→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.26] ■■■ [241] 動物ジャータカ 動物譚が極めて多く[→]、そこが心に響くのだと思われる。 動物譚は童話的になんらかの寓話とされやすく、比喩的な表現と理解されがち。現代人なら、そうなるのは致し方無いが、信仰を生み出す書として眺めるように努力しないと、書物全体の意義が攫み取りずらくなる。 それは、信仰とは、どのようなものかわからなくなっているからでもあろう。例えば、現代文明から隔離された生活をしている人に、食禁忌となっている祖先とされる動物の肉が誤って入ってしまった食事をしたりすると、死んでしまうことがあることは、昔からよく知られている。外見上は自殺とみなせないが、意志の力で死ぬことができると考えるしかない。 高等教育を受けた極く普通の人でも、鯛焼きさえ食べることができない断魚食の人がいたりする。 ヒトの観念とは、そのようなもの。 その辺りを感づかせるための、ジャータカを見ておこう。 魚を食べるというころは、魚からお布施を頂戴したのですゾということ、という単純な説話とも言えるが。・・・ 《大魚布施》🐟[→ジャータカ魚] 【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚) ●[巻五#29]五人切大魚肉食語 天竺の海浜。 大魚が寄って来た。 そこに、道行の5人の山人がいた。 その大魚を見つけたので、捕獲して肉を切り取り、 皆で食べた。 其れを始として、 世の人、御名聞き継て来て、 此の魚の肉を切取て食てけり。 魚は、今の釈迦仏。 大魚に化身し、山人に肉を与えたのである。 そして教化し仏道に精進させた。 その五人とは、 拘隣比丘・馬勝比丘・摩訶男・十力迦葉・拘利太子。 《盧盧鹿》[#482][→ジャータカ鹿] ●[巻五#18]身色九色鹿住山出河辺助人語 ⇒「佛説九色鹿経」 佛言: 「昔者,菩薩身為九色鹿; 其毛九種色,其角白如雪,常在恒水邊飲食水草, 常與一烏為知識。」 : 彼の九色の鹿は、今の釈迦仏に在ます。 心を通せし烏は、阿難也。 后と云ふは、今の孫陀利也。 水に溺れたりし男は、今の提婆達多也・・・。 《養母象》[#455]🐘[→ジャータカ象] ●[巻五#26]天竺林中盲象為母致孝語 ⇒玄奘:「大唐西域記」巻第九 摩掲陀国マカダ 親孝行話である。 其の象の子と云は、今の釈迦仏に在ます。 菩提樹の東に、尼連禅那河を渡て、大なる林有り。 其の中に卒都婆有り。 其の北に池有り。 其の所になむ此の盲象は住ける 狐譚は巻二十七に沢山あるが[→]、天竺の狐とはジャッカル。 《一切牙》[#241][→ジャータカジャッカル] ●[巻五#20]天竺狐自称獣王乗師子死語 「凡そ、人も獣も心を高く仕へば、物の王と成る」との読経を耳にし、 狐は獣の王を目指す。 先ずは、狐を従えてその上に乗り、次は犬。 さらに、虎・熊。そして、象。 さらには、獅子の上に乗ろうと図る。 《狐借虎威》🐅[→ジャータカ虎] ●[巻五#21]天竺狐借虎威被責発菩提心語 天竺に一の国有り。 一の山有り。 其の山に、一の狐住む。 亦、一の虎住む。 ジャッカルは、獅子の威力を借りているのに自分の力と勘違いして、諸々の獣を脅す。それを知った獅子に襲われ、逃げて深い穴に落ち死に直面。薩埠王子は虎に自身を施したとの菩提心(捨身飼虎)を思いおこし、文殊菩薩と帝釈天の化身である仙人に穴から引き揚げてもらうが、助かるとそんなことは忘却の彼方。 そこで、脅されると、思い出す。 そこで仙人は慈悲の心ということで狐を讃める。 「汝ぢ、一念の菩提心を発せるに依て、 命終して後、釈迦仏の御世に、菩薩と成て、二の名を得べし。 一は大弁才天と云ふ。 二は堅牢地神と云ふべし。 八万四千の鬼神を仕卒として、一切衆生に福を授くべし」 《雲馬》[#196]🐎[→ジャータカ馬] ●[巻五#_1]僧迦羅五百人商人共至羅刹国語[→羅刹鬼] ⇒玄奘:「大唐西域記」巻第十一僧伽羅国シンガラ=セイロン島 "天竺 付仏前"の巻冒頭はセイロンの話から始まる。 僧迦羅と五百人の商人が南海に出て流され、 上陸した島は美女が住む。 その正体は羅刹鬼。 訪門者を夫として愛するが、 それは新たな商人船がやって来る迄。 前夫達は脚の筋を切断されてに閉じ込められ、 日々の食とされるのである。 そのため、死体だらけ。 それを知った僧は、 女達が昼寝をしている最中に 商人達と浜に出て、 補陀洛の観音菩薩に念ずると 沖から白馬が走って来て全員逃げることができた。 その後、かつての妻が僧迦羅羅を尋ね 撥ねつけられたので王宮に。 美しさで国王を虜にし、食って逃げてしまう。 息子の新国王は、 僧迦羅に2万の軍勢をつけ平定させた。 すべてを一掃したその國を 僧迦羅が治めることになった。 《師子》👑[→ジャータカ師子] ●[巻五#14]師子哀猿子割肉与鷲語[→子攫い鷲] [→猿譚] 親猿が罹病し、死を目前にして、可愛い子を、同じ森に住む獅子に養育を頼みこむ。その情に応え、育てていたが一寸目を離した隙に、鷹に奪わてしまう。親猿から頼まれた子だから返してくれと頼むものの鷹は餌であるからと受け入れらず。仕方ないので、自分の腿の肉を削って、子猿を救う。 師子と云ふは、今の釈迦仏け、此れ也。 其の雄猿と云は、今の迦葉尊者也。 雌猿と云は、今の善護比丘尼也。 二の猿の子と云は、今の阿難・羅睺羅也。 鷲と云は、今の提婆達多此れ也・・・ 以下は良く知られている話だろう。 《亀放生》🐢[→ジャータカ亀] ●[巻五#19]天竺龜報人恩語[→亀譚] 《亀落地》[#215]🐢[→ジャータカ亀] ●[巻五#24]龜不信鶴教落地破甲語[→空飛ぶ亀] 《猿の生き胆》[##57, 208, 342]🐒[→ジャータカ猿] ●[巻五#25]龜為猿被謀語[→亀譚] 《月中兔》[#316]🐇[→ジャータカ兔] ●[巻五#13]三獣行菩薩道兎焼身語[→月中之兔] [→猿譚] (後半欠文) (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |