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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.6.5] ■■■
[341] 兜率天転生
阿弥陀如来の極楽浄土は来迎イメージがあるので、理解し易いが、弥勒菩薩の兜率天の方はそうはいかない。上生した菩薩が天宮を構えて、常時説法し、有縁の衆生を救済するとされているからでもある。
しかし、天竺では早くから、弥勒信仰は盛んだったらしいから、兜率天の明瞭なイメージができあがっていたのは間違いなさそう。
本朝では、「今昔物語集」成立よりかなり後世の作ではあるが、曼荼羅図があるので、どの様な想念だったかは、なんとなく伝わってくる。
現物を見ないとよくわからないものの、絹本絵であり、公開すれば劣化は避けられないから、そうそう拝見できるものではなく、画像情報検索で上がってくるもので、なんとか、その感覚を想像するしかなさそう。
→兜率天曼荼羅図/部分[とおくてちかい-仏教美術-2014年:大阪府延命寺蔵@13世紀](C)大阪市立美術館
→兜率天曼荼["曼荼羅展"2013年@13―14世紀](C)根津美術館
→兜率天曼荼羅図(衝立表)[広島県明王院旧蔵@14c] (C)東京国博
→絹本著色兜率天曼荼羅図[誓願寺所蔵](C)岐阜県

西方浄土とは根本的に異なり、遠き将来に未来仏と共に人間界に戻ろうというのだ。つまり、その地は最終目的地ではないから、本来的には両者は比較対象にならない筈だが、両者ともにほとんど同一視されているように映る。
《兜率天転生》
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#10]天竺比丘僧沢観法性生浄土 [→達磨]
   "覩率天の内院に生れぬ"
  [巻四#26]無着世親二菩薩伝法語 [→無着の神通力]
   "夜は兜率天に昇て、
    弥勒の御許に参て、大乗の法を習ひ奉り、
    昼は閻浮提に下て、衆生の為に法を弘む。"
  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)
  [巻六#_6]玄奘三蔵渡天竺伝法帰来語 [→般若心経]
   "十方の仏を礼し奉り、
    正念にして、慈氏菩薩を念じ奉り給ふ間、
    心の内に須弥山を経て、兜率天に昇て、
    慈氏菩薩の妙法台に坐給て、
    天衆に囲遶せられ給へるを見る。"
  【本朝付仏法部】巻十一本朝 付仏法(仏教渡来〜流布史)
  [巻十一#15]聖武天皇始造元興寺語 [→南都の寺]
   "正く度々光を放て、帰敬する人、皆兜率天に生たり"
  [巻十一#16]代々天皇造大安寺所々語 [→南都の寺](後半欠文)
   "中天竺、
    舎衛国の祇園精舎は兜率天の宮を学び造れり。"
  【本朝付仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#36]天王寺別当道命阿闍梨語 [→道命阿闍梨読経聴聞の霊験]
   "覩率天に生まるべし"
  【本朝付仏法部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#_7]比叡山西塔僧道栄語 [→比叡山西塔相輪]
   "疑ひ無く兜率天に生ぜる人也"
  [巻十三#11]一叡持経者聞屍骸読誦音語 [→熊野の地] [→持経者]
   "夢の告の如くに兜率天に生れにけり"
  [巻十三#15]東大寺僧仁鏡読誦法花語
   "今兜率天の内院に生れて、弥勒を見奉らむとす"
  【本朝付仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#_3]紀伊国道成寺僧写法花救蛇語 [→道成寺] [→熊野の地]
   "我等二人、忽ちに蛇身を棄てて善所に趣き、
    女は利天に生れ、僧は都率天に昇ぬ"
  [巻十四#_4] 女依法花力転蛇身生天語 [→藤原広嗣の乱]
   "此く兜率天に生れぬれば、哀れに貴き事也"
  [巻十四#10]陸奥国壬生良門棄悪趣善写法花語 [→壬生良門]
   "定めて兜率に生れたる人也"
  [巻十四#18]僧明蓮持法花知前生語 [→前生蟋蟀の僧] [→熊野の地]
   "汝ぢ、当に三業を調へて法花経を誦せば、
    来世に兜率天に生るる事を得てむ"
  [巻十四#20]僧安勝持法花知前生報語 [→前生蚯蚓の僧]
   "此の身を棄てて、兜率天上に昇て、慈氏を見奉るべし"
  【本朝付仏法部】巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚)
  [巻十五#45]越中前司藤原仲遠往生兜率
   "我、今兜率天上に生まるべし"
  [巻十五#46]長門国阿武大夫往生兜率
   "今、兜率天上に生れぬ"

すでに、以下の譚が取り上げる"弥勒信仰"については取り上げたが[→弥勒菩薩]、そちらは未来仏としてヒトの世に下生される時にご一緒させて頂きたいとの志向。兜率天上"往生"とは概念が異なる。
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#27]護法清弁二菩薩空有諍語 [→諸法皆空]
   "弥勒に問奉るべき也。
    速に兜率天に昇て、問奉るべし"
  【本朝仏法部】巻十一本朝 付仏法(仏教渡来〜流布史)
  [巻十一#_1]聖徳太子於此朝始弘仏法語 [→本邦三仏聖]
  [巻十一#_9]弘法大師渡唐伝真言教帰来語 [→文殊化身]
  [巻十一#15]聖武天皇始造元興寺語 [→南都の寺]
  [巻十一#25]弘法大師始建高野山語 [平安期の寺→] [→仙人空海]
  [巻十一#29]天智天皇建志賀寺語
  [巻十一#30]天智天皇御子始笠置寺語 [平安期の寺→] [→仙人空海]
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#11]修行僧広達以橋木造仏像語 [→架橋]
   "阿弥陀仏・弥勒・観音の三体の像を作り奉りつ"
  [巻十二#24]関寺駈牛化迦葉仏語 [→逢坂山越の寺] [→源信物語 [4:気になる小瓶]]
   "必ず弥勒の世に生まるべき業は造り固めつ"
  【本朝仏法部】巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚)
  [巻十五#16]比叡山千観内供往生語 [→千観内供] [→比叡山僧往生行儀]
   "定めて弥勒の下生の暁を期せむ"
  【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚)
  [巻十七#34]弥勒菩薩化柴上給語
   "弥勒の像を見奉て、貴びて礼拝"
   ・・・"此れを思ふに、
    弥勒菩薩は兜率天上に在ますと云へども、
    衆生利益の為には、
    苦縛の凡地に下て、形を現じ給ふ也けり。"
  [巻十七#35]弥勒為盗人被壊叫給語
   "弥勒菩薩の銅の像を盗取て、破り損ぜむ・・・"
   ・・・"此れを思ふに、・・・
    「盗人に重罪を犯さしめじ」と思ひ給ふ為也"

阿弥陀如来と菩薩達のお迎えでの西方浄土往生とは概念が全く異なるにもかかわらず、巻十五"往生語"集のなかに、"往生兜率"として2譚を収録しているのが解せぬ。
おそらく、弥勒菩薩の居られる兜率天上への転生も極楽往生と同類の貴い"往生"とみなす世の中の風潮に一石を投じたくなったということ以外に理由が思いつかない。

十三⑮【仁鏡】
 東大寺の僧 仁鏡の父母は寺の近くに住んでいた。
 子を授かりたいと寺の鎮守に勧請し
 「男子を授かれば、出家させ仏道をを学ばせます。」
 ということで生まれたのである。
 その願に従い、9才になると、仏道を学ばせた。
 法華経観音品から始め、すぐ全巻習得。
 次に、その他の経典の法文に。こちらも、皆習得。
 戒律遵守。深山に籠って一夏のお勤めも10回を越す。
 こうして、80才に。
 最期を迎えるに、清浄な地でと、愛宕山大鷲の峰へ。
 そこは地蔵菩薩・竜樹菩薩がおいでになる地で
 震旦五薹山と同じということで。
 日夜、法華経読誦。
 六時
(晨朝,日中,日没,初夜,中夜,後夜)には懺法。
 衣服を求めず、食べ物も選ぶこともせず。・・・
  破れた紙衣に目の荒い布の衣を着ているか、
  破れた蓑を被っていたり、鹿皮をまとって過ごしていた。
  その姿を見られても恥じることもなかった。
  寒さを忍び、暑さに堪え、粥一杯で2〜3日を過ごすことも。
 時には、夢で、師子が近付いて来たり、白象が出現するので、
 普賢菩薩・文殊菩薩がお護り下さっていると考えていた。
 そのような修行生活で、示寂したのは127才のこと。
 心乱れず、法華経を誦しながら亡くなったのである。
 その後、その場所に老僧が住むようになり、
 夢をみた。
  亡 仁鏡聖人が法華経を手で捧げ持ち、
  虚空に昇りながら、
  「我、今、兜率天内院に転生した。
   弥勒菩薩にお会いすることになる。」
  と告げ、さらに上に昇って行った。
 これを聞いた人は皆尊んだのである。


十五㊺【藤原仲遠】"往生兜率"
藤原仲遠は後世の事ばかり恐れていた。
法華経読誦と仏の名号を唱えてばかり。日毎の所作は、法花経一部・理趣分・普賢の十願・尊勝陀羅尼・随求陀羅尼・阿弥陀の大呪此、等を誦す事。
造像、書経、供養も多かった。
臨終時は、法華経を読誦し、
「我、今、兜率天上に生まるべし。」と告げ
合掌し示寂。

十五㊻【阿武大夫⇒修覚入道】"往生兜率"
長門の阿武大夫は殺生が生業。
しかし、臨終後、法華経のお蔭で蘇生。
そこで、出家。
法華経を読誦しながら示寂。
その後、僧の夢で語る。
「我れ法花経を読誦せし力に依て、
 今、兜率天上に生れぬ」

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