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■■■ 「古事記」解釈 [2023.1.30] ■■■
[歌の意味4]挽歌
"挽歌"とは「萬葉集」で歌分類用語。相聞(恋歌)、雜歌(各種祭祀)と並ぶ設定。
(漢語"輓歌/挽歌"であり、喪車を引くとか、柩を挽くという意味であろう。殯儀式なら<誅>歌が一番ふさわしいし、単なる抒情なら<哀傷>歌とすべきだろうが、概念的に合わなかったのだろう。換言すれば、死者哀悼歌=挽歌ではないことになる。)
「萬葉集」所収歌は総計で200首を越すらしいが、巻二のように、題詞に挽歌とある訳ではない歌が結構含まれている。編集者が勝手に分類して集めたと言えなくもなさそうだが、浅学者にはその辺りを検討する力はない。

「古事記」で、このジャンルに該当するのは、<大御葬儀>歌との名称とされている4首。
倭建命崩御後の倭建命后御子等の歌である。

「古事記」の葬儀シーンは、他には、上巻の伊邪那美命@黄泉国と天若日子@出雲しかなく、前者は遺骸腐乱が描かれているだけだし、後者は喪屋での鳥装儀式だろうから、<大御葬儀>解釈の参考にはならないので、どういう意味の歌なのか想像がつきにくい。

ただ、このような、歌に詠みこまれる仕草は、儀式ではあるものの、亡き人と今一度逢いたいという感覚があるからこそ成り立っていると見て間違いないだろう。死者が異界へと旅経ってしまい、過去の人となってしまうことは耐え難いという気持ちがその根底に横たわっていると見てよさそう。
  e.g.[「萬葉集」巻二#149](天智)天皇崩後之時倭太后御作歌一首
  人はよし 思ひやむとも 玉葛 影に見えつつ 忘らえぬかも
   人々はもうこれで十分と思って止めてしまうのでしょうが
   吾には (神々しい)玉葛の様に その御姿が見えているので
   忘れることなど とてもできないのです


---INDEX---(ご注意)歌番号はテキストに従っておりません。   《中巻倭建命関連》…15首(#24〜38) 📖
<出雲健騙し討ち成功で得意三昧>…1首
[_24]【倭建命】やつめさす出雲建が📖
<妻の身を捧げる愛>…3首
[_25]【(后)弟橘比賣命】さねさし相武の小沼に📖
[_26]【倭建命】新治筑波を過ぎて📖
[_27]【御火燒之老人】日々並べて夜には九夜📖
<東征完了後帰還し かねての約束通り初夜>…2首
[_28]【倭建命】久方の天香久山📖
[_29]【美夜受比賣】高光る日の皇子八隅知し📖
[番外]【倭建命】三歎詔吾妻はや📖
<辞世的に、最後の気力で心持発露>…5首
[_30]【倭建命】尾張に直に向かへる📖
[_31]【倭建命】倭は国のまほろば📖
[_32]【倭建命】命の全けむ人は📖
[_33]【倭建命】はしけやし我家の方よ📖
[_34]【倭建命】少女の床の辺に📖
<葬儀で遺族は深い悲しみに陥る>…4首[大御葬儀歌]
[_35]【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>水漬きの田の稲柄に📖
[_36]【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>浅小竹原腰難む📖
[_37]【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>海処行けば腰難む📖
[_38]【倭建命后御子等】<大御葬儀歌>浜つ千鳥浜由は行かず📖

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