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■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.15] ■■■
[438][安万侶文法]構造言語文法は不適
文法とは構文から始まる。つまり、主語・述語・目的語・補語がどのような骨格を形成するかというのが出発点。
そこで、前例で示した助詞で文章を切り分け、SVОがどのように配置されているか機械的に当て嵌めて全体が見えるようにしてみた。・・・
於是
【S:❶八百萬神】共<V:議>

【S:〃】≪ОI速須佐之男命≫
  <V:負>≪ОII:千位置戶≫

【S:〃】V:切>≪О:鬚≫

【S:〃】≪О:手足爪≫<V:令-拔>

【S:〃】V:神 "夜良比"(=神逐)"夜良比"岐>
   …放逐の宗教儀礼を行ったのだろう。

【S:n.a.(❸速須佐之男命)】≪ОII:食物≫
  <V:乞>≪ОI:大氣津比賣神≫

【S:❷大氣都比賣】-鼻口
  ≪О:種種味物≫<V:取出>

【S:〃】≪О:種種≫<V:作-具>

【S:〃】V:進>

【S:❸速須佐之男命】<V:立-伺>≪О:其-態≫
   ≪О:〃≫:「【S:−】以爲穢汚 V:奉-進>」

【S:〃】V:殺>≪О:其-大宜津比賣神≫
故 所
【S:〃】V:殺>≪О:神≫
   身 <V:生>【S:❹物-
   頭 <V:生>【S:❹蠶】
   二目 <V:生>【S:❹稻種】
   二耳 <V:生>【S:❹粟】
   鼻 <V:生>【S:❹小豆】
   陰 <V:生>【S:❹麥】
   尻 <V:生>【S:❹大豆】
故 是
【S:❺神產巢日御祖命】<V:令-取>≪О:n.a.(これ等)≫

V:成>【S:❹⇒❻種】

主語記載の❶〜❻に関しては、実に単純なルールが存在していそうだ。主語<S>は最初に記載するだけで十分で、後は述部<V>だけズラズラ並べるべき、と。

少なくとも、漢文の構造性に対応した訓読みの雰囲気は全く感じられない。
 <自動詞>
  S+V
  S+V+Cに/より
 <他動詞>
  S+V[レ点]
  S+V[2]+Cに/より[1]
  S+V[2]II[1]

そもそも、上記の文章を読もうと考えるなら、最初にSVO構造を考える筈はない。Vが並んでおり、それがどうまとまっているかを知ることが、全体像の把握ということになろう。
だいたい、現代人が文章を書くなら、同じVを7回も繰り返すことなどあり得ず、同じ形式の文なのだから、6つのVは省略することになろう。どう見てもこれはVの強調表現とせざるを得ないが、日本語は、「文の本質はVにあり。」とする当たり前の原則に忠実なだけと考える方がよいだろう。・・・・Q:「食べる?」が原初的文章と考えるからだが。

❹を見ればわかるが、<V>が一目でわかるなら、文章構造の骨格とされる順番はどうでも構わない。誤解の余地などないのだから。
従って、詠う場合は、この順番を重視するなら、"尻に生まれたのが大豆。"と呼んでもよいし、レ点的に"尻に大豆が生まれた。"もあり得ることになろう。一意的でないところが重要で、漢文として常用文章化している<V><S>なら、後者になるだけのこと。

注目すべきは、【S:n.a.(❸速須佐之男命)】という記載。筋からして、主語を間違って解釈することはありえないとはいえ、連続主語の省略ではなく、極めて特殊である。このような表現が許されるということは、文型構造に従う言語ではないことを意味しよう。話の筋というか、状況認識ありきであることがわかる。

尚、構文的に考えるという習慣にあくまでもこだわると、"於"は前置詞であり、<C>を示すための置字ということになる。文章にあった訓読みをすればよいと云うだけ。要するに、会話型というか歌謡を規定としている言語だから、表現に関しては極めて柔軟ということ。
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【代表的介詞:於】
   …漢文上では、"介詞+<О>+<V>"という順番になり、動詞を修飾することになる。
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