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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.12.4 ■■■

「廬陵官下記」

段成式 撰 陳尚君 輯

「廬陵官下記」には「酉陽雑俎」所収の話が多いが、入っていないものが三分の一ほどある。
それらをはじいた理由はなんだろう。・・・

  【栽植經】  「蝙蝠蛾寄生樹木」【醋心樹】
世傳《栽植經》三卷,雲:木多病酢心,其候皮液酸。有能治者,鉤去其蠹,木乃茂。

  【墨衣】
凡墨衣,閉氣於水上,作白字即濯之,不過七遍即淨。
浅学故、さっぱりわからぬが、墨染浄衣で灌頂儀式的に臨めば、文字からして淨水七遍どころではないゾということか。
九法。欲施餓鬼漿水者。呪淨水七遍。以水散灑四方。作施彼鬼之心。鬼等悉得甘露水喫之。 [龜茲國僧若那奉 詔譯:「佛頂尊勝陀羅尼別法」第一卷@CBETA]

  【段】
有武將見梁元帝,自陳癡鈍,乃訛為段。
帝笑曰:
 「非涼風,段非干木。」

とは涼風のこと。[「説文解字」]段干木は「孟子」滕文公下に登場する魏の賢者。士官を勧めにきた文侯から逃れるために垣を跳び越したとされる。
「顔氏家訓」音辞の酒呑み話であろう。・・・
梁世有一侯,嘗對元帝飲謔,自陳“痴鈍”,乃成“段”,
元帝答之云:
 “異凉風,段非干木。”

笑い話だが、漢語は同音の漢字があるので、実に厄介だが、それを遊びにしたり、縁起を担いでみたり、芸術にまで昇華させたりする訳である。

  【損惠蹲鴟】
有人誤讀芋為羊,
因人惠羊,乃謝云:
 「損惠蹲鴟。」

[異体字は茜]という漢字は"艸+千"であり、草木茂盛しか意味していない。印刷が悪いと、芋と似ているので間違い易い。[→「芋考」]小生も、"天,生終南山中。"を里芋と見なしたが[→]、芋でないかも知れないのである。
一方、と羊の読み違いがあるようだ。下手な筆書だと、ありえそう。
蹲鴟とは、蹲伏的鴟ということで大芋だそうだが、"出「顔氏家訓」"というだけで、話がよくわからない。清代の歸安呉景旭撰:「歴代詩話」巻三十七@欽定四庫全書の注記で文字聲遊び的な笑話らしきことがわかる。・・・
青棠集云:
 張九齡送芋與蕭Q,稱蹲鴟;
 Q不學,答曰:
  「損惠芋拜嘉,惟蹲鴟未至耳.然僕家多怪,亦不願見此惡鳥也。」
録云:
 馮光震注蹲鴟為今之芋子/即是着毛蘿蔔種種可資笑柄。


  【我謎謎】
曹著機辨。
有客試之,因作謎云:
 「一物坐也坐,臥也坐,立也坐,行也坐,走也坐。」
著應聲曰:
 「在官地,在私地。」
複作一謎云:
 「一物坐也臥,立也臥,行也臥,走也臥,臥也臥。」
客不能曉。
曹曰:
 「我謎謎。」
客大慚。

トンチのナゾナゾ。
"一物坐也坐,臥也坐,立也坐,行也坐,走也坐。"の普通の答えは蛙。
"一物坐也臥,立也臥,行也臥,走也臥,臥也臥。"の方は、謂うまでも無く蛇である。
従って、蛙を蛇が呑みこむことになる。

  【句枝】
予以坐客聊句,互送為煩,乃取班竹,以白金絡首如茶莢,以遞送聊句,謂之句枝。
或角押惡韻,或煎碗茶為八韻詩,皆謂之雜連。若志於不朽則汰客,揀穩韻無所得輒巳,謂之苦連。
句句共押平聲好韻不僻者,書於竹簡,謂之韻牒。

  (以上見《類説》卷六)
【句枝】のここから先はほとんど「唐詩人史」(詩句の全文)[→]でとりあげた箇所。「漢上題襟」には成式の文章全文記載。[→]
一夕,予坐客互送連句為煩,乃命工取細斑竹,以白金鎖首,如茶挾,以遞聯名之。
予在城時,常與客連句,初無虚日。
小酌求押,或窮韻相角,或押惡韻,或煎茗一碗,為八韻詩,謂之雜連。
若志於不朽,則汰揀穩韻,無所得輒已謂之苦連。
連時共押平聲好韻不僻者,出於竹簡,謂之韻牒。
出城悉攜行,坐客句挾韻牒之語,必為好事者所傳矣。
因説故相牛公揚州賞秀才希逸詩「蟾蜍醉裏破,蝶夢中殘」,毎坐吟之。
予因請坐客各吟近日為詩者佳句,
有吟賈島「舊國別多日,故人無少年」。
馬戴「猿啼洞庭樹,人在木蘭舟」;又「骨銷金鏃在」。
有吟僧無可「河來當塞斷,山遠與沙平」;又「開門落葉深」。
有吟張「河流側讓關」,又「泉聲到池盡」。
有吟僧靈准「晴看漢水廣,秋覺山高」。
有吟朱景玄「塞鴻先秋去,邊草入夏生」。
予吟上都僧元礎「寺隔殘潮去」;又「採藥過泉聲」;又「林塘秋半宿,風雨夜深來」。
予識蜀中客季子,毎云:「寒雲生易滿,秋草長難高。」

  (《唐詩紀事》卷五七)

  【借書】  「本の貸し借り」
今人云:借書還書,等為二癡。據杜荊州書告云:「知汝頗欲念學,今因還車,致副書,可案録受之,當別置一宅中,勿複以借人。」古諺云:「有書借人為嗤,借人書送還為嗤也。」
  【盜】  「食人盗賊」
李廓在潁州,獲光火賊七人,前後殺人,必食其肉。獄具,廓問食人之故。其首言:「某授教於巨盜,食人肉者,夜入人家,必昏沉,或有魘不悟者,故不得不食。」兩京逆旅中,多畫及茶碗,賊謂之辣者,記嘴所向碗子,辣者亦示其緩急也。
  【夢】  「夢とは」
成式表兄盧有則,夢看撃鼓。及覺,小弟戲叩門,為街鼓也。
  【牡丹】  「牡丹史」
牡丹,前史中無説處。惟謝康樂集中,言竹間水際多牡丹。成式檢《隋朝種植法》七十卷中,初不記説牡丹,則知隋朝花藥中無所也。
  【蠅】  「蟲 (蟻, 紙切, 蝿, 蜂)」
長安秋多蠅。成式蠹書,常日讀百家五卷,頗為所擾,觸睫隱字,驅不能巳。偶拂殺一焉,細視之,翼甚似蜩,冠甚似蜂,性察於腐,嗜於酒肉,按理首翼,其類有蒼者聲雄壯,負金者聲清聒,其聲在翼也。

  【黥】
上都街肆惡少率而膚札,備衆物形状,恃諸軍張拳強劫,至有以蛇集酒家,捉羊胛撃人者。
今京兆薛公元賞上言,白令里長,
潛部約三千餘人,悉杖,尸於市。
市人有點青者,皆灸滅之。
時大寧坊力者張乾,
札左膊曰:
 「生不怕京兆尹。」
右膊曰:
 「死不畏閻羅王。」

徹底的に刺青者を処断する京兆尹もいた。悪さをする輩は杖殺。[→「エクストリームパンク処断」]
坊里の長に命じて、刺青者をあぶりだし、処罰するとなれば、それを逃れるために消墨をすることになろうが、そんなことにひるまずかえって対抗意識を露わにする御仁も少なくない。爛熟した文化が花開くとは、そういうことでもある。
刑罰で無ョ漢が消えることはないのである。それこそ、沙門天王の入墨で粗末に扱えなくして乱暴狼藉を働く者もでてくる。【又】以下の一節は典型。
ここで記載されている輩も、御多分に漏れず閻魔の入墨。反権力誇示がレゾンデートルそのものでもあるから、それだけでは収まらず、さらに左右の二の腕にも、誓いの言葉を。
左には、京兆尹など怕れずに生きていくゾ!、と。
右には、閻魔王など畏れずに死んでいくゾ!、と。
  【又】  「パンクの刺青」
韋少卿少不喜書,嗜好札青。其季父嘗令解衣視之,胸上刺一樹,樹杪集鳥數十,其下懸鏡,鏡鼻系索,有人止於側牽之。叔不解,問焉,少卿笑曰:「叔不曾讀張燕公詩否?『挽鏡寒鴉集』耳。」

  【秦馬】  「馬将軍」
秦叔寶所乘馬,號忽雷。常飲以酒,毎於月明中試,能豎越三領K氈。及胡公卒,嘶鳴不食而死。
  【盜  「人間心理【飛天術】」
瓦官寺,因商人無遮齋,衆中有一年少請弄閣。乃投蓋而上,單練𩭪履膜皮,猿挂鳥跂,捷若神鬼,複建罌水於結脊下,先溜至簷,空一足欹身,承其溜焉,睹者無不毛戴。
  【妓忌】  「破虱録」
成式曾一夕堂中會,時妓女玉壺忌魚炙,見之色動,因訪諸妓所惡者,有蓬山忌鼠,金子忌虱,尤甚。坐客乃兢征虱拿鼠事,多至百餘條。予戲其事,作《破虱録》。
  【小奴】  「割れた玉精碗」
馬侍中嘗寶一玉精碗。有小奴七八弄墜破焉。時馬出未歸,左右驚懼,忽失小奴,三日尋之不獲。有婢晨治地,見紫衣帶垂於寢床下,視之,乃小奴蹶張其床而負焉,不食三日而力不衰。
  【  「喪衣類」
,鬼衣也。桐人起虞卿,明衣起佐伯姚,挽歌起謳。故舊律,發塚棄市。塚者,重也,言為孝子所重,發一璽土則坐,不須物也。
  【雷】  「喪介休王の雷」
在北都介休縣,百姓送解牒,夜止晉祠宇下。夜半,有人叩門云:「介休王暫借霹靂車,某日至介休收麥。」良久,有人應曰:「大王傳語,霹靂車正忙,不及借。」
  【碧筒】  「象鼻杯」
歴城北有使君林。魏正始中,鄭公愨三伏之際,毎率賓僚避暑於此,取大蓮葉置硯格上,盛酒三升,以簪刺葉,令與通屈,莖上輪茵如象鼻,傳之,名為碧筒杯,以下之。
  【臥箜篌】  「音楽の本質」
魏高陽王雍美人徐月華,能彈臥箜篌,為明妃出塞之聲。(以上見宛委山堂本《説郛》卷一七)

  【涼殿】
玄宗起涼殿,拾遺陳知節上疏極諫,上令力士召對。
時暑毒方甚,上在涼殿,座後水激扇車,風獵衣襟。
知節至,賜坐石榻。
陰溜沉吟,仰不見日,四隅積水成簾飛灑,座内含凍。
複賜冰屑麻節飲。
陳體生寒慄,腹中雷鳴,再三請起方許,上猶拭汗不已。
陳才及門,遺洩狼藉,逾日複故。
謂曰:
 「卿論事宜審,勿以己方萬乘也。」

  (《古今合璧事類備要》前集卷一一、《唐語林》卷四)
中華帝国の貴族は、異国の文化への憧れがことの他強かったようである。と言うか、北の文化は、外見的には「胡」の物真似一色と言って間違いないだろう。そこらがはっきりしたのは、漢の霊帝の頃。
衣服、調度(帳や床)、座のスタイル、飲食、楽や舞まで多岐に渡る。地場の文化はどうしても一般階層や奴婢の影響を受けるから、華やかなものを希求すればそれしかなかったともいえよう。しかも、官僚国家であり、先進的に映る文化を独裁者に紹介する競争がその流れを後押ししたに違いない。
ここで記載されている話も、そのような風土を描いた話と見ることもできよう。玄宗もプロ胡人だったのである。(見方を変えれば、中華大帝国を実現するためには、都がインターナショナルな文化に染まっている必要があるということでもあろう。贅沢の極み食を希求したとして紹介される後代の満漢全席にしても、独裁者と一緒になって支配地域毎の文化に浸る儀式である。重要なのは料理より、参加者の出で立ちと宴会形式であろう。)

  【樺香】
處士許畢云:
 樺根之如煎香。

  (商務本《説郛》卷三六《酉陽雜俎 語録》)
[=艸+熱]は"焼く"という意味[「説文解字」]だから、焦がした樺の根ということか。

煎香と書かれると、どうしてもセンコウと読んでしまう。しかし、どう考えてもセンコウは線香以外のなにものでもない。謂うまでもなく用途は宗教儀式用の焚香である。その儀式が遊びになれば闘香だし、芸に昇華していったのが香道であろう。

一方、貴族生活の実用に展開したのが焚き込み。衣服や身体に賦香する、薫香である。これが、結界のなかを清めるための焚香の原点のような気がする。
現代の化粧品は粉や液だが、それは簡便性から来ているのだと思われる。唐代においても、そのようなタイプも使われたに違いない。
煎香は、文字から考えると、香材を煎じることになるから、こうした流れとは違うようにも思える。つまり、煎汁香と解釈した訳だが。(香道用語では、直接点燃するか否かで、焚と煎が違うだけ。)

煎汁香とは、現代で言えば、香水やオーデコロンに相当する。もっぱら性的魅力向上用だが、その原点は体身対応であろう。肉食系の胡人など、腋臭が猛烈だったろうから、多用していそうな感じがする。

一方、南方諸族はその気になれば水浴可能であるから、そのような目的でのお香のニーズは薄いが、スパイシーな食べ物が主体になるから、香りという観点ではフレグランスよりフレーバーに関心があったろうから、服用による口臭や体臭防止が図られたに違いない。こちらも、煎汁香が多かったであろう。

薬剤の配合処方が記載されている孫思邈[601-682年]:「千金方[備急千金要方]@650年+「千金翼方」には、そのような用途に向く香材がまとめられている。
よく見ていないが、樺根は入っていないようである。處士の許畢が発明したのであろうか。
ただ、"白檀香, 沈香, 檀香, 煎香,…,"という風に並んで記載されているから、煎香は焚香といった使用法の概念ではなく、特定の香材を指しているようだ。おそらく、衣類用であろう。
(田中圭子:「薫集類抄の研究 附・薫物資料集成」三弥井書店 2013年の目次に、唐の薫物の名称が並んでいる。…令人軆香・浴湯香・潤面膏・甲煎・衣香・香粉、焼香・印香・供養香・金剛頂経香・観世音菩薩留湿香)

(出典) 中國哲學書電子化計劃

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