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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.30] ■■■
[606]讀歌とはなんだろう
素人が<讀歌>の意味を考えると、"口誦を伴わなわずに創作された歌"としがちだが、辞書では、「琴歌譜」用語でもあるとされており、そのような見方はありえないようだ。

当たり障りのなさそうな、当て字解釈はあるが。・・・
  讀歌=吉歌≒寿ことほぎ
ただならぬ恋に堕ちて、結局は自死の道を選ぶしかなくなってしまったのに、こともあろうに、辞世の句で"寿ぐ"ことになるから、理解に苦しむところだ。儒教的道徳観念なら、禁断の恋に陥った者は即抹消すべきとなるから、自らそう決断されて実に目出度きということでもなかろうに。

もう一つは、一般的に通用している解釈で、無抑揚な朗唱方法用語と見なす。
ただ、辞世の歌を、何故に棒読みしなければいけないのか、浅学者には合点がいかない。と云っても、それ以外の見方も考えつかぬ。(小生は、朗読の対象は散文と思っていたが、それは間違いのようだ。)それに、讀歌よみうたと書かれれば、普通は、み歌の文字換えと考えるから、読むかのように朗誦した歌という考え方自体に違和感を覚えることもないし。

どの道、矛盾した用語扱いにするしかなさそう、と考えたところで、一見落着で済ましてもよいが(俚言「読みガルタ v.s. 歌ガルタ」とは、18世紀末だが、似て非なるもののたとえとされていたらしい。)、少しは自分の頭で考えてみたい気がしてきた。・・・

<讀>とは、句読点無しの漢字が並ぶ文章が記載してある書を、句で区切って口誦する行為を意味しているのでは。あくまでも、対象は書である。
書に詩歌集が入ってしまうのは定義上致し方ないが、重要なのはそんなことではなく、分句すること。
漢文では、一字一音素(小生の用語では、母国語として表現できる音の最小単位。)なので、7/5文字を並べれば、それだけで分句構造が完成。おのずからリズムを持つ詩の原型ができあがる。句毎に、意味ある語彙と助辞からなる文節状況を見れば、詩の全体像が分かってくる。
しかし、倭語は話語なので、文字言語の漢語とは、この点で根本的な差異が生じてしまう。
そもそも、五/七の音素という感覚が身についていなければ歌など詠めるものではない。ここが、現代人がわからない点だろう。指折り数えて俳句を「読む」のだから、感覚的に全く理解できまい。
「古事記」が対象とする歌はそのようなものではない。音素で表記すると、五音・七音でない字余り・字足らずの歌が結構存在するように見えるが、リズム感にズレがあると見るべきでない。指折り数えて歌を作る訳でもなければ、伝承歌を音素の数を意識しながら詠むことなどあり得ないと考えるべき。それこそが話語の特徴であり、表音音素文字化が極めて難しい理由でもある。

このことは、読歌とは、指折り数えて作られたかなり人工的な臭いがする歌であり、口誦する場合は音素を鮮明にした発音にすべし、と云うことになろう。曖昧化に繋がりやすい抑揚や音便的な連続音化は避けることになろう。
ある意味、それは情感が籠らない、ぶっきらぼうで無機質な印象を与えることになろうが、それが「古事記」成立時の社会の兄妹禁断の恋の受け取り方と考えることもできよう。現代とは全く違うのではなかろうか。社会が近代化されると、“死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。"という観念が入り込んでしまうのである。📖書評: 「襲いかかる聖書」

何故にこんなことを書き始めたかと言えば、発端は、袁祁王と志毘臣の歌垣掛け合いで、袁祁王のセンスを鄙的と見なしたから。📖鮪と大魚と揶揄するしかなかった 📖大和の雅を無視する鄙文化に喝采か
連続6首(#106〜#111)を眺めて判断したのだが、実はそれだけではない。その前に、針間国志自牟での1首が存在するからだ。正確に言えば、こちらが勝手に"歌"として1首と認定しているだけ。(#105)他と違って<歌曰>とされておらず<詠曰>。舞踊に伴う謡だから当然だが、その詞のうち後半の歌と思える部分を設定したのである。太安万侶は、境遇的に見て、歌を作れるまでの成熟度には達していないと判定したのでは。(<歌曰>記載にママ従うと、#105は歌ではなくなると共に、連続収録歌は1首と見なすことになる。)
そんなことを考えて、類似文字用例を眺めてみると、整然さに敬服の至り。ご覧あれ。・・・

<讀/讀/読>≪よ-む≫ [元義]讀書=誦書
      (↑フォントによって四と罒が峻別されない場合があります。)
月讀命
爾 吾蹈其上 走乍讀度・・・吾蹈其上 讀度來
⑲ [歌89]【木梨之輕太子】愛する同母妹の来伊予時
    隠口の 泊瀬山の 大峰には 幡張り立て 小峰には 幡張り立て 大峰にし 仲定める 思ひ妻あはれ 槻弓の 臥る臥りも 梓弓 猛り猛りも 後も取り見る 思ひ妻あはれ
  [歌90]【木梨之輕太子】心中に当たっての相思相愛確認
    隠口の 泊瀬川の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉なす 吾が思ふ妹 鏡なす 吾が思ふ妻 有りと言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ
故此二歌者 讀歌

<詠>≪よ-む≫≪うた-ふ≫≪なが-む≫
【序文漢文】儛詠停於都邑
⑩ 爾 少女答曰:「吾勿言 唯爲詠歌耳」
⑮ [歌49]【吉野之國主等】<獻大贄之時>皇嗣即位前に新酒贈呈
   檮の生に 横臼を作り 横臼に 醸みし大御酒 美らに 聞こし以ち食せ 麻呂が父
   此歌者國主等 獻大贄之時時 恒至于今 詠之歌者也
㉒ 爾遂兄儛訖 次弟將儛時 爲詠曰

<誦>≪よ-む≫≪となえ-る≫
【序文漢文】
爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心  令誦習帝皇日繼及先代舊辭
詔臣安萬侶撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭


<訓>≪よ-む≫≪おしえ-る≫
【序文漢文】
已因訓述者詞不逮心  或一句之中交用音訓 或一事之內全以訓錄
【割注】
訓〜下〜云〜/訓〜云〜/訓〜亦如上/訓〜如〜/訓〜以音/訓云〜

<歌>≪うた-ふ≫  [借訓]歌方ウタカタ
  <唱>…非使用   [正訓]ウタフ
  <唄>…非使用
  <吟>…非使用
  <謳>…非使用
  <謡>…非使用
【序文漢文】聞歌伏仇  開夢歌而相纂業
【名称@地文⑪歌凝比賣命
113首の「歌」についてはすでに眺めた。・・・
📖上巻所収歌9首検討
爾作御歌 其歌曰[1]【速須佐之男命】
到其沼河比賣之家 歌曰[2]【八千矛神(大国主命)】
未開戶 自内歌曰[3-4]【沼河日売】
片御足蹈入其御鐙 而 歌曰[5]【大国主命】
爾其后 取大御酒坏 立依指擧而 歌曰[6]【須勢理毘賣命】
 如此歌 即爲"宇伎由比" 而
 "宇那賀氣理弖" 至今鎭坐也 此謂之神語也
歌曰[7]【伊呂妹 高比賣】
 此歌者 夷振也
獻歌之 其歌曰[__8]【豊玉比売】
歌曰[9]【比古遲】
📖中巻初代天皇段所収歌13首検討
此時歌曰[10]【自軍兵】
誨其膳夫等曰 聞歌之者一時共斬 故明將打其土雲之歌曰[11]【久米人】
 如此歌 而 拔刀 一時打殺也
然後將撃登美毘古之時 歌曰[12]【久米人】
歌曰[13]【久米人】
歌曰[14]【久米人】
又撃兄師木 弟師木之時 御軍暫疲 爾歌曰[15]【久米人】
以歌白於天皇曰[16]【大久米命】
以歌答曰[17]【天皇】
見其大久米命黥利目 而 思奇歌曰[18]【伊須氣余理比賣】
爾大久米命答歌曰[19]【大久米命】
參入宮内之時 天皇御歌曰[20]【天皇】
其御祖伊須氣余理比賣患苦 而 以歌 令知其御子等 歌曰[21]【伊須氣余理比賣】
歌曰[22]【伊須氣余理比賣】
📖中巻10代天皇段唯一の所収歌検討
罷往於高志國之時 服腰裳少女 立山代之幣羅坂 而 歌曰[23]【少女】
  ・・・爾 少女答曰:「吾勿言 唯爲詠歌耳」
📖中巻の倭建命関連所収歌15首検討
打殺出雲建 爾 御歌曰[24]【倭建命】
爾 其后歌曰[25]【(后)弟橘比賣命】
出甲斐坐酒折宮之時 歌曰[26]【倭建命】
爾 其御火燒之老人 續御歌以歌曰[27]【御火燒之老人】
故 見其月經御歌曰[28]【倭建命】
答御歌曰[29]【美夜受比賣】
所忘其地御刀 不失猶有 爾 御歌曰[30]【倭建命】
思國以歌曰[31]【倭建命】
歌曰[32]【倭建命】
 此歌者 思國歌也
歌曰[33]【倭建命】
 此者 片歌也
此時御病甚急 爾御歌曰[34]【倭建命】
 歌竟 即 崩
哭爲歌曰[35]【倭建命后御子等】
忘其痛以哭追 此時歌曰[36]【倭建命后御子等】
又 入其海鹽 而 "那豆美"行時歌曰[37]【倭建命后御子等】
又 飛居其磯之時 歌曰[38]【倭建命后御子等】
 是四歌者 皆歌其御葬也
 故 至今其歌者 歌天皇之大御葬也
📖中巻末15代天皇段所収歌14首検討
乘船浮海歌曰[39]【忍熊王】
其御祖 息長帶日賣命 釀待酒以獻 爾其御祖御歌曰[40]【神功皇后】
 如此歌 而 獻大御酒
爾 建内宿禰命 爲御子答歌曰[41]【建内宿禰】
 此者 酒樂之歌也
望葛野 歌曰[42]【天皇】
任令取其大御酒盞 而 御歌曰[43]【天皇】
於髮長比賣令握大御酒柏 賜其太子 爾 御歌曰[44]【天皇】
又御歌曰[45]【天皇】
 如此歌 而 賜也
故 被賜其孃子之後 太子歌曰[45]【天皇】
歌曰[46]【(太子)大雀命】
瞻大雀命之所佩御刀 歌曰[48]【吉野之國主等】
獻其大御酒之時 撃口鼓爲伎而歌曰[49]【吉野之國主等】
 此歌者 國主等 獻大贄之時時 恒至于今 詠之歌者也
"宇羅宜"是所獻之大御酒 而 御歌曰[_50]【天皇】
 如此之歌 幸行時 以御杖打大坂連中之大石者・・・
令傾其船 墮入水中 爾乃浮出 隨水流下 即流曰歌[51]【大山守命】
爾 掛出其骨之時 弟王歌曰[52]【宇遅能和紀郎子】
📖下巻冒頭16代天皇段所収歌23首検討
望瞻其K日賣之 船出浮海以 歌曰[53]【天皇】
 故大后 聞是之御歌 大忿・・・
幸行之時 坐淡道嶋 遙望歌曰[54]【天皇】
天皇到坐 其孃子之採菘處 歌曰[55]【天皇】
天皇上幸之時 K日賣獻御歌曰[56]【黒比売】
歌曰[57]【黒比売】
上幸山代 此時歌曰[58]【大后】
即自山代廻 到坐那良山口 歌曰[59]【大后】
 如此歌 而 還
使舍人 名謂鳥山人 送御歌曰[60]【天皇】
又 續遣丸邇臣口子 而 歌曰[61]【天皇】
歌曰[62]【天皇】
 故是口子臣 白此御歌之時 大雨・・・
口日賣仕奉大后 故 是口日賣歌曰[63]【口日売】
爾 天皇 御立其大后所坐殿戶 歌曰[64]【天皇】
 此天皇 與 大后 所歌之六歌者 志都歌之歌返也
天皇 戀八田若郎女 賜遣御歌 其歌曰[65]【天皇】
爾 八田若郎女答歌曰[66]【八田若郎女】
爾天皇歌曰[67]【仁徳天皇】
女鳥王答歌曰[68]【女鳥王】
其夫速總別王 到來之時 其妻女鳥王歌曰[69]【女鳥王】
 天皇聞此歌 即 興軍欲殺
騰于倉椅山 於是速總別王歌曰[70]【速總別王】
歌曰[71]【速總別王】
爾召建内宿禰命 以歌問雁生卵之状 其歌曰[_72]【天皇】
於是建内宿禰 以歌語白[_73]【建内宿禰】
被給御琴 歌曰[_74]【建内宿禰】
 此者 本岐歌之片歌也
作琴 其音響七里 爾 歌曰[75]【人々】
 此者 志都歌之歌返也
📖下巻17代天皇所収歌3首検討
故 率逃於倭 爾 天皇歌曰[76]【天皇】
望見難波宮 其火猶炳 爾 天皇亦歌曰[77]【天皇】
自當岐麻道 廻應越幸 爾天皇歌曰[78]【天皇】
📖下巻軽王・軽大郎女所収歌12首検討
奸其伊呂妹輕大郎女 而 歌曰[79]【木梨之輕太子】
 此者 志良宜歌也
歌曰[80]【木梨之輕太子】
 此者 夷振之上歌也
零大氷雨 故 歌曰[81]【穴穂命】
擧手打膝 儛"訶那傳"歌參來 其歌曰[82]【大前小前宿禰】
 此歌者 宮人振也 如此歌參歸
其太子 被捕歌曰[83]【木梨之輕太子】
歌曰[84]【木梨之輕太子】
亦將流之時 歌曰[85]【木梨之輕太子】
 此三歌者 天田振也
歌曰[86]【木梨之輕太子】
 此歌者 夷振之片下也
其衣通王 獻歌 其歌曰[87]【軽大郎女】
追往時 歌曰[88]【軽大郎女】
故 追到之時 待懷而歌曰[89]【木梨之輕太子】
歌曰[90]【木梨之輕太子】
 如此歌 即共自死 故 此二歌者讀歌
📖下巻21代天皇段所収歌14首検討
還上坐於宮之時 行立其山之坂上歌曰[91]【天皇】
 即 令持此歌 而 返使也
不得成婚 而 賜御歌 其歌曰[92]【天皇】
歌曰[93]【天皇】
答其大御歌 而 歌曰[94]【赤猪子】
歌曰[95]【赤猪子】
 故此四歌 志都歌也
爾因其孃子之好儛 作御歌 其歌曰[96]【天皇】
於是作御歌 其歌曰[97]【天皇】
故天皇 畏其宇多岐 登坐榛上 爾 歌曰[98]【天皇】
逃隱岡邊 故作御歌 其歌曰[99]【天皇】
其婇白 天皇曰 莫殺吾身 有應白事 即 歌曰[100]【三重の采女】
故 獻此歌者 赦其罪也 爾 大后歌 其歌曰[101]【大后】
即 天皇歌曰[102]【天皇】
 此三歌者 天語歌也
獻大御酒之時 天皇歌曰[103]【天皇】
 此者 宇岐歌也
爾 袁杼比賣獻歌 其歌曰[104]【袁杼比売】
 此者 志都歌也
📖下巻末23代天皇関連所収歌9首検討
詠曰[105]【即位前天皇】
平群臣之祖 名志毘臣 立于歌垣・・・爾 袁祁命亦立歌垣 於是 志毘臣歌曰[106]【志毘臣】
 如此歌
而 乞其歌末之時 袁祁命歌曰[107]【即位前天皇】
爾志毘臣 亦歌曰[108]【志毘臣】
於是 王子 亦歌曰[109]【即位前天皇】
爾 志毘臣 愈怒歌曰[110]【志毘臣】
 如此歌 而 鬪明各退
爾 王子 亦歌曰[111]【即位前天皇】
爾 作御歌 其歌曰[112]【天皇】
天皇見送 歌曰[113]【天皇】

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