→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.20] ■■■ [443][安万侶文法]"ア"と"あ"を規定 従って、釈尊が経典化を禁じていた理由も理解していたし、後世、その教え(釈尊の肉声)を文字化したのが仏教経典であることも知っていた筈と考える。 文字化を嫌っていた社会で、50音的に、口頭発声の言葉を分解する技法が自然に身に付く訳がなかろうから、サンスクリットの語学に接していたと考えた方がよかろう。ただ、中華帝国はサンスクリット文書は漢訳の上で、事実上焚書としたから、表立ってそのような学びがあったと表明するような馬鹿なことはする訳はなかろう。仏教経典とは漢文であり、読みも漢語と決めたに違いないのであるが、インテリが集うサロンでは、そんあことにおかまいなく、優れた考え方について議論が行われていたと見る。当時の知識人からすれば、それこそが一番の楽しみでもあったろうから。 その一端が垣間見れるのが、「古事記」に於ける"あ"音の表記である。 先ず、現代日本語における仮名の"あ"の用法だが、基本的には、代名詞の接頭辞では。(あれ あの あそこ)但し、話語として、驚きを示す"あ!"、あるいは"あっ。"、注意を引くための発声とも言えそうな"ああ〜"、等々も別途存在しているものの、漫画は別とすれば、書き言葉としては滅多に使われることはなかろう。・・・"あ"は音素として語彙中に使われているが、語彙としては消滅の方向ということになりそう。 ところが、万葉言葉の時代は、 そんなこともあるのか、「万葉集」での<あ>音の仮名漢字は阿安吾足我妾及び 余 網 嗟 乎 鳴 痾 呼 英 己と、極めて数多くの漢字が当てられているらしい。歌であるから、音素さえ表記できれば十分ということで、漢字使用ルールを設けなかったということだろうか。 それなら、「古事記」も同じ方針かと思ってしまうが、太安万侶には、同音異字の使用方法については一家言ありそうな気がする。 少なくとも、"あ"については、文字の意味を考えて表記しているように映る。 その方針の核は、"あ"という音素は"阿"と表記すべきと云う点にある。それは、この文字こそ、サンスクリット語法のデーヴァナーガリー第1文字第1母の"अ"の漢訳文字だからだ。 仏僧との交流を通じてそこらの知識を早くから身に着けていたとみる。(仏教について全く記載していないから、仏教忌避感ありと考えるべきでない。火葬のうえ、墓誌も副葬しており、唐朝の仏教系知識人の姿勢と似ているからだ。) ≪阿[=阝/阜+可(=丁+口)]/啊⇒[後の片仮名]ア≫ [一般に言われている意味] ❶山阿…隅 ❷阿諛…おもね-る ❸四阿…軒 ❹阿父…接頭語(親近感) ❺阿波国…「古事記」では"阿波志摩" ❻梵字第一字母[阿吽] [音]ア [訓](様々) --- 「古事記」用例@上巻の前半 --- 【人名/氏族名】稗田阿禮 阿曇連 【神名】宇麻志阿斯訶備比古遲神 阿夜訶志古泥神 【訓読註表記】天["阿麻"] 竺紫日向之橘小門之"阿波岐"原" 阿那邇夜志愛袁登古袁" 天照大御神之營田之"阿"埋其溝 地矣"阿多良斯登許曾" 中枝取繋八尺["八阿多"]鏡 如先期"美刀阿多波志都" 【歌音素表記】<阿理登岐加志弖 阿理登伎許志弖 阿理多多斯 阿理迦用婆勢 阿遠夜麻邇 阿麻波勢豆加比><賣邇志阿禮婆 賣邇志阿禮婆 和杼理邇阿良米 現代では、"あ"の漢字と云えば阿ではなく安だが、こちらの読みは"ア"ではなく"アン"あるいは"やす"とすべきだろう。稗田 ≪安[=宀+女]⇒[後の平仮名]あ≫ [意味] …家のなかに女が居る。 安全 安逸 安泰 平安 保安 安国 安易 [音]アン [訓]やす-い やす-らか いず-く いず-くにか いず-くんぞ --- 「古事記」用例 --- 【人名/氏族名】安萬侶 近淡海之安直之祖 近淡海之安國造之祖 建波邇安王 【地名】天安河 越高安山 【意味】國安平/國家安平也 於是其身如本以安平也 其呉人安置於呉原 同様に"あ"と呼ぶ文字でされていて多用されるのが、第一人称を示す漢字。 と云っても単音ではなく、"あれ/あが"としたり、"あ/a⇒わ/wa"となる場合も多い。要するに、実際に当時どう発音されていたのかはなんとも言い難しなのだろう。さらに、吾と我の使い分けがされていたのかもわかっていないようだ。 尚、第一人称としてはこの他に、≪余/予≫≪朕≫≪台≫も存在してはいるが、漢籍では、ほとんど≪吾≫≪我≫が使われている。このため用例は豊富だが、どのような使い分けがなされているのかは解明が難しいようだ。 「古事記」も当然ながら≪吾≫≪我≫の世界になっているし、使い分けの方針も見えてこない。しかし、太安万侶のことであり、なんらかの考え方があっておかしくない。・・・ ≪吾[=五+口]≫…神のお告げ …第一人称 [呉音]グ [漢音]ゴ [訓]あ あが われ わが ≪我[=戈+𠂌(竹手:鋸)]≫…強い意志 …自分自身 [音]ガ [訓]われ わ 想像にすぎぬが、上記で強い意志と書いたが、それは現代的な意味での自己実現的な意向を示すのではなく、例えば朝廷あるいは直接的な詔に基づいた決意を固めた自己ということでは。 自らの意思決定に基づいた行為の主語表記は"吾"ということでは。 尚、文字形成過程の影響を見ているが、特定の条件がなければ、この見方が通用する可能性は低いと思う。しかし、太安万侶も漢籍を調べて両者の差異はわからなかったろうから、このような見方での違いを考えるしか無いと思う。 (儒教系学問の世界では官僚的規定を緻密に構築することが半ば義務であり、両者は峻別される必要がある。発音も変える必要があろうし、文構成文法である以上、吾は主語が自分の時に使うことになるから、再帰用法を除けば、主格と属格にのみ使用すべきで、主語が自分でない文では、つまり対格(目的語)等では我を用いることになろう。このルールから外れる場合は、なんらかの揶揄表現ということになる。…こんなことを強制する意味はたいしてなさそうだから、官僚統制大好き人間がどこまで多いかで、この手の用法の普及が決まることになろう。) この文字の、謙譲表現が以下の2文字になる。 出自からすれば、"あ"と呼ぶべき文字ではないが、謙卑の意識を乗せた吾だから、発音は"吾"として使われるのだから、同一読みでもおかしくなかろう。・・・ ≪僕[=亻/人+菐]≫ …奴僕⇒男性謙卑自稱 [音]ボク [訓]しもべ ≪妾[=立+女]≫ …女奴隷⇒女性謙卑自稱⇒側室 [音]ショウ [訓]めかけ/そばめ わらわ 太安万侶の文字使用はここらを踏まえていると見てよさそうだ。 なんといっても、海佐知毘古が服従を誓う際の言葉は印象的である。・・・ 如此令惚苦之時 稽首 白: 「僕者 自今以後 爲汝命之晝夜守護人 而 仕奉」 蛇足であるが、冒頭で引いた"あ"文字の、 ≪足[=口+龰]≫ …下肢⇒器物下面支え部⇒踏 [呉音]ソク [漢音]ショク [訓]あし た-る/た-す/たり-る ------------------------- 📖語気詞の扱い 📖特別感嘆詞"然者" 📖接続詞不要の社会 📖ゴチャゴチャ表記の理由 📖構造言語文法は不適 📖句間字と文末字の重要性 📖膠着語の本質 📖日本語文法の祖は太安万侶 🗣📖訓読みへの執着が示唆する日本語ルーツ 📖日本語文法書としての意義 📖倭語最初の文法が見てとれる 📖てにをは文法は太安万侶理論か 📖脱学校文法の勧め 📖「象の鼻は長い」(三上章) 📖動詞の活用パターンは2種類で十分 📖日本語に時制は無いのでは 📖日本語文法には西田哲学が不可欠かも 📖丸暗記用文法の役割は終わったのでは 📖ハワイ語はおそらく親類 📖素人実感に基づく言語の3分類 📖日本語文法入門書を初めて読んだ 📖書評: 「日本語と時間」 📖日本語への語順文法適用は無理を生じる (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |