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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.22] ■■■
[266] 玄奘収集ジャータカ集
【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)のおよそ半分は動物の寓話のようなもの。
ということで、パーリ語ジャータカ的なものはすでに眺めてみた。[→動物ジャータカ]
《大魚布施》🐟[→ジャータカ魚]
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#29]五人切大魚肉食語
《盧盧鹿》[#482][→ジャータカ鹿]
  [巻五#18]身色九色鹿住山出河辺助人語
  ⇒「佛説九色鹿経」
《養母象》[#455]🐘[→ジャータカ象]
  [巻五#26]天竺林中盲象為母致孝語
  ⇒玄奘:「大唐西域記」九 摩掲陀国マカダ
《一切牙》[#241][→ジャータカジャッカル]
  [巻五#20]天竺狐自称獣王乗師子死語
《狐借虎威》🐅[→ジャータカ虎]
  [巻五#21]天竺狐借虎威被責発菩提心語
《雲馬》[#196]🐎[→ジャータカ馬]
  [巻五#_1]僧迦羅五百人商人共至羅刹国語[→羅刹鬼]
  ⇒玄奘:「大唐西域記」十一僧伽羅国シンガラ=セイロン島
《師子》👑[→ジャータカ師子]
  [巻五#14]師子哀猿子割肉与鷲語[→子攫い鷲] [→猿譚]
《亀放生》🐢[→ジャータカ亀]
  [巻五#19]天竺龜報人恩語[→亀譚]
《猿の生き胆》🐒[→ジャータカ猿]
  [巻五#25]龜為猿被謀語[→亀譚]
《月中兔》🐇[→ジャータカ兔]
  [巻五#13]三獣行菩薩道兎焼身語[→月中之兔] [→猿譚] (後半欠文)

上記の《養母象》《雲馬》はパーリ語ジャータカだけではなく、玄奘:「大唐西域記」にも収録されている。定番モノなのだろう。

動物譚ではないが、パーリ語ジャータカも巻五には収載されている、久米仙人的な面白話ということで、人気話になっている。
《一角仙人》
 [→ジャータカ"一角仙人"(#526那利伽王女)]
  [巻五#_4]一角仙人被負女人従山来王城語
  ⇒玄奘:「大唐西域記」二 健邏国ガンダーラ

当然ながら、玄奘が取り上げているジャータカは上記だけではない。
「今昔物語集」のこの巻五にはいくつか収録されている。しかしながら、パーリ語ジャータカでは見つからなかった譚もあるので、それを取り上げておこう。

まずは、上記#1《雲馬》に繋がる、セイロン/スリランカ/僧伽羅国が執獅子国と呼ばれる由縁の話。
👑[→ジャータカライオン/獅子]
  [巻五#_2]国王狩鹿入山娘被取師子語
  ⇒玄奘:「大唐西域記」十一僧伽羅国シンガラ=セイロン島
○国王が鹿狩に山へ入った。
 鹿追いのため、法螺貝を吹いたり鼓を鳴らしたりした。
 ことのほか大切にしている愛姫も籠に乗せ同伴。
 日暮れ際、者共が獅子の洞穴に入ってしまい脅かしてしまった。
 怒った獅子は崖の上に立ち、激しく凄まじき咆哮で対応。
 余りの恐ろしさで、皆、逃げ去ってしまた。
 王の娘は置き去りにされた。
 国王でさえ、東も西もわからず、ともかく王宮へ戻っただけ。
 愛娘失踪で、歎き悲しみただただ泣く状況。
 獅子が怖いので、捜索もできす。
○一方、獅子は吠えながら山中を走り回ったので、
 籠を発見し、そのなかに美しい女が乗っていたので
 喜んで、背中に乗せ洞穴へ連れて行った。
 以後、姫君と暮らし、そのうち数年経ち
 普通の人間の男の子が生まれた。
○その子は10才になると、
  勇ましく、尋常ではないほど駿足に。
  そして、
  母が嘆き悲しんでいるのを見て来たので
  父の獅子が食を得る為に出かけた時
  その理由を尋ねた。
  なかなか明かしてくれなかったが、
  ついに実情を知り、母子は際限なく泣いたのである。
  足に自信があり、父に追いつかれることも無さそうなので
  母を背に負ぶって都へ行き
  隠れ住み、母の面倒をみるように。
○父の獅子が洞穴に戻ると、妻子が居ないので、
  逃げて都へ行ってしまったと思い、
  悲しみ都の方へ行き、その方向に咆哮。
  都では、皆、驚き、恐れ、右往左往。
  そこで、国王は
  「獅子を殺した者に、国の領土の半分を与える。」
  とのお触れを出した。
 ○獅子の子はそれを耳にし国王に、
 「獅子を討伐するので、褒美を頂きたい。」と。
 そこで、国王は、
 「獅子を殺し、差し出すように。」と命じた。
 獅子の子は早速、弓矢を携えて父のところへ。
 父は、大いに喜び、子を舐めまわしていたが
 子は、毒矢を突き立てたのである。
 しかし、父は、怒ることもなく涙を流し舐め続け
 ついには絶命。
 断頭し、都に運び国王にそれを見せたのである。
 国王驚愕。
 褒美の前に、経緯を尋ねられたので
 獅子の子は、包み隠さず、すべてのことを明らかにしたのである。
○国王は、獅子討伐者が我孫であることを知ったが、
 殺父の大逆罪者でもあり、
 領土の半分を与えることに躊躇。
 そこで、遠く離れた国を与えた。
 獅子の子は国王となり、母子で住むように。
 その子孫が住み続けており、
 「執獅子国」と呼ばれている


セイロンとはシンハラドヴィーバ/獅子の国の英語略語である。この島で、最初に王朝を開いたのは紀元前543年大陸から渡って来たアーリア系シンハラ族のヴィジャヤ王とされる。もちろん獅子の子孫とされている。仏教伝来は紀元前3世紀である。

尚、「大唐西域記」で"執師子傳説"として紹介される話は少々異なる展開。・・・大逆罪ということで、母だけは都に残った。子の男女は二大船に乗せられ、男船は海を浮遊し、珍玉豊かな寶渚に至る。来訪した寶採取商人を殺し、子女を留めたので、子孫が育ち、ついに国家樹立。一方、女船は波剌斯/ペルシアの西で神鬼に魅せられ沢山の女子を産み養育することに。それが西大女國。
仏教を護持した師子族に対する敬意を払うために、出来る限り綺麗ごとにしたということだろうか。

[→ジャータカ鹿]
  [巻五#_5]国王入山狩鹿母夫人為后語
  ⇒玄奘:「大唐西域記」七 吠舎釐国ヴァイシャーリー(ビハール)
 波羅奈国の都の側に、聖所遊居山があり
 は南と北の岳に夫々仙人が住んでいた。
 両岳の合に泉があり、辺に平石があり
 ある時、
 南の仙人がその上で洗濯をして足を洗って戻っていった。
 雌鹿がそこにやって来て、
 泉の水を飲み、洗濯排水も飲んだ上、
 仙人の小便跡を探して舐めた。
 その後、この鹿は妊娠し、人間の女の子を産んだ。
 南の仙人は鹿が悲しみ泣いているのを聞き付け
 気の毒に思い外に出てみると母鹿が人間の女の子を舐めてた。
 仙人が近付くと、母鹿は女の子置き去ってしまった。
 その子は、見たことがないほど端厳美麗であるし
 哀れなので、着ていた粗末な草衣で包んで庵に連れて返った。
 そして、時々に得られる草の実で養育。
 やがてこの娘も14才に。
 この娘、埋火の番をしており、一度も火を絶やさなかったが、
 ある朝、火が消えてしまった。
 そこで、北の仙人から火種を貰ってくるように命じたのである。
 鹿の娘は北の岳へ行ったが、
 その間、歩いた足跡に次々よ蓮の花が咲いた。
 到着すると、北の仙人がそれを見て、不思議に思い、
 庵の周りを七回廻ったら火をあげようと告げた。
 鹿の娘は、その通りにして、火を貰い、戻った。
 その後、国王が諸々の大臣や百官を供に、この山に入って鹿狩り。
 北の仙人の庵までやって来ると
 庵の周りに蓮の花が咲いているので、ひどく驚いた。
 「今日、我、ここに来て奇異なものを見た。
  善哉。善哉。大いなる歓喜。」
 そこで仙人は、
 これは、南の仙人が育てている女の子がしたことと告げた。
 大王はこれを聞き、南の仙人を尋ね
 「汝の所に女が住んでいるというが、我に与えよ。」と。
  わたしに与えよ。」
 仙人は
 「差し上げるのが惜しい訳ではございませんが、
  (お止めになった方がよいと。)
  貧しい身で育てており
  草衣で、木の実を拾って食べております。
  幼いときから山奥で暮らしているので
  未熟で、人を見たこともなく、世間を知りません。
  そして、畜生から産まれた者なのです。」
 と育てた経緯を語った。
 ところが、王は、
 「畜生から生まれたことなど全く気にしない。」と。
 そこで、娘は王に差し出されたのである。
 王が見るに、実に整っていて美しく、平凡な者とも思えず
 香り高き湯で髪や体を洗い清めさせて、
 百宝の瓔珞を装着させた。
 そして、大象に乗せ、
 前後を百千万の人々で取り囲み
 素晴らしい音楽と舞踏を付け、宮殿に戻ったのである。
 父の仙人は高い山の頂に登り、
 一行が見えなくなるまで見送くり、
 庵に戻ってからは、涙を流し、恋い悲しんだ。
 宮殿に戻った大王は女を迎え入れて、
 敬って第一の后とした。
 そして、"鹿母夫人"と名付けた。
 諸小国の王や大臣・百官が祝福に訪れた。
 王は満足し、他の后には無関心に。
 ということで、后が妊娠。
 王は男子出産なら、王位継承者にしようと考えたが、
 生まれたのは蓮の花。
 王は激怒。
 畜生のする事として、后廃位の上、
 蓮花は池に廃棄せよと命じた。。
 ところが、手に取って池に入れようとした者が見ると、
 花の周囲にある五百枚の葉に一人づつ男の子が居たのである。
 どの子も比べようも無くほど整って美しく、
 王はすべての王子を迎え入れ、后位も復活させた。
 王は後悔。
 大臣、百官、小国の王、僧侶、等を召し、500人の王子を抱かせた。
 さらに、大勢の占い師を呼び出し、500人の王子の吉凶を占わせた。
 卦をの結果は、
 「500人の王子には皆皆止事無き相があり
  道の徳を具えていらっしゃいます。
  そこで、
  世間に貴ばれ、国はその福で恩恵を受けることになります。
  俗人なら鬼神がお護りし
  出家されれば、輪廻転生の苦しみを断ち切り、
  三明六通を得て、四道四果を備えるでしょう。」

  (六通[超人的能力]:神足・天眼*・天耳・宿命*・他心・漏尽*…*:三明[自在作用])
  (四道[開悟に至る道]:加行・無間・解脱・勝進)
  (四果[悟りの位]預流/須陀・一来/斯陀含・不還/阿那含・無学阿羅漢)

 大王はこれを聞いて大いに喜び、
 国内から500人の乳母を選び王子達を養育させた。
 王子達は次第に成長すると、皆、出家を希望。
 父母は占い師の言う通りに皆に出家を許可。
 王子達は王宮の後の庭園に住み
 勤行し、辟支仏となった。
 このようにして、499人の王子は次々とに父母の前に来て
 「道果を得ました。」
 と言った。
 そして、種々の神変を生じさせ、涅槃に入ったのである。
 鹿母夫人は499起塔し、辟支仏の遺骨をそれぞれ納めて供養。
 末弟の王子はその90日後に辟支仏となり、父母の前に参上。
 大神変が現れ、涅槃に入った。
 1つ起塔し、同じように供養。


この話では、仏教以前の、婆羅門僧が悟り辟支仏/縁覚(隠遁修行の開悟者)となる様を描いている。「今昔物語集」編纂者は、"辟支仏"はもともとは外道用語と見ていることになる。もちろん、三明六通や四道四果も。

波羅奈国の聖所遊居山とは、500もの辟支仏が居る仙山@賢愚因縁經の前身を指すと思われる。鹿が小便を舐めて妊娠したとの話が意味しているのは、修行を積んで仙人になった婆羅門僧の精気を頂戴した結果というにすぎまい。
"仏前"だが、"道"と"出家"は"仏後"とほとんど同じように映るように書かれており、外道といっても、出家し自力で悟りをひらく辟支仏は、釈尊時代の仏道修行者が阿羅漢とほとんど変わりが無いことになる。三明六通四道四果は釈尊成道以前から存在した概念ということになる。
要するに、仏教はベーダ経典信仰の枠組みをママ受け継いでいると考えることもできそうと主張している訳だ。

マ、それは波羅奈/ヴァーラーナシー[Benares]での話だから当然と言えなくもない。ココは、叙事詩「マハーバーラタ」に登場する恆河河畔の聖地であり、釈尊以前の古代から現在まで、天竺最大の宗教都市。仏教的には、釈尊成道後の初説法が行われた、鹿野苑の地であるが。
   婆羅河東北行十餘里,至鹿野伽藍。
ちなみに、「大唐西域記」では、この譚は"千佛本生故事"。
   告涅槃期側不遠有堵波,千子見父母處也。

尚、この譚の後に、五百個の卵から王子が孵化する話が来る。
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#_6]般沙羅王五百卵初知父母語 [→男児が孵る卵]
  ⇒吉迦夜,曇曜[訳]:「雜寶藏經」卷一(八)

🐀[→ジャータカ鼠]
   [巻五#17]天竺国王依鼠護勝合戦語[→"鼠王"]
  ⇒玄奘:「大唐西域記」十二 瞿薩旦那国ゴースターナ=于ホータン

🐘[→ジャータカ象]
  [巻五#27]天竺象足蹈立謀人令抜語
  ⇒玄奘:「大唐西域記」三 迦湿弥羅国カシミール
 比丘が独りで深山を通ったところ、遥か向うに大象が見えた。
 恐れて、急いで高木に昇って、茂っている葉の中に隠れた。
 大象は下を通って行ったが、
 不意をつかれたように見つかってしまった。
 根元に寄って来て、鼻をで掘ったので、比丘は念仏祈願。
 しかし、木は倒れぬてしまい、象は比丘を鼻に掻けて吊り下げ、
 いよいよ山の奥へ深く行くのであった。
 比丘は、「これ限りか。」と思うだけ。
 東西もわからず、奥深く入ると、そこには、器量大きな象居り、
 そのもとに、比丘は置かれてしまったので
 この大象に喰われるのかと思っていると、
 その大象は。臥し転がって、喜ぶ。
 それを見た比丘は、生きたる心地もしないかったのだが
 大象が指を伸ばしている足をみると、
 大きな株を踏み貫いている様子で
 その足を比丘の方に指し遣っているのだった。
 これは、抜けということと見て、力一杯引っ張ると取れたのである。
 そこで、大象は、いよいよ喜び、際限なく臥して転ぶのであった。
 なんだ、そういうことかと思い、比丘も安心した。
 その後、連れて来た象が、比丘を再び鼻に掻けて吊り下げ、
 遥な場所へと連れて行った。
 そこには大きな墓があり、その中に入った。
 「怪し」と思ったが、見れば財の山。
 「株を抜いた喜びで、この財を獲得させてくれるのだ。」と見て
 財を皆取って出ると、象は、再び鼻に掻けて吊り下げ、
 もともとの木の本に行き、そこで打ち下ろしてくれたのである。
 そして象は山の奥へ戻って行った。
 その時、比丘は、気付いたのである。
 「あの、大きな象は、この象の祖だ。
  "祖が株を踏んで足を貫いてしまったので、それを抜こう。"と。
  比丘を連れて行ったのだ。
  そして、株が抜けた喜びで、この財を獲得させてくれたのだ。」と。


「大唐西域記」では、"佛牙伽藍及傳説"。頂戴するのは佛牙函であり、それが伽藍の堵波由来話になっている。明らかに、仏前譚ではなく、この巻に収録する訳にはいかない筈だ。そうなると、象が佛牙を持っていた由縁が腑に落ちぬし、釈尊の時代、すでに経済発展は著しいからどこかで入手したと見て、この話の筋は古層のものと判断したのかも。

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