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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.29] ■■■
[515] 地蔵の夢告
💭巻十七に登場する、三井寺の浄照は法花経読誦、観音・地蔵に帰依とされている。このスタイルが、阿弥陀崇拝の極楽往生祈願と並ぶ一大潮流だったのだろう。
もともと、この巻は、"地蔵霊験記紹介の巻[巻十七]"📖であり、撰者の三井寺の実睿の譚も収載されているほどで、ママ引用的。

と言うことで、観音夢譚を眺めた続きに、この巻での地蔵夢譚も見ておきたい。

観音譚の方は、夢は長谷寺観音を除くと極めて限定的だったが、随分と違う。📖多様な本朝観音信仰
考えてみれば、地蔵のメルクマールは地獄等からの救済にあるのだから、冥界譚が主流の筈で、そこらは観音と大きく異なる。蘇生譚とは、現代的解釈からいえば瀕死状態での夢見心地の話であるから、夢告と同様なものになる訳で、そのような状況でなくともインタラクティブな関係が求められるなら、夢に地蔵登場となるのは極く自然な感じがする。

コレ、本朝の古代からの信仰風土を考えて見れば当たり前のことか。
観音と地蔵は対なのである。

天を仰ぎ神籬に御降臨を願い得られるのが御託宣である。インタラクティブ的とまではいえないが、祭祀者を通じての交流が可能で神籬への祈願は基本姿勢。当然ながら、それは現実社会での安寧を求めるものとなる。
その神籬の地とは、磐座であり、大地を象徴するものである。その岩とは死後の世界と現世の境を規定するものでもある。異界からの現世への脅威を防ぐための祈祷も別途為されていた訳である。
観音と地蔵は、この信仰を引き継いでいるということになろう。地蔵はご託宣役ではなく、あくまでも守護役だから、ある意味インタラクティブにならざるを得まい。

<巻十七 本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚)
《1〜16救済》
[_1]【西京】願値遇地蔵菩薩変化語📖地蔵講
[_2]【武蔵】紀用方仕地蔵菩薩蒙利益語📖地蔵講📖悪人往生💭往生
[_3]【近江 依智の旧寺】地蔵菩薩変小僧形受箭語📖「地蔵菩薩霊験記」
[_4]【備中】依念地蔵菩薩遁主殺難語📖地蔵講
[_5]【陸奥⇒六波羅蜜寺】依夢告従泥中掘出地蔵語📖「地蔵菩薩霊験記」💭
[_6]【土佐室戸の寺地蔵菩薩値火難自出堂語📖「地蔵菩薩霊験記」
[_7]【近江⇒播磨 清水寺依地蔵菩薩教始播磨国清水寺語📖「地蔵菩薩霊験記」💭
[_8]【陸奥 小松寺】沙弥蔵念世称地蔵変化語📖地蔵講往生
[_9]【比叡横川 僧浄源祈地蔵衣与老母語📖「地蔵菩薩霊験記」📖源信物語 [5:横川の僧]💭
[10]【京 祇陀林寺】 僧仁康祈念地蔵遁疫癘難語📖地蔵講📖源信物語 [5:横川の僧]💭往生
[11]【駿河富士の宮/浅間社 駿河国富士神主帰依地蔵語📖「地蔵菩薩霊験記」💭悪行警告
[12]【三井寺⇒近江正法寺改綵色地蔵人得夢告語📖「地蔵菩薩霊験記」💭善行賞賛
   …実睿は「蔵菩薩霊験記」選者
[13]【伊勢飯高】伊勢国人依地蔵助存命語📖地蔵講📖落盤事故生還
[14]【肥前背振山】依地蔵示従鎮西移愛宕護僧語📖地蔵講💭往生
[15]【愛宕護⇒伯耆の大山】依地蔵示従愛宕護移伯耆大山僧語📖「地蔵菩薩霊験記」💭
[16]【伊豆大島 地蔵寺】伊豆国大島郡建地蔵寺語📖「地蔵菩薩霊験記」往生
《17〜32蘇生》以下、基本は、冥途よりの帰還蘇生譚となる。
[17]【東大寺】東大寺蔵満依地蔵助得活語📖閻魔王往生
[18]【備中】備中国僧阿清衣地蔵助得活語📖閻魔王
[19]【三井寺】三井寺浄照依地蔵助得活語📖閻魔王
[20]【播磨】播磨国公真依地蔵助得活語📖善行者の堕地獄 出典不詳
[21]【但馬】但馬前司□□国挙依地蔵助得活語📖六波羅蜜寺地蔵菩薩立像💭
[22]【_】賀茂盛孝依地蔵助得活語📖善行者の堕地獄往生
[23]【周防】依地蔵助活人造六地蔵語📖六地蔵往生
[24]【_】聊敬地蔵菩薩助得活語📖多田院御家人祖源満仲 出典不詳
[25]【因幡】養造地蔵仏師得活人語📖因幡の地蔵像 出典不詳
[26]【_】買龜放男依地蔵助得活語📖亀譚
[27]【立山】堕越中立山地獄女蒙地蔵助語📖立山地獄…死者の地獄からの告知
[28]【京】京住女人依地蔵助得活語📖地蔵講
[29]【陸奥】陸奥国女人依地蔵助得活語📖善行者の堕地獄往生
[30]【下野】下野国僧依地蔵助知死期語📖下野薬師寺地蔵院往生
[31]【吉野】説経僧祥蓮依地蔵助免苦語📖地蔵代受苦…死者の地獄からの告知往生
[32]【上総】上総守時重書写法花蒙地蔵助語📖和歌集💭善行賞賛

上記を<令制国>分布で、観音の巻と比較すると📖多様な本朝観音信仰以下のようになる。流石に離島の記載は無いものの、土佐、大隅、伊豆があがっており、全土をカバーしていたようだ。と言うか、元ネタそのものが、それが見えるようになっていたのであろう。目を引くのは、東海道の違い。公務で、京から現代の関東や東北へ行く場合、もっぱら東山道だったから東海道では観音信仰はすぐに広がらなかったのだろうか。
---畿内---
 山城[観音_9/30/31/33/34/37]《清水寺》[観音15]《百ノ寺》[観音16]《蟹満多寺》[観音32]《六角堂》[観音36]《醍醐寺》 [地蔵_1/9/10/14/28]
 大和[観音_1]《興福寺》[観音_8]《殖槻寺》[観音10]《穂積寺》[観音11]《下毛野寺》[観音13]《岡本寺》[観音14]【吉野の山】[観音19/20/27/28]《長谷寺》[観音23]《薬師寺》[観音39]《唐招(提)寺》[観音40]《宝積寺》 [地蔵17/31]
 河内
 和泉[観音12]《珍努ノ山寺》
 攝津

---東海道---
 伊賀
 伊勢[地蔵13]
 志摩
 尾張
 三河
 遠江
 駿河[地蔵11]
 甲斐
 伊豆[地蔵16]
 相摸
 武藏[地蔵_2]
 安房
 上総[地蔵31]
 下総
 常陸

---東山道---
 近江[観音18]《石山寺》[観音22]《山寺》 [地蔵_3/7/12/19]
 美濃
 飛騨
 信濃
 上野
 下野[観音24]《小さな私寺@京》 [地蔵30]
 陸奥[観音_6]n.a. [地蔵_5/8/29]
 出羽

---北陸道---
 若狭
 越前[観音_7]@敦賀
 加賀
 能登
 越中[地蔵27]
 越後
 佐渡

---山陰道---
 丹波
 丹後[観音_4]《成合寺》[観音_5]《穴穂寺/穴太寺》
 m馬[地蔵21]
 因幡[地蔵25]
 伯耆[地蔵14]
 出雲
 石見
 隠岐

---山陽道
 播磨[観音26]n.a. [地蔵20]
 美作
 備前
 備中[観音17]《吉備津彦神宮寺》 [地蔵_4/18]
 備後
 安藝
 周防[観音_3]《三井寺》 [地蔵23]
 長門

---南海道
 紀伊[観音38]《狭屋寺》
 淡路
 阿波
 讃岐
 伊豫[観音_2]《越智氏寺》
 土佐[地蔵_6]

---西海道
 筑前
 筑後
 豊前
 豊後
 肥前[地蔵14]
 肥後
 日向
 大隅[観音25]n.a.
 薩摩
 壹岐
 對馬


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