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■■■ 「古事記」解釈 [2023.2.13] ■■■
[歌の意味18]丸邇臣の扱い
和爾ワニ/和珥/丸爾氏には数多くの枝氏があるそうだ。…春日氏 小野氏(小野妹子 小野篁 小野小町 小野道風) 柿本氏(柿本人麻呂) 粟田氏(粟田真人) 大宅氏 櫟井氏 山上氏(山上憶良) 布留氏/石上神社社家
換言すれば、政治の表舞台に登場することを目指すための仕組みでもある、"嫡流"とか"宗家"観念に乏しい氏族ともいえよう。にもかかわらず、天皇妃を数多く輩出している。ところが、御子が即位に至った例は一つも無く、高貴で知的水準が高い氏族として扱われていたようだ。

枝氏が多いし独立しているように見受けられるので、本貫地という概念がありそうにも思えないが、石上神宮の北方が同族の会合地として機能していたようだ。集結すれば、数的に一大勢力になるが覇権者然と見えることは嫌っているようにも見える。そうだとすれば、天皇奉仕の取り決めを検討することに主眼が置かれていた一族会議体である可能性が高そう。
【奈良盆地東部】
 和爾坐赤坂比古神社@天理和爾北垣内
   [東大寺山古墳/赤土山古墳etc.]
 和爾下神社@天理櫟本宮山
【比叡山東麓 志賀和邇春日】
 琵琶湖西岸和邇川/志賀(@大津 隣接:小野の和邇大塚山古墳)
 小野神社@大津小野
--- 山代 宇治〜愛宕〜紀伊 ---
【京都粟田口】
 山代愛宕粟田
【巨椋池時代の旧京都盆地東辺---宇治木幡】
 宇治神社[宇遅能和紀郎子] & 宇治上神社[宮主矢河枝比売]

・・・突然、歌の話に、氏族の系譜話を持ち出すのもどうかなとは思ったが、全体を眺めると、和爾についてかなり語っていることがわかるので、注意して眺めておく必要がありそうと考えた。
それに、「今昔物語集」で気になる話を読んでいたせいもある。・・・
[巻三十一【本朝世俗部】付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)#36]近江国鯉与鰐戦語📖
[巻十六【本朝仏法部】付仏法(観世音菩薩霊験譚)#16]山城国女人依観音助遁蛇難語(蟹譚)📖

ざっと眺めておこう。
 上巻登場の"和爾"は鰐/鱷crocodile🐊である。
(すでに何回も書いてきたが、無頸で陸上を匍匐できない鮫とする説は頂けない。言うまでもないが、平安期の辞典でもワニとサメが別な語彙として認識されているし。余談ながら、日本海ができる前の隠岐(歯の化石)と松江(足跡の化石)には鰐が存在していた。尚、鰐の歯はナイフでなく、スパイクなので、鮫と違って泳ぎが大変お上手な鰐君へのご褒美に小刀を進呈する話は実に気が利いている。)
三輪山のご神体は穴を通り抜けることで蛇体であることを示唆しているが、和爾坐赤坂比古神社のご神体も、もともとは皇統譜上女系の始祖たる鰐体だった可能性があろう。この地の赤土信仰とは、そこらが係わっているのかも。
≪大穴牟遲~の稻羽裸菟への教告≫
 「僕在淤岐嶋
  雖欲度此地無度 因故 欺海
"和邇"言・・・」
≪天津日高之御子虛空津日高を送奉≫
 故爾 告其一尋和邇
 「然者汝送奉若渡海中時無令惶畏」
 卽 載其
和邇之頸送出
 故 如期一日之內送奉也
 其和邇將返之時 解所佩之紐小刀著其頸 而 返
 故 其一尋和邇者於今謂<佐比持~>也

≪海~之女豐玉毘賣命の御子出産≫
 於是 思奇其言竊伺其方產者 化八尋和邇匍匐委蛇
  <火遠理命/天津日高日子穂々手見命/山佐知毘古/虚空津日高>
     +<豊玉毘売命[八尋和邇]>…2首

和邇の話はここで絶えてしまうが、豐玉毘賣命が帰還した海神の宮との歌の交流が可能だったとすれば、和邇が伝達役を果たしたと考えるしかない。ワニ臣とは斯様な存在であると想定したくなる仕掛けかも。
太安万侶は注意深い記載に徹しているのではっきりしないが。
ここまでの魚的爬虫類は"和邇"だが、同音のワニ臣の方は"丸邇臣"と文字表記を変えている。

㊥⑤⑦⑨…事績記載なき箇所 当然無歌
⑤天皇の[皇子]天押帯日子(祖:春日臣・大宅臣・粟田臣・小野臣・柿本臣・壱比葦臣・大坂臣・阿那臣・多紀臣・羽栗臣・知多臣・牟耶臣・都怒山臣・伊勢飯高君・壱師君・近淡海国造)…枝氏だらけだが、ワニ臣だけ記載無し。
⑦天皇の[妃]春日之千千速眞若比賣(系譜不詳 ー[皇女]千千連比売命)…枝氏の春日だが、ワニ臣との関係不明。
⑨天皇の[妃]意祁都比売命(丸邇臣先祖 日子国意祁都命の妹)…ワニ臣初出。
  [皇子]日子坐王
    [皇子妃]山代 荏名津比売/苅幡戸弁
     ⇒"蟹の恩返し"蟹満寺@蟹[≒苅]幡郷(木津川山城)
    [皇子妃]沙本大闇見戸売(春日 建国勝戸売の息女)
    [皇子妃]息長水依比売(近江 御上祝が斎する天之御影神の息女[姉])
    [皇子妃]袁祁都比売命(近江 御上祝が斎する天之御影神の息女[妹])
ワニ氏族発祥時代に、すでに、山代では、蟹とのなんらかの関係があった可能性を示唆している。

㊥⑩…初國之御眞木天皇 "爾 天下太平 人民富榮"
[_23]御真木入日子はや📖
  山代國我之庶兄建波邇安王の邪心に対し[大毘古命+丸邇臣之祖 日子國夫玖命]が鎮圧。
  丸邇坂 忌瓮を据える。

天皇の叔父と伯父の戦闘勃発だが、戦勝祈願をわざわざ丸邇坂で行う必要があるのだから、この地域の実質的支配者はワニ臣ということか。
📖
└─┬─△
├○
├○大毘古命
📖
┼┼└┬─△
┼┼┼├⑩御眞木入日子印惠命📖
┼┼┼└△

└─┬─△
┼┼└○建波邇安王
<反逆すれど敗退した忍熊王 琵琶湖で最期>…1首
[_39]いざ吾君振熊が📖
  此時忍熊王 以 難波吉師部之祖 伊佐比宿禰 爲將軍
  太子御方者 以
丸邇臣之祖 難波根子建振熊命 爲將軍
  故 追退到山代之時 還立各不退相戰


㊥⑮
⑮天皇
└┬宮主矢河枝比売(丸邇比布礼能意富美の娘)※↓
│├─[皇嗣]宇遅能和紀郎子
│├─八田若郎女…⑯天皇妃
│└─女鳥王…⑯天皇求婚 拒絶⇒速総別王と結婚
└┬袁那弁郎女(矢河枝比売の妹)
┼┼└─宇遅之若郎女…⑯天皇妃
※↑橿原の軽の宮から宇遅野経由で近淡海国行幸し、丸邇(=和邇)の係累を娶ることになる。宴席での婚姻歌は、蟹(迦邇)の恋歌であり、楽浪路で運ばれて来た越前蟹での酒宴と想定される。かつて皇太子時代、激戦を制した後、禊のために建内宿祢命に連れられ、淡海(近江)、若狭国を経由し角鹿(敦賀)の行宮に至り、滞在した話と繋がっているのだろうか。
<国見寿ぎ>1首
[_42]千葉の葛野を見れば📖
<妃獲得の喜びを宴席で表明>…1首
[_43]この蟹やいづくの蟹📖

⑮天皇崩御後 大山守命 v.s. 宇遅能和紀郎子の皇位争奪闘争が勃発。ワニ系の宇治勢力が勝利することになる。
[_52]千早人宇遅の済に渡り瀬に📖
結局のところ、大山守命の動きを皇嗣に伝えた大雀命が皇位継承を実現するのだが。
ちなみに、宇治の野は莵狩り最適地である。と云っても、ワニ系の経済活動は山野ではなく、水利交通にあるようだが。

㊦⑯
⑯天皇は父の皇女のワニ系の八田若郎女にご執心で大后に宮から出奔され往生し、遣いを出す。
  又續遣 丸邇臣口子 而 歌曰
[_61]三諸のその高城なる📖
  口子臣之妹 口日賣皇后に天皇の使者に会って欲しい旨懇願・・・
[_63]山代の筒木の宮に📖
葛城勢力を光背に祭祀実権を握る大后の女官として丸邇臣の娘が仕えていたことがわかる。
求婚拒絶に直面させられた女鳥王もワニ系と考えるべきだろう。
[_67]女鳥の吾が大王の📖

㊦⑱…身体的特徴記載のみで事績記載なじ。当然、無歌。
⑱天皇の[皇后&妃]都怒郎女(丸邇の許碁登臣の女) & 弟比売(〃)

㊦㉔
の[妃]糠若子郎女(丸邇日爪臣の女)⇒[皇女]春日山田郎女

かなり、力を入れて丸邇臣について記述しているように思えてくる。繰り返すが、天皇が娶る女性を抱えているものの、御子が即位に至った例は一つも無いという点は重要で、皇位継承紛争に巻き込まれない算段というよりは、貴種としての天皇の血筋を維持するために力を尽くしたと見た方が当たっていそう。・・・天皇の皇女は、天皇を含む一族内の娶る対象であって、外部氏族との婚姻はありえず、天皇が皇女姉妹を娶るのは慣習ともいえよう。婚姻亡き場合は独身で過ごすことにならざるを得ない。同腹兄妹婚は禁忌ではあるものの、このような環境下では特殊な出来事という訳ではなさそうな気もする。軽太子<禁断の情事悲恋物語>に人気があるのは、そのような状況を勘案してのことだろう。(皇后が非皇族となるのは下巻からではないか。)
ワニ氏族は、本来的には、皇族内婚姻関係の範囲で皇嗣が選ばれるべきという考え方に徹しているのかも。📖皇統譜非記載皇女が何を意味しているのか

ワニ氏族が表に出てくるのは、難波根子建振熊命くらいで、専門性が高くインターナショナルな関係性を持つ中央官僚タイプの人々が多かったということなのだろう。太安万侶とは肌合いが合っていそうである。

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