが太安万侶の想いでは、と踏んでのこと。女系的近親婚文化と男系天皇制度の板挟みに合い、男女間の恋愛と国家統治の相克に直面してしまった男女の姿が描かれており、唐代の小説の域に達していると思うからだ。

一般的には、「古事記」を、現代の文学性で眺めることは、折角の古代叙事を味わうチャンスを失うから止めた方がよいと思うが、沙本毘賣譚だけは、読み込めば読み込むど作品としての味が出るように磨き込まれているようで、例外的存在である。
その象徴が、ほぼ独自に近い<哀情>表現。📖愛情と哀情の違い

と云うことで、⑪天皇段を頭から末尾まで(18分割して)眺めて見ることにした。(漢文直訳調は構文への忠実性が感じられさっぱり面白くないが、さりとて意訳では太安万侶文芸を愉しむことができなくなる。そこで、文字表記に合わせ、できる限り頭から流そうと考えてみたものの、生憎と素人なので、話語的に文体統一性を保つのがことのほか難しく、手に余る。しかたないので、バラバラだが、適当に訳してみることにした。)

只、実態的には ≪沙本毘賣譚≫(❻〜⓫)は、無理な恋路の果ての仏教的因果応報話に映る≪品牟都和気皇子譚≫(⓬〜⓯)と繋がっており、一括して考えるべきだろう。そうなると、冒頭の≪系譜的定型記述(宮 等)≫(❶〜❺)と、段末の≪系譜的定型記述(御陵)≫(⓲)を別とすれば、両者でこの段のほとんどを占めていることになる。それ以外の記述としては、最後の付け足し的な≪後后婚姻譚≫(⓰)と≪多遲麻毛理遣常世國譚≫(⓱)しかないのだから。

この段には歌が収録されていないので、純叙事として描かれている訳ではない。そのため、天皇と后の会話でストーリーが展開していく記述になっている。歌とは違って、音素文字で記載されていないので、訓読みは、はたして公定に近い漢文読み下しでよいのかわからないが、当時の読者としては考える必要もなくほぼ自明だったと思われる。(常識的に考えれば、話言葉であるから、SVО構文的な漢文調であるとはとても思えない。)

--- ⑪天皇段(❶〜⓲) ---
≪系譜的定型記述(❶〜❺)
❶緒言(宮)  📖磯城之玉垣宮
皇統譜では、⑩御真木入日子印恵命/崇神天皇から皇位継承した⑪伊玖米入日子伊沙知命/垂仁天皇の代の話になる。
[訳]伊久米伊理毘古伊佐知命が座したのは師木の玉垣宮。天下を統治された。
伊久米伊理毘古伊佐知命 坐師木玉垣宮 治天下也
❷后と御子
[訳]この天皇が娶られたのは、沙本毘古命の妹 佐波遅比売命で、お生みになった御子は品牟都和気命。(1柱)
⑪天皇┬△佐波遅比売命(沙本毘古命の妹) ▷❻
┼┼┼└─○品牟都和気命 ▷⓬
此天皇娶沙本毘古命之妹佐波遲比賣命生御子品牟都和氣命(一柱)
[訳]又、娶られたのが、丹波の比古多多須美知宇斯王の娘 氷羽州比売命で、お生みになった御子は印色之入日子命、 大帯日子淤斯呂和気命、 大中津日子命、 倭比売命、 若木入日子命。(5柱)
⑪天皇┬△氷羽州比売命(旦波比古多多須美知宇斯王の娘)
┼┼┼├─○印色之入日子命 ▷❹
┼┼┼├─○大帯日子淤斯呂和気命 ▷❸
┼┼┼├─○大中津日子命 ▷❺
┼┼┼├─△倭比売命 ▷❺
┼┼┼└─○若木入日子命
又 娶旦波比古多多須美知宇斯王之女氷羽州比賣命生御子"印色"之入日子命 次 大帶日子"淤斯呂和氣"命 次 大中津日子命 次 倭比賣命 次 若木入日子命(五柱)
[訳]又、娶られたのが、その氷羽州比売命の妹 沼羽田之入毘売命で、お生みになった御子は沼帯別命、 伊賀帯日子命。(2柱)
⑪天皇┬△沼羽田之入毘売命(氷羽州比売命の妹)
┼┼┼├─○沼帯別命
┼┼┼└─○伊賀帯日子命
又 娶其氷羽州比賣命之弟沼羽田之入毘賣命生御子沼帶別命 次 伊賀帶日子命(二柱)
[訳]又、娶られたのが、その沼羽田之入日売命の妹 阿邪美能伊理毘売命で、お生みになった御子は伊許婆夜和気命、 阿邪美都比売命。(2柱)
⑪天皇┬△阿邪美能伊理毘売命(沼羽田之入日売命の妹)
┼┼┼├─○伊許婆夜和気命 ▷❺
┼┼┼└─△阿邪美都比売命 ▷❺
又 娶其沼羽田之入日賣命之弟"阿邪美能伊理"毘賣命生御子"伊許婆夜和氣"命次"阿邪美都"比賣命(二柱)
[訳]又、娶られたのが、大筒木垂根王の娘 迦具夜比売命で、お生みになった御子は袁邪弁王。(1柱)
⑪天皇┬△迦具夜比売命(大筒木垂根王の娘)
┼┼┼└─○袁邪弁王
又 娶大筒木垂根王之女迦具夜比賣命生御子袁邪辨王(一柱)
[訳]又、娶られたのが、山代の大国之淵の娘 苅羽田刀弁で、お生みになった御子は落別王、五十日帯日子王、伊登志別王。(3柱)
⑪天皇┬△苅羽田刀弁(山代大国之淵の娘)
┼┼┼├─○落別王 ▷❺
┼┼┼├─○五十日帯日子王 ▷❺
┼┼┼└─○伊登志別王 ▷❺
又 娶山代大國之淵之女苅羽田"刀辨"生御子落別王 次 五十日帶日子王 次 "伊登志"別王
[訳]又、娶られたのが、その大国之淵の娘 弟苅羽田刀弁で、お生みになった御子は石衝別王、石衝毘売命またの名は布多遅能伊理毘売命。(2柱)
⑪天皇┬△弟苅羽田刀弁(大国之淵の娘)
┼┼┼├─○石衝別王 ▷❺
┼┼┼└─△石衝毘売命/布多遅能伊理毘売命 ▷❺
又 娶其大國之淵之女弟苅羽田刀辨生御子石衝別王 次 石衝毘賣命亦名布多遲能伊理毘賣命(二柱)
[訳]全てで、この天皇の御子等は16王。(○男王13、△女王3)
凡此天皇之御子等十六王(男王十三女王三)
❸皇嗣
[訳]と云うことで、(このうちの)大帯日子淤斯呂和気命が天下を統治された。…身長は一丈二寸で、脛の長さは四尺一寸。
故 大帶日子淤斯呂和氣命者治天下也(御身長一丈二寸御脛長四尺一寸也)
❹皇子事績
[訳]そして、印色入日子命は、茅渟池、狭山池、日下の高津池をお作りに。さらに、坐されたのが、鳥取の河上宮で、(そこで)作らさせたのが横刀1,000口。これを奉納したのが石上神宮で、そこに座されて、定めたのが河上部。
次 印色入日子命者作血沼池又作狹山池又作日下之高津池 又 坐鳥取之河上宮令作横刀壹仟口是奉納石上神宮 即坐其宮定河上部也
❺皇子系譜
[訳]次に大中津日子命は、 山辺別、三枝別、稲木別、阿太別、尾張の国の三野別、 吉備の石无別、許呂母別、高巣鹿別、飛鳥君、牟礼別らの祖。
 次に倭比売命は、伊勢の大神宮を拝祭。
 次に伊許婆夜和気王は、沙本の穴太部之別の祖。
 次に阿邪美都比売命が嫁いだのは、稲瀬毘古王。
 次に落別王は、小槻山君、三河の衣君の祖。
 次に五十日帯日子王は、春日山君、高志の池君、春日部君の祖。
 次に伊登志和気王は、無子で、子の代として定めたのが伊登志部。
 次に石衝別王は、羽咋君、三尾君の祖。
 次に布多遅能伊理毘売命は、倭建命の后。

次 大中津日子命者≪山邊之別三枝之別稻木之別阿太之別尾張國之三野別吉備之石无別許呂母之別高巣鹿之別飛鳥君牟禮之別等祖也≫
次 倭比賣命者≪拜祭伊勢大神宮也≫
次 伊許婆夜和氣王者≪沙本穴太部之別祖也≫
次 阿邪美都比賣命者≪嫁稻瀬毘古王≫
次 落別王者≪小月之山君三川之衣君之祖也≫
次 五十日帶日子王者≪春日山君高志池君春日部君之祖≫
次 伊登志和氣王者≪因無子而爲子代定伊都部≫
次 石衝別王者≪羽咋君三尾君之祖≫
次 布多遲能伊理毘賣命者≪爲倭建命之后≫


≪沙本毘賣譚(❻〜⓫)
ここで、突然に、沙本毘古命の妹 沙本毘賣という名前が登場してくる。佐波遅比売命とされているにもかかわらず。それが、天皇が認識している后の名称だが、当の后は沙本毘古命の妹としての名称である沙本毘賣と辞任していることになる。倭国の毘古=毘賣という女系制文化を受け継いでいることが示唆されていることになろう。この段の皇統譜では全くわからないが、これまでの記載から沙本毘古命と沙本毘賣の位置はこうなっていることがわかる。以下の系譜を前提として、この譚を読む必要がある訳だ。・・・
⑧大倭根子日子国玖琉命/孝元天皇
├──┬△内色許売命(穂積臣ら祖 内色許男命の妹)
┼┼─○大毘古命
┼┼┼┼┼└┬△ n.a.
┼┼┼┼┼┼├─建沼河別命(祖:阿倍臣ら)
┼┼少名日子建猪心命
┼┼┼┼┼┼
└┬───△↓伊迦賀色許売命(内色許男命の娘)
┼┼┼┼┼┼┼
┌──┘┼┼┼┼
⑨若倭根子日子大毘毘命/開化天皇
├┬───△↑[継母/父⑧天皇妃]伊迦賀色許売命
┼┼┼┼┼┼
├─⑩御真木入日子印恵命崇神天皇
┼┼┼┼
└──御真津比売命
┼┼┼┼┼┼
┼┼└┬───△御真津比売命(大毘古命の息女)
┼┼├┐
┌───┘
┼┼├─伊邪能真若命
┼┼├─国片比売命
┼┼├─千千都久和比売命
┼┼├─伊賀比売命
┼┼└─倭日子命

└──┬△意祁都比売命(丸邇臣先祖 日子国意祁都命の妹)
○日子坐王
└┬△沙本大闇見戸売(春日 建国勝戸売の息女)
┼┼─○沙本毘古王(祖:日下部連, 甲斐国造)
┼┼──○袁邪本王(祖:葛野之別, 近淡海 蚊野之別)
┼┼├───△沙本毘売命/佐波遅比売
┼┼┼┼┼
┼┼└────○室毘古王(祖:若狭耳別)
┼┼┼┼┼┼
伊久米伊理毘古伊佐知命/垂仁天皇
┼┼┼┼┼┼
┬─────┘
┼┼○品牟都和気命/本牟智和気御子
❻兄妹 v.s. 夫妻(天皇皇后)
[訳]この天皇が沙本毘売を后とされた時のこと。 沙本毘売命の兄 沙本毘古王は妹に尋ねた。
「愛しているのは夫と兄のどちらだ?」
答:
「愛するのは兄。」
そこで、沙本毘古王は謀略を告白。
「汝が本気で我を愛していると思うなら、二人で天下を統治しようではないか。」
そして、八塩折の紐付き小刀を作って妹に授け、
「この小刀を使って、天皇の寝ているところを刺殺せよ。」と告げた。
此天皇 以沙本毘賣爲后之時
沙本毘賣命之兄 沙本毘古王 問其伊呂妹曰:

「孰夫與兄歟」
答曰:
兄」
爾 沙本毘古王謀曰:
「汝寔思我者 將吾與汝治天下
而 即作八鹽折之紐小刀 授其妹曰:
「以此小刀刺殺天皇之寢」

❼暗殺未遂
[訳]そんなことで、天皇の知らぬまま、その謀が(進んでしまった)。
皇后の膝枕で御休みになって居られたところ、
皇后が小刀で天皇の御頸を刺そうとして三度を振り挙げた(ものの)
哀情には忍び難く、頸を刺すことができず、泣いて落ちた涙が御面に溢れ(てしまい)
その結果、天皇は驚いて起床。そんな皇后にお尋ねに。

「吾が見た異様な夢では、沙本の方から暴雨が到来し、急に吾の面を濡らした。
さらに、錦色の小蛇が我の頸に纏わりついて来た。
この夢の如き、こうした事態は何を表わしているのだろう。」
と。
そこで皇后は、もう言い争うことで対応できないと(考え)、 天皇に申し上げた。

「わらわの兄、沙本毘古王は、わらわに問うたのです。"お前は夫と兄、どちらを愛するか。"と。
これを、非常に厳しい顔で問うたので、わらわは"愛しているのは兄"と答えることに。
そこで、(兄は)わらわを用立てし、"吾と汝で共に天下統治するため、當に、天皇を殺すべき。"と言った(上で)
八塩折の小刀を作り、わらわに授けたのです。
これを用いて、御頸を刺そうとし、三度振り挙げたものの哀情には忍び難く、
頸を刺すことができませんでした。
泣いて涙が落ち、御面を濡らしてしまいました。必ずしや、(その夢は)このことの表れに違いないでしょう。」

故 天皇 不知其之謀 而
枕其后之御膝 爲御寢坐也  📖膝枕は仏典由来だろうか
爾 其后 以紐小刀 爲刺其天皇之御頸 三度擧 而 不忍哀情 不能刺頸
而 泣涙落溢於御面
乃 天皇驚起 問其后曰:

「吾見異夢從 沙本方暴雨零來 急洽吾面 又錦色小蛇 纒繞我頸 如此之夢 是有何表也」
爾 其后以爲不應爭 即 白天皇言:
「妾兄沙本毘古王問妾曰"孰夫與兄"
是不勝面問 故 妾答曰"愛兄歟"
爾 誂妾曰:"吾與汝共
治天下 故 當殺天皇"云
而 作八鹽折之紐小刀 授妾 是以欲刺御頸 雖三度擧
哀情忽起 不得刺頸
而 泣涙落 洽於御面 必有是表焉」

❽皇子誕生
[訳]そこで天皇は詔:
「吾はほとんど欺かれていた。」
と云うことで、軍勢をを興し、沙本毘古王を撃とうとした時、その王は稲城を作り待つ(態勢に)。
この時沙本毘売命は兄を忍ぶことができず、後門より逃げ出しその稲城に納まってしまいました。
この時、その后は懐妊の身。
この状況で、天皇は后の懐妊を忍ぶことができず仕舞い。
それに、愛を重ねて3年に至っていましたし。
そんな訳で、軍勢で廻りを囲み、攻撃を急がないままの状態。
こんな如くにして、逗留している間に、そのお腹にいた御子が既に産まれてしまった。
そこで、その御子を出し、稲城の外に置き、天皇に申し上げさせました。

「もし、この御子こそ、天皇の御子と思し召されるなら、お治め賜りたく。」と。
これに対し、天皇は詔。

「その兄は怨むと雖も、猶、その后への愛は忍ぶことができない。
従って、そのまま、后の心情を受容れよう。」
と。
爾 天皇詔之:
「吾殆見欺乎」
乃 興軍撃沙本毘古王之時 其王作稻城以待戰
此時沙本毘賣命
不得忍其兄 自後門逃出 而 納其之稻城
此時其后妊身 於是天皇
不忍其后懷妊重至于三年
故 廻其軍 不急攻迫 如此逗留之間 其所妊之御子既産
故 出其御子 置稻城外
令白天皇:

「若此御子矣 天皇之御子所思看者 可治賜」
於是 天皇詔:
「雖怨其兄 猶不得忍其后 故 即有得后之心」
❾后奪還失敗
[訳]そのために、軍士の衆勢中から、力士かつ敏捷な者を選び出し、宣言。
「その御子を受け取ろうとした時に、その母王を掠め取れ。或いは、 髪だろうが、手でもよいから、当たったら(手で)取り獲得せよ。そして、掬い出し控え出してしまえ。」と。
ところが、その后は、その情況を予知しており、 悉くその髪を剃り、髪で以てその頭を覆っており、 さらに、腐朽した玉の獅三重にして手に纒め、 且つ、酒で腐らせた御衣が全ての衣服の如くであり、身支度を整えたかの如き(お姿)。
こうしてからて来て奏上。

「御髪は自然と落ち、御衣は容易く破れ、また、纒いていた御手の玉獅ヘ容易く千切れ、その結果、御母は獲得できず、御子を取得致しました。」と。
そのため、天皇は悔い恨み、玉を悪しく作った人たちは、皆その地を奪われてしまった。
こういうことで<所を得ぬ玉つくり>という諺が生まれた。

是以 選聚軍士之中力士輕捷 而 宣者取其御子之時 乃 掠取其母王或髮或手當隨取獲 而 掬以控出 爾 其后豫知其情悉剃其髮以髮覆其頭 亦 腐玉緒三重纒手且以酒腐御衣如全衣服如此設備 而 抱其御子刺出城外 爾 其力士等取其御子 即 握其御祖 爾 握其御髮者御髮自落握其御手者玉緒且絶握其御衣者御衣便破 是以 取獲其御子不得其御祖 故 其軍士等還來奏言
「御髮自落御衣易破 亦 所纒御手之玉緒便絶
故 不獲御祖取得御子」

爾 天皇悔恨 而 惡作玉人等皆奪其地 故 曰:<不得地玉作>也
 📖諺"不得地玉作"とは
❿后帰還切望
[訳]また、天皇は命じて、その后への詔を伝えた。
「おおよそ言うところ、子の名前は、必ず母が名付けると。
(さすれば)どの様な名称をその子の御名とするか。」
と。
それに対し答は、

「今、當に、火を付けて焼こうとする稲城に居る時です。火中にて生まれたのですから、その御名として宜しく称せるのは本牟智和気御子でしょう。」と。
そこで、また、詔を伝えさせた。

「養育のため何をしたらよろしいか。」と。
答:

「御乳母を取り立て、定めるべきは大湯坐と若湯坐。宜しく養育なさって下さい。」と。
そこで、その后のお答のママを以て養育。
さらに、また、問うことに。

「汝が堅く締めた瑞兆の小帯を誰が解くのか。」と。
答:

「旦波の比古多多須美智宇斯王の娘、名前は兄比売と弟比売。ここの2女王は、聖浄にして公に仕える民です。宜しく、お使いのほど。」と。
亦 天皇 命詔其后:
「言凡子名 必母名 何稱是子之御名」
爾 答白:
「今當火燒稻城之時 而 火中所生 故 其御名宜稱<本牟智和氣御子>」
又 命詔:
「何爲日足奉」
答白:
「取御母 定大湯坐 若湯坐 宜日足奉」
故 隨其后白以日足奉也
又 問其后曰:
「汝所堅之"美豆能"小佩者誰解」
答白:
旦波比古多多須美智宇斯王之女 名兄比賣 弟比賣 茲二女王 淨公民 故 宜使也」
  ⇒≪佐波遅比売(皇子一柱)後の⑪后≫
 大后氷羽州比売命(姉)…旦波比古多々須美知宇斯王 ▷⑫
 沼羽田之入毘売命(妹)…旦波比古多々須美知宇斯王
 阿耶美能伊理毘売命(妹)…旦波比古多々須美知宇斯王
 迦具夜比売命…大筒木垂根王📖かぐや姫ビジネスの元ネタ
 苅羽田刀弁(姉)…山代大国之淵
 弟苅羽田刀弁(妹)…山代大国之淵
  上記各后の皇子:五柱 二柱 二柱 一柱 三柱 二柱 (総計 男王十三柱 女王三柱)
  📖"きさき"の地位
⓫后殉死
[訳]こうなってしまい、遂に、その沙本比古王を殺してしまった。
その同腹妹もまた兄に従い(殉死)。

然 遂殺其沙本比古王
其伊呂妹 亦 從也


≪品牟都和気皇子譚(⓬〜⓯)
⓬皇子と天皇は船遊び
[訳]ところで、御子を率いて遊ばせる状況ですが、尾張の相津の二俣杉で作ったのが二股の小舟。これを運び上げて浮かしたのが倭の市師池と軽池。(そこで、)その御子を率いて遊ばせたのです。
故 率其御子之状者 在於【尾張】之相津 二俣榲 作二俣小舟 而
持上來以 浮【倭】之市師池 輕池 率
其御子  📖「古事記」のアソビ
⓭   📖"伊久米伊理毘古伊佐知命-本牟智和気御子-鵠"譚
[訳]しかしながら、御子は髭が伸びる迄に達しても心が一人前でなく真に言葉を発せず。
たまたま、高く飛んで往く白鳥の鳴き声を聞き、始めて片言を。
と云うことで、遣わしたのが山辺の大鶙。その鳥を捕えよということで。
この人はその鵠を追い尋ね、
木国(紀伊) ⇒針間国(播磨) ⇒稲羽国(因幡) ⇒旦波国(丹波) ⇒多遅麻国(但馬) ⇒淡海国(近江) ⇒三野国(美濃) ⇒尾張国 ⇒科野国(信濃) ⇒高志国(越) ⇒和那美の水門、和那美で網を張り、その鳥を取り、持って参上し献上。
(ところが)、その鳥を見たらモノを言うと思っていたものの、思った如くに言う事は無かった。

然是 御子八拳鬚至于心前 眞事"登波受" 故 今聞高往鵠之音 始爲"阿藝登比"
爾 遣山邊之大鶙【此者人名】令取其鳥
故 是人追尋其鵠 自木國到針間國 亦追越稻羽國 即到旦波國 多遲麻國 追廻東方 到近淡海國 乃越三野國 自尾張國傳以 追科野國 遂追到高志國 而 於和那美之水門張網 取其鳥 而 持上獻 故 號其水門 謂
【和那美之水門也】 📖「古事記」収録地名譚は面白い
亦 見其鳥者 於思物言 而 如思爾勿言事

[訳]そんなことで、天皇は想い患らい賜われ、御就寝された時、覚醒されたのが御夢のなか。
「我が宮を天皇の御社殿の如くに修理するなら、御子は必ずしや真事を発することなろう。」と。
そこで、ここから覚めた時、太卜占にて占い、(答を)求めて

「何神の心か?」と。そうすると、
「祟る出雲大神の御心なり。」と。
それで、その御子を、その大神宮参拝をさせるために、将に派遣させようという時、
誰を伴に副えるが吉か(と云うことに)。
すると、曙立王が任との卜占の結果。
そこで、曙立王に当たらせて、誓約を行わせた。

「この大神参拝によって、真に経験あらたなら、是の鷺巣池の樹木に住む鷺を誓約にて落とせ。」と。
かくの如き詔が発せられた時、誓約のその鷺が地上に堕ちて死んだ。
さらに、"誓約で活きよ。"との詔を発すると、活きかえった。
また、甘樫丘の埼[甜白檮の前]に在る葉広の熊白樫で、誓約で枯らさせ、また、誓約で生かせました。
こんな次第で、その曙立王は名を賜り、倭であるところの師木登美豊朝倉の曙立王と謂われるように。

於是 天皇患賜 而 御寢之時 覺于御夢曰:
「修理我宮如天皇之御舍者 御子必眞事"登波牟"」
如此覺時 布斗摩邇邇占相 而 求

「何神之心」 爾
「祟
出雲大神之御心」
故 其御子令拜其大神宮 將遣之時 令副誰人者吉 爾 曙立王食ト 故 科曙立王令"宇氣比"白:

「因拜此大神 誠有驗者 住是鷺巣池之樹鷺乎 宇氣比落」如此詔之時 宇氣比其鷺墮地死 又詔之宇氣比活爾者更活 又在甜白檮之前葉廣熊白檮 令宇氣比枯 亦 令宇氣比生
爾 名賜 其曙立王 謂倭者師木"登美"豐朝倉曙立王

⓯皇子出雲大神参拝
[訳]早速、曙立王と菟上王の二王を、その御子に付き添わせ派遣。那良方向への道では歩行できぬ人や盲人に遇い、大坂方向への道でも歩行できぬ人や盲人に遇い、 ただ、木国方向への道だけが腋月の吉の方向だとト占に顕れたので、出発の時、 到着して滞在する地ごとに品遅部を定められました。そんなことで、出雲に到着し、大神への参拝を行った都への帰途、肥河の中に黒い簀の子橋を作り、假宮をお作り申し上げて坐して戴きました。
そこで、出雲国造の祖、名は岐比佐都美が飾りとして青葉の山を(作って)その河下に立てました。
まさに、大御食献上の時、その御子は詔のお言葉を発しました。

「この河下の、青葉の山の如きものは、山に見えるが山ではない。
もしかすると、出雲の石窟の曽宮に座す葦原色許男大神を斎つきお祀りする大庭か。」
と問い賜われました。
そういうことで、派遣された御随伴の王らは、これを聞いて歓喜。
御子は、檳榔の長穂宮に座され、早速に駅使を都に上らせました。
そして、その一晩、御子は肥長比売に夜這い婚。そんなことで、 その美人を密かに覗き見ると蛇だった。
そこで、恐ろしいモノを見たので遁走。
こんなことで、その肥長比売は気分を患って、光を発し海原へと。船を追って来たので、益々恐ろしいモノを見たということで、山の尾根撓みに御船を引き越させ、逃げて上京。
その上で、復命し奏上。

「大神参拝に因り、大御はモノを詔できるようになり、それ故、参上致しました。」と。
これで、天皇歓喜。即、菟上王を返し、神宮を造営させました。
ここにおいて、天皇はその御子により定めたのが、鳥取部 鳥甘部 品遅部 大湯坐 若湯坐。

   📖品遅部の解釈は難しい
即曙立王 菟上王 二王 副其御子遣時 自那良戸 遇跛盲 自大坂戸亦遇跛盲 唯木戸是腋月之吉戸ト 而 出行之時 毎到坐地定品遲部也 故到於出雲 拜訖大神 還上之時 肥河之中 作黒巣橋 仕奉假宮而坐
爾 
出雲國造之祖 名岐比佐都美 餝青葉山 而 立其河下 將獻大御食之時 其御子詔言:
「是於河下 如青葉山者 見山非山 若坐出雲之石𥑎之曾宮 葦原色許男大神以伊都玖之祝大廷乎」 問賜也
爾 所遣御伴王等 聞歡見喜 而 御子者 坐檳榔之長穂宮 而 貢上驛使 爾其御子 一宿婚肥長比賣
故 竊伺其美人者 蛇也 即見畏遁逃
爾 其肥長比賣患光海原 自船追來 故益 見畏以 自山"多和" 引越御船 逃上行也 於是覆奏言:

「因拜大神 大御子物詔 故 參上來」
故 天皇歡喜 即返菟上王 令造神宮
於是 天皇 因其御子
定鳥取部 鳥甘部 品遲部 大湯坐 若湯坐
≪後后婚姻譚(⓰)
⓰ 〃
[訳]また、その皇后が申し上げたママに随い、美知能宇斯王の娘ら、 比婆須比売命、次、弟比売命、次、歌凝比売命、次、円野比売命、合わせ4人を召喚。 しかれども、留めたのは、比婆須比売命、弟比売命の2柱。その弟王2柱は甚だしく醜悪だったので、本国に返送。
そうなったので、円野比売は慚言:

「同じ姉妹の中で、容姿の醜さをもって帰還された事が、隣の里に聞こえてしまいます。これは甚だしく慚愧に堪えません。」
山城国の相楽に到着した時に、樹の枝に取り懸って死のうと。そこで、その地を名付けて懸木と言いますが、今は相楽と言います。
さらに、弟国に到着した時に、遂に、峻険な谷淵に堕ちて死去。 そこで、その地を名付けて墮国と言いますが、今は弟国と言います。

又 隨其后之白喚上美知能宇斯王之女等 比婆須比賣命 次弟比賣命 次歌凝比賣命 次圓野比賣命 并四柱
然 留 比婆須比賣命 弟比賣命 二柱 而 其弟王二柱者 因甚凶醜 返送本土
於是 圓野比賣慚言:

「同兄弟之中 以姿醜被還之事 聞於隣里 是甚慚」
到山代國之相樂時 取懸樹枝 而 欲死 故 號其地謂懸木 今云
【相樂】
又 到弟國之時 遂墮峻淵 而 死 故 號其地謂墮國 今云【弟國】
≪多遲麻毛理遣常世國譚(⓱)
⓱ 〃
[訳]また、天皇は三宅連らの祖、名は多遲麻毛理を派遣し、 📖多遲麻毛理
常世国にて、求めさせたのが"ときじくのかくの木の実"。
そして、多遲麻毛理は遂に到着。その国で採取したのが、その木の実。
その、縵8本、矛8本を持ってくる迄の間に、 📖副葬品"矛"
天皇は既に崩御されており
多遲麻毛理は、(うち)縵4本、矛4本を分けて大后に献上し、
縵4本、矛4本を天皇の御陵の戸に献置。
さらに、その木の実を持ち挙げて、 叫び号泣し申し上げるに

「常世国の"ときじくのかくの木の実"を持参し侍上致しました。」と。
結局、叫び号泣し死去。
その"ときじくのかくの木の実"は、今の橘。

又 天皇以三宅連等之祖名多遲麻毛理遣常世國 令求"登岐士玖能迦玖能"木實
故 多遲摩毛理遂到其國採其木實
以縵八縵矛八矛將來之間天皇既崩 爾 多遲摩毛理分縵四縵矛四矛獻于大后
以縵四縵矛四矛獻置天皇之御陵戸 而 フ其木實 叫哭以白

「常世國之登岐士玖能迦玖能木實持參上侍」 遂叫哭死也
其登岐士玖能迦玖能木實者是今橘者也

≪系譜的定型記述(⓲)
⓲末言(御陵)
[訳]この天皇の御年は153歳。御陵は菅原の御立野の中。
さらに、その太后 比婆須比売命の時に定めたのが石祝作に土師部。
太后が葬むられたのは狭木の寺間の陵。

此天皇御年壹佰伍拾參歳 御陵在菅原之御立野中也
又 其大后比婆須比賣命之時定石祝作 又 定土師部此后者葬狹木之寺間陵也

⑪天皇段 完了

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【感想】「酉陽雑俎」を読んだ者としての、「古事記」読みの楽しみの一つが、どこに太安万侶の創作が組み込まれているか推理してみること。
わかりにくいかも知れぬが、王権-神権に係ることを記載するには大きなリスクが伴うのでそれなりの覚悟で執筆に臨むことになる。"編纂したに過ぎず、全ての中味は自分の主張ではなく引用に過ぎない。"と申し開きをしたところで、反体制的と指摘されれば命運は尽きてしまうからだ。
唐朝で当代随一の読書家にして文章家、かつ、非科挙の高級官僚を務める段成式の場合、記載譚すべての情報ソースを明記。時に意見らしき記述もあるものの、それだけでは面白くないようで、自作の斬新な詩やサロンでの掛け合い作品も一緒にして収録。編纂に籠めた情熱もさることながら、自らの作品も残しておきたかったことがよくわかる。
(「酉陽」とは、後世の人々に伝えるべく、焚書を逃れるために穴に秘匿した書であることを意味する。「古事記」編纂の心根と瓜。)
・・・太安万侶の気持ちも似たようなものと推察する。
口誦叙事をできる限りママで残そうと奮闘した訳だが、その一方で、自ら演出した作品に仕上げてみたかったに違いなく、おそらく、どれか1つだろうが、インテリ読者にはそれがわかるように手を入れた可能性があろう。
(口誦叙事の表現特性発揮のために校正したとか、ハイライトを当てるために工夫したり、あるいは意味を取り違えないように語句を選んだり追加補正するという話ではない。)
そうなると、歌が1首たりとて含まれず、「愛」が題材になっている譚の筈。そうなると、沙本毘賣譚以外に考えられないのでは。
(思うに、この伝承譚のバリエーションは多岐に渡っていただろうから、もともと、記載に当たっては、それなりの自由度があったと思われる。稗田阿礼が記憶していた内容が細部に渡っているとも思えず、その筋を踏襲するものの、芥川龍之介作品の如くに、そこには自己表現の余地は十分にあるということで。)
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【*】
_1天皇段…《中巻初代天皇段》…13首
2〜9天皇段…事績無収載
10天皇段…《中巻10代天皇段》…1首
11天皇段…歌無収載  
12天皇段…《中巻倭建命関連》…15首
13天皇段…ほぼ1行の事績のみ
14天皇段…↓整理の都合上 以下に含めた
15天皇段…《中巻15代天皇段》…14首
16天皇段…《下巻16代天皇段》…23首
17天皇段…《下巻17代天皇》…3首
18天皇段…事績無収載
19天皇段…《下巻軽王・軽大郎女》…12首
20天皇段…21代となる皇子関係譚(歌無収載)
21天皇段…《下巻21代天皇段》…14首
22天皇段…↓整理の都合上 以下に含めた
23天皇段…《下巻23代天皇関連》…9首


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