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■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.17] ■■■
[440][安万侶文法]接続詞不要の社会
「古事記」には仏教の話は一切収録されていないし、その教理の核である輪廻と因果律を直接感じさせる話は収録していない。しかし、因果関係というのは、自分の「ものの見方」を他人に伝える上で不可欠な論理である。
それを考えると、天竺はとんでもなきハイレベルな論理社会だった可能性が高く、震旦はそこまでいかないが、漢文に接すれば因果関係をはっきり示す文章にはことかかない。
ところが「古事記」の文章だと、ここらの表現はおざなりである。表現技法を磨く気が無いと見てよいだろう。

この姿勢は、太安万侶の個人的嗜好という訳ではなく、社会的にそのような文化が定着していたと考えた方がしっくりくる。
と云うのは、そもそも日本語が構造論に根差す論理的な文章を目指していないからである。換言すれば、因果関係を言葉で表現するのではなく、文脈から推し量るのが、コミュニケーションの基本ルールになっていたということ。

論理的には飛ぶことになるが、このため、関係代名詞は使わないのである。構造文でないのだから、本来的には、文と文の関係を示すための接続詞という概念がある筈もなかろう。
そのため、類似概念として接続助詞が存在することになるが、これがなんだかわからぬ代物。接続する役割とされているが、同じ言葉で順接にも逆説にも使えるというのである。そのような言葉にどういう意味があるのかさっぱりわからず、小生には合点がいかぬ。玉虫色的技法というならわかるが、そういうことでもあるまいし。

余計なことを書いたが、「古事記」が対象とする社会ではこのような語法は一切不要なのでは。
漢語とは違って、常に文脈から読み取るのだから、必要なのは句や節の"切れ目"を認識できる助詞があれば必要十分なのでは。文章間の"繋"となる詞は邪魔者以外の何物でもないように思うが。
日本人社会では空気を読む能力が無いと上手に泳いで行けないと言われているそもそもの原因はココにあるということでもあろう。

しかし、間違えられてはこまるが、「古事記」に接続詞的な用法が無いということではない。

因果関係表現が豊富な言語たる漢文を用いて倭文を表記する以上、縁故・所為・起因・依拠・理由と云った現代に通じる観念が皆無の訳がないからだ。
(ちなみに、現代中国語ではあるが、≪連詞≫がどの程度の広がりがあるか見れば、その感覚の違いは一目瞭然。・・・【並列】和 跟 與 既 及 而 又 等 【選擇】或 或者 還是 等 【轉折】但是 不過 雖然 然而 等 【因果】因為 因此 所以 由於 以致 等 【遞進】不但 不僅 而且 何況 並 且 等 【條件】不管 只要除非 等 【假設】如果 即使 假若 假如 等 【目的】以 以便 以免 為了 等 【承接】又 便 於是 然後 之後 等 【比較】與其 不如)

と云うことで、接続"助詞"とされ、「〜(に)[](て)」「〜(が)[ゆゑ](に)と訓読することになっている2つの用例を見ておこう。
もともとの漢字は、名詞的なものであり、介詞的には余り使われてこなかったようだが、漢文では文字がどの分類に当たるのかははなはだわかりにくいというより、どうにでもなるので、助詞的に用いられてもおかしなことではない。

≪故≫
【名/代名:縁故・原因】⇒【形:原来的/死去的】【動:死亡】【副:本来/依然】【連:所以】
≪因≫
【名/代名:縁故・原由】⇒【動:利用】【介:由于】【形:親近】【連:就/因而】

「古事記」用例は数が多いので、上巻の前半のみで終えるが、こんな具合。・・・
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  "久羅下那州多陀用幣琉"之時
  如葦牙
  
萌騰之物
  成神名 "宇麻志阿斯訶備比古遲"神
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  賜天沼矛

  言依賜 也
  

  二柱神立["多多志"]天浮橋

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  成成
成餘處一處在
  

  以此吾身成餘處
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  請天神之命
天神之命以 "布斗麻邇爾"ト相 詔之
  
女先言 不良
  

  
反降
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  次生伊豫之二名嶋 此嶋者身一
有面四 毎面有名
  

  伊豫國謂"愛比賣"・・・
  次生筑紫嶋 此嶋亦身一
有面四 毎面有名
  

  筑紫國謂白日別・・・
  次生大倭豐秋津嶋 亦名謂天御虚空豐秋津根別
  

  
此八嶋先所生 謂大八嶋國
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  既生國竟 更生神
  

  生神名大事忍男神
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  此 速秋津日子速秋津比賣二神
  
河海持別 生神名沫那藝神
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  此 大山津見神野椎神二神
  
山野持別 生神名天之狹土神
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  次生火之"夜藝"速男神・・・亦名謂火之"迦具"土神
  
生此子 "美蕃登"見炙 病臥在
  "多具理邇"生神名・・・
  ・・・次和久產巢日神 此神之子謂豐"宇氣毘賣"神
  

  伊邪那美神 者
  
生火神 遂神避坐 ・・・
  

  
伊邪那岐命詔之 愛我"那邇"妹命乎
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  哭時 於御涙所成神 坐香山之畝尾木本 名泣澤女神
  

  其所神避之伊邪那美神者
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  闇御津羽神以前 并八神 者
  
御刀所生之神者
  所殺迦具土神之於頭所成神名・・・
  

  所斬之刀名 謂天之尾羽張

因については、ヨリという訓なら、自や従という文字もあるから、これは漢語の因果の意味を当てているのだろう。

尚、所以[ゆえん]も類似の用語であるが、こちらは"所以○○者 △△(也)" or "△△ 所以○○者(也)"というパターンでしか使われないようである。

此大國主神之兄弟 八十神坐 然 皆國
避於大國主神
所以
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問天若日子状

所以使葦原中國
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取懸手足 而 哭悲也
其過
所以
此二柱神之容姿 甚能相似

是以過也
---
國神 名猿田毘古神也
所以出居
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此間有媛女 是謂神御子
所以謂神御子 三嶋湟咋之女 名勢夜陀多良比賣
---
此謂意富多多泥古人
所以知神子
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即 白其姨倭比賣命
天皇
所以思吾死 乎
---
次大鞆和氣命 亦名品陀和氣命
此太子之御名
所以負大鞆和氣命
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<天皇
所以發是問 宇遲能和紀郎子 有令治天下之心也>
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有新羅國主之子 名謂天之日矛 是人參渡來也
所以參渡來
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大后幸行
所以
奴理能美之所養虫
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然其正身
所以不參向
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答曰
所以爲然 父王之怨

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