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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.26] ■■■
[512] 殺強盗譚の意味
巻二十九は題して本朝付悪行。

その"悪行"だが、"法や人の道に外れた悪い行い"を意味するそうで、本来は仏教用語ではないらしい。実際に、分けて使われている印象が薄いのは、仏教国化したからだろう。
それでは、実際に悪い行いとは何かと言われると、結局のところ"善く無い行い"としか言えず、トートロジーの世界に嵌り込むことになるが、ひとたび信仰を得ればそうならなくなる。"戒"として、悪業の中身が具体的に定義されるからである。

その"戒"の1、2番に掲げられるのが"殺"と"盗"。
この巻は、以下に示すように、そのオンパレードで、盗賊・殺人者譚が7割強を占める。残りは、殺"畜生"版。

ほとんどの譚は、英国タブロイド版大衆紙の社会記事的で、日本の一般紙の三面記事では避けるような生々しい報道姿勢が貫かれていると言ってよいだろう。
それなら、仏法系譚のように、悪行の応報がいかなるものか記載してもよさそうなものだが、そこには関心が無いのである。
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
-----1〜30 盗賊・殺人者譚-----
[#_1]
西市蔵入📖"羅生門"
[#_2]
多衰丸調伏丸二人📖袴垂
[#_3]
不被知人女📖"羅生門" 📖SMショート
[#_4]
隠世人聟□□□□📖本朝社会規範攷
[#_5]
平貞盛朝臣於法師家射取📖平貞盛
[#_6]
放免共為強入人家被捕📖"羅生門"
[#_7]
藤大夫□□家入強被捕📖盗鐘団
[#_8]
下野守為元家入強📖花山院
[#_9]
阿弥陀聖人宿其家被📖毒茸 📖阿弥陀仏信仰
[#10]
伯耆国府蔵入人被📖窃盗に対する刑
[#11]
幼児瓜蒙父不孝📖瓜盗み喰いの幼児を勘当
[#12]
筑後前司源忠理家入📖盗人の裏をかく
[#13]
民部大夫則助家来盗人告害人📖天井から鉾刺
[#14]
九条堀河住女夫哭📖"羅生門"
[#15]
検非違使糸被見顕📖"羅生門"
[#16]
或所女房以為業被見顕語 (欠文)
[#17]
摂津国来小屋寺📖盗鐘団
[#18]
羅城門登上層見死人📖"羅生門"
[#19]
袴垂於関山虚死📖袴垂
[#20]
明法博士善澄被📖盗鐘団
[#21]
紀伊国晴澄値📖馳射道
[#22]
詣鳥部寺女値📖鳥辺山
[#23]
具妻行丹波国男於大江山被縛📖"羅生門"
[#24]
近江国主女将行美濃国売男📖本朝社会規範攷
[#25]
丹波守平貞盛取児干📖平貞盛 📖止ん事無き医師
[#26]
日向守□□書生📖"羅生門"
[#27]
主殿頭源章家📖狩猟狂
[#28]
住清水南辺乞食以女謀入人📖天井から鉾刺
[#29]
女被捕乞丐棄子逃📖本朝社会規範攷
[#30]
上総守維時郎等打双六被突📖双六勝負
-----31〜40 動物譚-----
[#31]
鎮西人渡新羅値虎📖琉球國 📖蟲への布施行
[#32]
陸奥国狗山狗咋大蛇📖犬譚
[#33]
肥後国鷲咋📖子攫い鷲 📖鷹 v.s. 蛇
[#34]
民部卿忠文鷹知本主📖子攫い鷲 📖飼鷹
[#35]
鎮西猿打鷲為報恩与女📖子攫い鷲 📖猿譚
[#36]
於鈴香山蜂螫盗人📖大胡蜂の襲撃
[#37]
蜂擬報蜘蛛怨📖蟲への布施行
[#38]
母牛突📖仔を護った牛の"お話"
[#39]
蛇見女陰発欲出穴当刀死📖蛇の性譚
[#40]
蛇見僧昼寝𨳯呑受📖蛇の性譚

・・・従って、この巻こそ、「今昔物語集」編纂者の"ガツンと一撃"と言ってよかろう。
言うまでもないが、このガツンさえ全く感じられなくなってしまったのが、当時の多くの本朝学僧の実情だったと見るからだ。

「今昔物語集」仏法部は喜んで読むものの、その先に入ると違和感を覚えるだけで、なにも考えることができない学僧だらけになってしまった可能性は高い。
小生は、それこそが本朝の風土ではないかと見るからである。古い例で恐縮だが、"「資本論」〇章の記述にある通り、こう考えられます。"という以上には読みようが無い著作が積み上がっていた時代を知るからである。

すでに触れたが、ココには危険思想が開陳されている点にも注意を払うべきだろう。

ガツン目的だから、ある意味、いくらでも、あげられるが、とりあえず再掲的にわかり易い3点。

① 貴種の行為
流石に、示唆でしかないが、もしかすると皇子が盗賊ではないか、と思われる話が堂々と紹介されている。
さらに驚かされるのは、実名入りの天皇の超能力で人殺しが行われたことが判明したとの話も。一般人には、全く気付かぬ訳だが、それを、"So, what?"と感じるか否か試されているのである。
マ、必要とも思えない、この辺りの話をわざわざ入れたのだから、「今昔物語集」のパトロンは天皇あるいは上皇と推定することになる訳だが。

② 取り締まり役が犯行者
罪人を捕縛する検非違使が実は犯罪の張本人だったりする。もちろん、驚くような話ではない。現実を直視すればこんなもので、いくら理屈を並べたところで、それが変わる必然性などないのではと指摘しているようなもの。

③ 人非人的行為を平然と行う武家の頭領
99.9%の人が激怒する話に仕立ててある。しかし、社会安定のために不可欠な人材であり、本人もそれを自覚しての行動。表だって言えないものの、儒教的合理主義からすれば、賞賛されてもおかしくなかろう。社会の大動乱を防げるのだから。それに気付く読者を想定していることになる。

動物譚など、そのレベルをはるかに越える"悪行"の姿が描かれている。どう読もうと、救ってもらった恩返し話でしかないものも。主題としての"悪行"は、そこでは何を指すのか自明とは言い難いのである。
当たり前だが、盗殺動機は様々であり、当事者でさえはっきり認識しているとも限らない。にもかかわらず、第三者が倫理的に悪行と評価している訳で、それにどれだけの意味があるのか問うていると考えるのが自然だろう。

まだまだある訳だが、信仰はあくまでも個人のもので、仏教を見かけ隆盛に導いたからといって、このような悪行がなくなる訳ではないのは自明でしょう、と言っているようなもの。
と言って、それに悲観している訳ではなく、どちらかと言えば楽観主義そのもの。場当たり的対処ではあるものの、智慧を働かせればそれなりの対処はできますゼ、との話をワッハッハと読んでくれればそれでОKなのである。
そんな柔軟な姿勢をとれるのは仏教徒ならでは、と思っているかも。

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