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■■■ 「古事記」解釈 [2023.2.10] ■■■
[歌の意味15]五七調例外について
|♩♩♩𝄽|♩♩♩♩| 五七調について、繰り返しになってしまうが、再度確認しておきたい・・・。

5音素表記の句として、例えば、<ひかたま>と云う句を眺めれば、単純に||と発音している気分に陥りがちだが、自分で発音すればすぐにわかるが、そのような棒読み発声する人はいまい。
文法的に記載すれば、||となろうが、これも目で読み易い記載にしているだけであり、この句の場合は<ひか・る・たま>と活用語尾<る>を独立させる発音は避けることの方が多いと思う。
Songなら、<ひか・る>という文法があるにもかかわらず、|か〜るたま|としたくなるのでは。

端から文字表記の作歌を収集した「萬葉集」と、聴かせる口誦叙事詩の歌部分を文字表記にした「古事記」では相当な違いがあり、後者は、五七調に於ける字余り・字足らずが多そうという見方は意味が薄いということ。
口誦に当たって、リズム感が失われずに語彙がわかれば十分であって、音素の数が規定通りであるから、印象が強まって記憶に残るとは限るまい。
「古事記」に於ける五七調とはある意味強引なリズム構築でもあろう。
40句の長歌に"適当に"当て嵌めれば、以下のようになる。📖[_43]この蟹やいづくの蟹
|この𝄽_|いづくぃ?| …(5-6)
|𝄽_|角鹿ぃ〜| …(5-6)
|去ら𝄽_|いづく| …(5-7)
|伊知𝄽_|著き| …(5-6)
|𝄽_|衝き| …(5-7)
|ゆふ𝄽_|佐佐那美| …(5-6)
|すくすく𝄽_|行ませばや| …(5-7)
|木幡道に𝄽_|しし嬢子| …(7-7)
|𝄽_|かも| …(5-6)
|𝄽_|| …(4-5)
|𝄽_|丸邇坂の| …(5-6)
|𝄽_|らけ| …(4-7)
|𝄽_|| …(4-6)
|𝄽_|その中つ| …(5-7)
|𝄽_|真火には当て| …(4-7)
|𝄽_|書き垂れ| …(4-6)
|しし| …7 coda

|かも𝄽_|見し児ら| …(4-6)
|かくも𝄽_|見し児に| …(5-6)
|現ただけだに𝄽_|向か居るかも| …(6-7)
|い副居るかも| …7 coda

極めて長いので、目がチラついて句をとばしそうだが、4拍2小節を続けて最後に1小節加える形式は保てる。:|♩♩♩𝄽| + |♩♩♩♩|
つまり、短(5±1) + 長(7±1)の12音素が一塊のフレーズとなっていて、その繰り返しが基本と云うこと。その中味は、修飾語(序詞/枕詞, 連用修飾, etc.) + 叙述言葉となっているように見える。
こう考えると、古式はバラバラだが、文字読み独立歌しか無い「萬葉集」の段階で、洗練されて形式が整ったという見方は避けた方がよいと思う。(天竺の口誦叙事詩も、文法・撥音が精緻そのもののサンスクリットの規則で文字化されているが、それは元となった言葉がそのような性情だったからで、逆ではない。話語を用いた歌には、厳格な規則があると見た方がよいと思う。)

そもそもバラバラなら、歌の冒頭句として、もう少し様々な言い回しがありそうに思うし。短-長フレーズで始めないと、リズムに乗れないということでは。・・・
[_23]📖御真木入日子はや 御真木入日子はや・・・御真木入日子はや
[_39]📖いざ吾君・・・
[_48]📖品陀の日の御子 大雀 大雀・・・

小生の眼で眺めると、短-長フレーズとコーダで構成されているとなるが、機械的に整理すれば、ちょっと目にはコーダがバラエティー豊かに感じかも知れない。そうなると、と納得感が得られないから、すこし触れておくことにした。・・・
≪定型≫
  coda【7】e.g. その八重垣を
≪準定型≫
  coda【8 9 or 複数句合体長句e.g. 尊く有りけり  妻が家の辺り
≪寸足らず型≫
  coda【6】e.g. 潜きせなわ  姉をし枕かむ
≪俗定型≫
  coda【3 4 5】e.g. 吾兄を  麻呂が父  磯伝いする
≪出雲型≫
  precoda【5-7】e.g. いしたふや 天馳せ遣ひ
    + coda【6-3-3】e.g. 事の語り 外面 此をば
  coda【3-6-3】e.g. 事の語り事も 此をば
≪新嘗型≫
  coda【3-6-3】e.g. 事の語り事も 此をば
≪あはれ型≫
  coda【7-8】e.g. 後も取り見る 思ひ妻あはれ
≪codaにさらに付加≫
  感嘆【7-3】e.g. 其の思ひ妻 憐れ
  対偶的追加【7】e.g. 国をも偲はめ  梓弓-真弓

但し、確かに例外タイプがある。総句数が偶数のもの。そのなかには、歌の途中で≪coda≫があるので、末尾の≪coda≫と合わせているものもあり、それは上記の部類である。
ところが、フレーズが連なるだけで≪無coda≫の歌がある。ただ、最後のフレーズ(短-長)を、coda【複数句合体長句】と見なせば、どうということはないが、余りに長いと妥当性は薄れる。
  [_36]浅小竹原腰難む📖
     …㊃(6-5)-(6-6)
  [_44]いざ子ども野蒜摘みに📖
     …⑯(5-6)-(5-7)-(4-7)-(4-6)-(4-7)-(5-5)-(4-7)-(5-4)
  [_61]三諸のその高城なる📖
     …㊇(4-7)-(7-5)-(5-5)-(7-9)
  [_62]つぎねふ山代女の木鍬持ち…根白📖
     …㊇(4-6)-(5-6)-(4-6)-(7-8)
  [_67]女鳥の吾が大王の📖
     …㊃(4-7)-(5-7)
  [_73]高光る日の御子諾こそ📖
     …⑫(5-4)-(5-5)-(4-5)-(5-6)-(4-7)-(5-6)
  [_75]枯野を塩に焼き📖
     …⑩(4-5)-(5-6)-(5-5)-(8-4)-(5-4)

ここらまでは、小生からすれば、実は、それほど"例外感"を覚えない。どうにも理解し難い例外は、こうした表現ではなく、フレーズが(短-長)でなく、逆の(長-短)になっている箇所。これではリズムが壊れてしまい叙事詩として成立し難いのではあるまいか。葬儀歌ならそれもわからないでもないが、それ以外でどうして、この様な表現をするのかはなはだ理解し難し。

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