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■■■ 「古事記」叙事的訓読 ■■■ 中巻🈜段立 初代天皇譚はバラエティに富む。 しかし、それは歴史書的な、事績をピックアップして羅列した上で、重要度に応じた様態記述を行うといった編纂方式とは全く違っている。配列に、措定された流れが見て取れるからだ。流石、712年成立という、新しい作品だけのことのことはある。
神統譜/皇統譜の口誦叙事を骨格とした事績収載にしては驚くほど完成度が高いと云えよう。ある意味、仏教セントラル・ドグマの因果律を土台にして、全面ストーリー化させている様にも思えてくる程。ところが、その一方で、<歌>の完成度は矢鱈に低い。「萬葉集」の場合は、それぞれ独立した作品として鑑賞可能であり、そこから抒情的感興が自然と湧き騰がるレベルに達しているのとは大違い。「古事記」収録歌のほとんどは独立作品として通用しがたい代物で、地文と一体化していると考えざるを得ない。叙事とはそういう先品であるべしとの、強烈な主張を感じさせる仕上がり。
要するに、歌も地文も、リズムを重視した謳いにこそ意味ありとの考え方が徹底しているということではなかろうか。
そうだとすれば、巻建⇒章建⇒段建ての構造を味わうことこそが、「古事記」読みの大原則であると考えるべきではないか。
王朝年代紀とか、神話アンソロジーの類ではないという事で。
どういうことかわかりずらいので、具体例で説明しておこう。
児童文学者の鈴木三重吉:「古事記物語(上・下巻)」赤い鳥の本 1920年は11万字弱しかなく、アッという間に読めるのでえらく重宝。しかしながら、それは「ガリバー旅行記」の絵本化のようなもの。それはそれ、芥川龍之介作品の翻意モノ的意義はあるものの、太安万侶:「古事記」の本質とは縁もゆかりもないと見た方がよい。 そもそも、巻や段建てが全く異なっているし、表題が原著の皇統譜の意味を消し去る手の書き方。・・・ ≪満潮の玉、干潮の玉≫ ≪八咫烏≫ 一 鵜茅草葺不合命は、 ご成人の後、玉依媛を改めてお妃にお立てになって、四人の男のお子をおもうけになりました。 ・・・//・・・五瀬命が、・・・とうとうそれなりおかくれになりました。 二 神倭伊波礼毘古命は、 そこからぐるりとおまわりになり、同じ紀伊の熊野という村にお着きになりました。 ・・・//・・・それでいよいよ大和の橿原宮で、 われわれの一番最初の天皇のお位におつきになりました。 神武天皇とはすなわち、この貴い伊波礼毘古命のことを申しあげるのです。 三 天皇は、 はじめ日向においでになりますときに、阿比良媛という方をお妃に召して、 ・・・//・・・天皇はご短命で、おん年四十五でお隠れになりました ≪赤い盾、黒い盾≫
㊤🈝 ⥥ ❼火照命 ⥥ ⑥以鵜羽爲葺草造產殿 📖赤瓊は緒さへ光れど 📖沖津鳥鴨著く島に ❽天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 ㊥🈜 ❶~倭伊波禮毘古命 ㊀高千穗宮 ㊁上幸而上幸 ㊂五瀬命崩 ㊃布都御魂・八咫烏 ㊄贄持之子・井氷鹿・石押分之子 ㊅宇迦斯 ㊆道臣命・大久米命 📖宇陀の高城に鷸羂張る ㊇拔刀一時打殺生尾土雲八十建 📖みつみつし久米の子等が頭椎い 📖みつみつし久米の子等が粟生には 📖みつみつし久米の子等が垣下に 📖神風の伊勢の海の 📖盾並めて伊那佐の山の ㊈邇藝速日命 ㊉娶阿比良比賣 ㊉㊀娶比賣多多良伊須氣余理比賣 📖大和の高佐士野を 📖姉をし枕かむ 📖何故黥ける利目 📖吾が黥ける利目 📖葦原の穢しき小屋に ㊉㊁[庶兄]當藝志美美命 📖狭井川よ雲立ち渡り 📖畝傍山昼は雲と居 ㊉㊂[御子]兄~八井耳命・弟~沼河耳命 ㊉㊃御陵
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