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■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.16] ■■■
[439][安万侶文法]ゴチャゴチャ表記の理由
太安万侶は、口頭と書面でのコミュニケーションの違いを的確に指摘している。

すでに、執筆時点で、漢文は公的でないものの、用件上必要な内容を伝える道具として、常用使用されていたと思われる。漢文では言葉遣いが読み取れないから、詞心まで[およ]ぶことはできないとはっきり書いているからだ。
それなら、言葉遣いを表記すればよいとなるが、余りに文章が長すぎ、実際には無理ということになる。現代でも、平仮名全文表記の文章など、とても読めたものではないから、常識的な見方と云えよう。しかしながら、五七五五七程度の音素の並びなら、リズム感も伝わるし、音素表記に優るものなしということだろう。

ここらは、よくわかるが、レ点的な漢文表記なのに、レ点無しで訓読みしている点については、納得感は薄い。
太安万侶のような知識人がそのような表現方法を使いたがるとも思えず、全文訓読み型の漢字並びにするより手間いらずというメリットが顕著とも思えないからだ。
そうなると、レ点的な漢文表記がすでに社会的に認知されていたということかも。

しかしながら、そうだとしても、このような表記方法を他の方法と混ぜこぜに使う姿勢には違和感を感じざるを得ない。
歌を除けば、漢文訓読み調で統一することもできた筈だからだ。

そんな感想を抱かせる原因は、ママの仮名部分を紛れ込む記述方法を採用しているからだ。このため、ゴチャゴチャ感を免れ得ない。・・・単語だけ、その一部を音素表記にするのならわかるが、句や文節を音素表記にすることもあり、いかにも編纂方針が場当たり的に映るのだ。
しかし、太安万侶が無方針で行っているとは思えないから、おそらく、日本語の特徴を示すためには、こうした表記が必要と判断したに違いない。従って、そこらを考えておく必要があろう。

もっとも、言うは易しで、学校文法で頭を整理され尽くしている身にとっては、考えると云ってもたいしたことはできない。

小生が思うに、漢文表記で完璧に失われてしまうのは、日本語が持つ、述部主体の表現の仕方。
文法が180度異なるので、こればかりはどうにもならない。

このことは、述部に含まれる、助動詞とか補助動詞と呼ばれる付加的な部分の表記が簡単にいかないことを意味する。

日本語会話では、そのような付加部分は述語として一体化されていて当たり前の言葉として通用するが、いざ、それを漢字で文章表記しようとなると、結構難しい筈だ。
つまり、下手をすると、述部に、都度、割註を入れ込む必要が出たりしかねない。それでは読む方はたまらぬから、ある程度のゴチャゴチャ容認となったのではあるまいか。

・・・そんなことを思うのは、音素表記というか、実質的に漢字による全文仮名書きの箇所は<歌>であり、太安万侶は、必ず、"ココから<歌>"と明記している。
よく見れば、会話部分も同じ様に、必ず明記されている。典型的にはこうした調子で。・・・
  ○○(者)△△曰:「・・・」
  答曰:「・・・」
天皇であれば、曰が詔あるいは勅になるものの、同じパターン。
引用部分は歌ではないから、リズム感は色々。漢字による音素表記に向いてはいないが、口頭表現だから、述部重視型で漢文表記が難しい場合も少なくなかろう。言霊としての言葉もあるのだから、簡単に漢文化できるとは思えないし。

こんな観点で眺めていると、太安万侶の感覚もわかって来るような気になってくる。
理屈で表記方法を決めているのではなく、現実社会の状況を踏まえて、無理が無いように表記方法を決めていると見てよさそうだ。

漢文では、会話部分は、"○○曰:「〜」"という、Sありき表記になる。現代感覚では、○○が語った言葉を引用すると、という用法が規定されているとなろう。最も、英語が義務教育だから、Sありき表記は当たり前で気に掛ける人はいないかも。
しかし、小生は、ここらの書き方が気にかかる。

宗族宗教社会とは、常にヒエラルキーを考えなければならないから、表記に於いても、誰が発したか言葉かの表示には気を遣っている筈だ。ところが、日本の土壌は、重要なのは、おそらく言葉の内容の方。それこそ、言葉から、発言者を推定するような書き方が通用する社会である。そうなら、"「〜」と、誰々謀が語った。"と書くのが普通ではあるまいか。
太安万侶はここらの違いをかなり意識していたのでは。

時々、不可思議な記述方法が使われているからだ。・・・
   "○○曰:「〜。」と云う。"
素人でも、このような重複表記はしないのが普通ではあるまいか。にもかかわらず、「古事記」はそれを厭わない。敢えて漢文型と和文型の同時表記をすることで、何らかのメッセージを発信しているように思えてくる。

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