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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.16] ■■■
[291] 往生譚の巻
巻十五には54もの往生譚が収載されており、それぞれ往生者の背景が違うし、往生場面も多少は異なるとはいえ、モチーフのバリエーションに乏しい印象を与えるので読み通す気力が失せがち。
どうしても様々な方々の例を並べてみました的に、これでもかと往生の姿を読まされるからである。
ただ、そう感じてしまうと、"元ネタのママ参照"的な記載書として読んでしまうことになる。 [→「日本往生極楽記」]

しかし、よくよく見ると、それなりに整理されており、これを分析的に眺めたところで、得るところは少ないと思うが、編纂者の問題意識がが見えてくると言ってよいだろう。
つまり、元ネタと整理の仕方が似たりよっりと考えてはいけないということ。すぐにわかるのは、意識的なカット。これはすでに取り上げた。[→空也譚割愛]

そして、もう一つは、末尾に下童往生を持って来た点。
見方によっては、下童を、差別的に"その他"に落としこんだとなるが、多分、逆。編纂者が一番愛着を覚えた伝承譚だと思う。どうでもよい下働きをただ黙々とこなし、学には無縁で、僧からほとんど無視されている存在にもかかわらず、他人にわからないように一心に一日中口誦念仏をしていたと推察されるからだ。
悪人往生譚同様に、与えられた社会的地位のなかで真面目に生きている人々のなかに、本心からの信仰があることをどうしても伝えたかったのであろう。

しかし、阿弥陀仏への一心の帰依譚[→往生絵巻]の主人公は出家譚であり、確実な往生とまでは認めることは難しいと判断したようである。

と言うことで、巻十五の一覧を示しておこう。・・・
巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚)
---I 学僧[1-16}
  《南都僧》[1-4]
[_1]
元興寺智光頼光往生→智光曼荼羅 →阿弥陀仏信仰
[_2]
元興寺隆海律師往生→尊厳を保つ御臨終
[_3]
東大寺戒壇和上明祐往生→尊厳を保つ御臨終
[_4]
薬師寺済源僧都往生→本朝往生譚
  《北京比叡山系僧》[5-13 15-16]
[_5]
比叡山定心院僧成意往生→比叡山僧往生行儀
[_6]
比叡山頸下有僧往生→比叡山僧往生行儀
[_7]
梵釈寺住僧兼算往生→本朝往生譚
[_8]
比叡山横川尋静往生→比叡山僧往生行儀
[_9]
比叡山定心院供僧春素往生→比叡山僧往生行儀
[10]
比叡山僧明清往生→比叡山僧往生行儀
[11]
比叡山西塔僧仁慶往生→比叡山僧往生行儀
[12]
比叡山横川僧境妙往生→比叡山僧往生行儀
  《北京東寺系僧》[13-141
[13]
石山僧真頼往生
[14]
醍醐観幸入寺往生
[15]
比叡山僧長増往生→四国辺地 →比叡山僧往生行儀
[16]
比叡山千観内供往生→千観内供 →比叡山僧往生行儀
---II 修行僧 [17-30}
  《_》[17-21]
[17]
法広寺僧平珍往生
[18]
如意寺僧増祐往生
[19]
陸奥国小松寺僧玄海往生
[20]
信濃国如法寺僧薬蓮往生→尸解 →和泉松尾寺僧の往生
[21]
大日寺僧広道往生
  《迎講》[22-24]
[22]
始雲林院菩提講聖人往生→迎講創始者 →悪人往生
[23]
始丹後国迎講聖人往生→迎講創始者
[24]
鎮西行千日講聖人往生→迎講創始者
  《_》[25]
[25]
摂津国樹上人往生
  《悪人》[26-30]
[26]
播磨国賀古駅教信往生→念仏信仰先駆者 →悪人往生
[27]
北山餌取法師往生→餌取法師 →比叡山僧往生行儀 →悪人往生
[28]
鎮西餌取法師往生→餌取法師 →悪人往生
[29]
加賀国僧尋寂往生→悪人往生
[30]
美濃国僧薬延往生→悪人往生
---III 道心出家者[31-35}
[31]
比叡山入道真覚往生→比叡山僧往生行儀
[32]
河内国入道尋祐往生→和泉松尾寺僧の往生
[33]
源憩依病出家往生→世尊寺の月
[34]
高階良臣依病出家往生→世尊寺の月
[35]
高階成順入道往生
---IV 比丘尼[36-41}
[36]
小松天皇御孫尼往生
[37]
池上寛忠僧都妹尼往生
[38]
伊勢国飯高郡尼往生
[39]
源信僧都母尼往生→源信物語 [3:母からの手紙]
[40]
睿桓聖人母尼釈妙往生
[41]
鎮西筑前国流浪尼往生
---V 俗人男[42-47}
[42]
義孝少将往生→世尊寺の月
[43]
丹波中将雅通往生→悪人往生
[44]
伊予国越智益躬往生→世尊寺の月
[45]
越中前司藤原仲遠往生兜率
[46]
長門国阿武大夫往生兜率
[47]
造悪業人最後唱念仏往生
---VI 俗人女[48-53}
[48]
近江守彦真妻伴氏往生
[49]
右大弁藤原佐世妻往生
[50]
女藤原氏往生
[51]
伊勢国飯高郡老嫗往生
[52]
加賀国□□郡女往生
[53]
近江国坂田郡女往生
---VII 下童[54}
[54]
仁和寺観峰威儀師従童往生→鳴滝の寺

ここでは、真言系の僧の往生譚を取り上げておこう。・・・
  【本朝仏法部】巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚)
  I 学僧[1-16} 《北京東寺系僧》
  [巻十五#13] 石山僧真頼往生
  [巻十五#14] 醍醐観幸入寺往生

 真頼は近江石山寺で東寺の流れの真言を崇むる僧侶。
 幼時出家後、この寺に住し、師は淳祐内供
[890-953年)
 真言密法を受習後、毎日三時に欠かすことなく行法。
 長年、このようなお勤めを行って来たが、
 老齢になり罹病してしまい、臨終目前となり、
 弟子長教
/長を呼び寄せて告げた。
 「我は、必ず今日死ぬつもりだ。
  しかしながら、
  汝には未だ受習していない、金剛界の印契・真言が有る。
  それを速やかに教えよう。」
 と言い、即、灌を授けた。その後、沐浴。弟子共に告げた。
 「我は、年来、この寺に住し、もう死ぬ身。
  今、この寺から出て、山の辺に移ろうと思う。」と。
 弟子共は、これを聞て、師を惜んだが、
 「師の最後の言葉は間違いないもの。」
 と思ったので、輿に乗せて、山に入った。
 真頼は、山で西に向って端坐し掌を合わせ念仏を唱へて入滅。
 弟子共は此れを見て、際限なきほど貴び悲しむ。
 その後のこと。
 同じ寺の僧 真珠が夢を見た。・・・
  数々の止事無き僧に加えて多くの天童が登場し、
  真頼を迎えて西へと去っていった。
 夢から覚めた後、寺の僧共にこの話をした。
 それを聞いた人は、皆、
 「真頼は確実に極楽往生した。」
 と知って貴んだ。


 醍醐の僧 観幸入寺は幼時に出家し、師は仁海僧正[951-1046年]
 真言密法を受習後、行法を欠かさず修した。
 そういうことで、仏道のおぼえ止事無しとされ、東寺の入寺僧に。
 而る間、観幸、因縁は不詳だが、堅く道心を発し、
 東寺を去り、すぐに土佐へ入り、
 名聞利養を棄てて聖人と成り、長年すごした。
 ある時、突然、弟子の僧に告げた、
 「我は、明日の未時に死ぬことになる。
  汝等は、諸々と共に、
  只今より明日の未時まで念仏を唱え、
  その声を断たないようにするように。」
 と言い、自ら沐浴し、浄衣を着用の上念仏を唱え始め、
 そのまま終夜に至った。
 夜は明けてしまい、既に午時に成ってしまった。
 観幸は持仏堂に入って、内着し籠って居るまま。
 弟子が物影から覗き見ると、
 仏の御前に端坐し行を続けている様子。
 よくよく見てから、戸を叩いて呼んでみたが、
 声がしないので、戸を開け放ち入ってみた。
 すると、掌を合せて端坐した状態で死んでいた。
 弟子等は、これを見て、泣々く悲しみ貴び、
 さらに念仏を唱へたのである。
 その辺の多くの人々はこの事を聞き継いで、
 集まって来て、礼拝し貴んだのである。


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