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■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.9] ■■■
[432][安万侶サロン]宮名へのこだわり
古代に行われていた歴代遷宮は、当初から倭国のルール(藤原宮で廃止。)とされていたようで、極めて珍しい慣習である。その理由は確定していないようだが、母系制からくる成人独居制度(父子絶対的別居)が底流であるのは間違いないだろう。これに、崩御の死穢忌避感情と、即位=新造成建物居住慣習が重なることも多かっただけのことだと思う。これが、臣がからむと、連合国家の代表持ち廻り制に似てきて、皇位継承争いに乗っかって来るので、宮地は常に振れることになる。
このような状況だと、歴代遷宮のルールから、なかなか抜け出せないことになる。

もともと、天皇の名前は滅多なことでは知らされることは無いし、口に出すのは反逆の意思表明に近いから、普通は天皇名を宮の地名で呼ぶことになる。
そう考えれば、記載されている天皇名は、おそらく崩御後に呼ばれた通称名ということになろう。

それにしても、「古事記」の記載形式はそっけない。公的文書ならば、"○○天皇、△△に遷都。宮号は◇◇。"となろうが、それは漢文調であり、倭は歌謡調で表現するので、"○○命 坐◇◇宮 治天下也"となる。
太安万侶のこの辺りの感覚は研ぎ澄まされており、現代の常識的概念である「都」「京」という表記は一切されていない。都をどう構築しようが、それに大した意味無しと見なしたことになる。従って、一般的に関心がありそうな、宮の造営過程を示唆する情報も一切排除している。天皇名として通用していた名称を表記することが肝要と考えたに違いない。
はっきり言えば、遷都とは編年体史書の要になる表記であるが、それに対して"無関心"との姿勢を示すことに眼目があるということ。「古事記」にも、年号表記があるが、それは崩御年であって即位や遷都を示すものではない。

平安期の公的宮名は「延喜式」巻二十諸陵寮と思われるが、上奏する際の用語集でもあるから、国史踏襲は当たり前。その表記を見る限り、表記上の微妙な違いはあるものの、「古事記」との齟齬は無いと言ってよさそう。中華帝国模倣的な漢名名称は便利だと思うが、使っていない。"◇◇宮御宇○○天皇 在△△"と記載しており、「古事記」の表記方針と似ている。・・・
  [34] 岡本宮…(高市崗本宮) (舒明天皇)
  [33] 小治田宮…(小治田宮) (推古天皇)
  [32] 倉橋柴垣宮…(倉橋宮) (崇峻天皇)
  [31] 池邊宮…(磐余池辺双槻宮) (用明天皇)
  [30] 他田宮…(訳語田宮) (敏達天皇)
  [29] 師木島大宮…(磯城嶋金刺宮) (欽明天皇)
  [28]廬入野宮…(檜隈廬入野宮) (宣化天皇)
  [27] 勾金箸宮…(勾金橋宮) (安閑天皇)
  [26] 伊波禮玉穂宮…(磐余玉穂宮) (継体天皇)
  [25] 長谷之列木宮…(泊瀬列城宮) (武烈天皇)
  [24] 石上廣高宮…(石上廣高宮) (仁賢天皇)
  [23] 近飛鳥宮…(近飛鳥八釣宮) (顕宗天皇)
  [22] 伊波禮甕栗宮 & 忍海高木角刺宮…(磐余甕栗宮) (清寧天皇)
  [21] 長谷朝倉宮…(泊瀬朝倉宮) (雄略天皇)
  [20] 石上穴穂宮…(石上穴穂宮) (安康天皇)
  [19] 遠飛鳥宮…(遠飛鳥宮) (允恭天皇)
  [18] 多治比柴垣宮…(丹比柴籬宮) (反正天皇)
  [17] 伊波禮若櫻宮…(磐余稚桜宮) (履中天皇)
  [16] 難波之高津宮…(難波高津宮) (仁徳天皇)
  [15] 軽嶋明宮…(軽島明宮) (応神天皇)
  [__] 筑紫訶志比宮…(磐余稚桜宮) (神功皇后)
  [14] 穴門之豊浦宮 & 筑紫訶志比宮…(穴門豊浦宮) (仲哀天皇)
  [13] 志賀高穴穂宮…(志賀高穴穂宮) (成務天皇)
  [12] 纒向之日代宮…(纏向日代宮) (景行天皇)
  [11] 磯城之玉垣宮…(纏向珠城宮) (垂仁天皇)
  [10] 師木水垣宮…(磯城瑞籬宮) (崇神天皇)
  [_9] 春日之伊邪河宮…(春日率川宮) (開化天皇)
  [_8] 軽之堺原宮…(軽境原宮) (孝元天皇)
  [_7] 黒田廬戸宮…(黒田廬戸宮) (孝霊天皇)
  [_6] 葛城室之秋津嶋宮…(室秋津島宮) (孝安天皇)
  [_5] 葛城掖上宮…(掖上池心宮) (孝昭天皇)
  [_4] 軽之境岡宮…(軽曲峡宮) (懿徳天皇)
  [_3] 片塩浮穴宮…(片塩浮穴宮) (安寧天皇)
  [_2] 葛城高岡宮…(葛城高丘宮) (綏靖天皇)
  [_1] 畝火 白檮原宮…(橿原宮) (神武天皇)

こうして系譜を宮名で眺めてみると、色々な表記があり、それぞれの天皇毎に信頼できそうな伝承から選んだように思ってしまうが、おそらくそのような方針ではないと思う。
宮名は、公的標準というものではなく、あくまでも、通常使われた呼名だから、このような結果になるとみるべきだろう。そう考えると、太安万侶はそれこそ謹厳実直にその観点で宮号を記載していると言ってよさそうである。
そんなことがわかるのは、いかにも、公的規定の呼名がより厳密になっているように映る箇所で、風土記に天皇の呼称が残っているが、そのような細かな言い方はなされていないのである。
  [29] 師木島大宮…(磯城嶋金刺宮) (欽明天皇)
「出雲国風土記」
 【意宇郡舍人鄉】志貴嶋宮御宇天皇御世
 【神門郡日置鄉】志紀嶋宮御宇天皇御世
「播磨国風土記」
 【餝磨郡大野里】志貴嶋宮御宇天皇御世
 【餝磨郡小川里】志貴嶋宮御宇天皇御世
「豊後国風土記」
 【日田郡靫編鄉】磯城嶋宮御宇天國排開廣庭天皇之世


「古事記」のこのようなこだわりは、元明天皇の意向に沿ったものでもあろう。"▽▽之◇◇宮"とわざわざ之を挿入するのは、"▽▽國◇◇郡朝庭馭宇天皇"とするようにとの諡号遺詔に、できるだけ沿った表示を目指したことを示していそうだから。それは、特別なことではなく、社会的慣習に合わせヨ、ということだろう。
その理由は、「古事記」が、地名である宮名が崩御後も諡号として通用するという、社会の実態を示したからにほかなるまい。そのような宮名こそが、天皇系譜の正統性を実感させるという認識が出来上がっていたとも云えよう。

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