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■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.24] ■■■
[447]五七調の意味再考
和歌の初元を、残念ながらわかり易くはなかったものの、はっきりと示してくれたのは「古事記」であって、「万葉集」ではない。
それは「古事記」成立の方が古いからではない。

そこらは、すでに書いてきた。「万葉集」は目で文字を読む歌として編纂しているが、「古事記」は歌謡を彷彿させるように工夫された、詠う歌が収録されているといった趣旨で。

ただ、このように書くと、誤解を招きやすいし、指摘したい点が伝わっていない気がしてきたので、書き足しておきたくなった。

と云うのは、「万葉集」の解説を読むと、すぐわかるのが、この書は、五-七-五-七-七の短歌集であるという点。(全4516首のうち、長歌は262首、旋頭歌62首[うち35は「柿本人麻呂歌集」収載歌]、仏足石歌体1でしかない。)これを見ると、「古事記」の歌体のバラエティさと、必ずしも五七調に拘っていない姿勢との違いが余りにも目立つ。従って、「古事記」が古代歌謡を収録しており、「万葉集」が新しい流れの作品を重点的に集めて来たと考えることになる。
そうとも言えるのだろうが、それでは「古事記」は、単なる古き事を記載しただけの書と見てしまうことになり、太安万侶が指摘したかったことを見逃してしまうのではないか。
例えば、短歌形式を定着させたのは「万葉集」としがちだが、実はそうではなく、「古事記」である、という点が見えなくなってしまう。
そこら辺りを書いておこうと思う。

ここでの一番のポイントは、太安万侶が、倭の歌とは五-七というリズムが基本であることを見抜いた点。
・・・たいしたことではないな、と云うなかれ。
このルールこそが、日本語文法の核心であると気付いた最初の人なのだから。つまり、後世の書は、その観念の土俵の上で花開いたに過ぎないと言うこと。

尤も、そう考える人は滅多にいないかもしれない。
「古事記」自体、五-六音の句・四-七音の句・四-六音の句を合わせれば、五-七音の句より少ない数ではあるものの、十分対抗できる数に達しており、いかにも古代歌収録に力を入れているように映るからだ。

要するに、非五七調に特別な思いを抱いてしまうのである。
こんな具合に。・・・
長歌を五七調に限ると思へるは 五七調の多きためなるべけれど 五七調以外の此御歌の如きは なか/\に珍しく 新しき心地すると共に 古雅なる感に打たるゝなり。
  [正岡子規 :"萬葉集を讀む"@「子規全集第七巻」講談社 1975年]
子規が取り上げている非五七調の歌とは、冒頭歌の≪長歌≫だが、小生は、これは実際に詠まれる時は≪五-七-五-七-五-七-五-七-五-七-五-七-五-七-五-七-七≫だった可能性が高いと思う。このように、・・・。
[「万葉集」巻一#1]雜歌/泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [大泊瀬稚武天皇]/天皇御製歌]
   [かたま]もよ み篭持ち
   堀串[布久思]もよ み堀串持ち
   この岡に 菜摘ます子
   家聞かな __告らさね
   そらみつ 大和の国は
   おしなべて 我れこそ居れ
   しきなべて 我れこそ座せ
   我れこそば __告らめ
      家をも名をも

長歌以外の≪六句≫歌も取り上げておこう。・・・
---旋頭歌(五-七-七-五-七-七)---
[「古事記」[18+19]【伊須氣余理比賣+大久米命】"目の入墨の珍奇性"]
胡鷰子 鶺鴒 千鳥 ま鵐 何故黥ける利目
  乙女に 直に逢はむと 吾が黥ける利目
[「万葉集」巻七#1275]旋頭歌
住吉の 小田を刈らす子 奴かもなき
  奴あれど 妹がみためと 私田刈る
---仏足石歌体(五-七-五-七-七-七)---
[「古事記」[110]【志毘臣@歌垣】さらに強烈な敵愾心表明]
大王の 御子の柴垣 八結締まり
  閉り廻し 切れむ柴垣 焼けむ柴垣
[「万葉集」巻十六#3884]越中國歌四首
弥彦 神の麓に 今日らもか
  鹿の伏すらむ 皮衣着て 角つきながら
[「播磨國風土記」賀毛郡小目野]
美しき 小目笹葉に 霰降り
  霜降るとも 勿枯れそね 小目笹葉

要するに、【五-七】が基本形で、完了する場合は、【五-七+七】にするという厳格なルールが存在しているということになる。≪六句≫歌は、そのルールのなかでの、派生形ということになろう。
仏足石歌体の最後の七が小さな文字にされているのは道理。
≪片歌≫と呼ばれる≪三句≫歌も同じこと。

さて、この【五-七】だが、枕詞を知るとわかるが、この五音の箇所とは"枕詞"を指すというべきである。重要なのは、ここは1文節として扱われる点では。
これこそ、日本語のコミュニケーションの一大特徴と云ってよいだろう。
つまり、枕詞は特殊な用語という訳ではなく、もともとこの五音の役割は話題の提示であるというに過ぎない。よくわかる言葉ならなんでもよいのである。"そらみつ"と語れば、どのような場での話か想像がつくということで、意味などどうでもよい。四音に見えるが、"そらみつう"という発音で五音リズムで詠むだけのこと。場合によっては助詞をつけてもよかろう。
これが六音なら上手く縮めるだけの話。「古事記」はあくまでも歌謡から取り出した詠う歌だから、音程やイントネーションを重視する必要があるので、そんなことができる。と云うか、歌謡には、言葉では表現ができない領域があるということ。
これに対して、「万葉集」は文字読みの歌だから、リズムを示す音の数は最重要であり、字余り字足らずは例外的な歌にならざるを得ない。

「古事記」最初の収録歌で、歌謡の核心である歌の基本形は【五-七】+【五-七+七】と、はっきり書いているのだから、そう考えるのが自然では。(【五-七-五】+【七+七】ではない。)・・・
【速須佐之男命】作御歌大神初作須賀宮之時
    八雲立つ 出雲八重垣
      妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
ここで注意すべきは、五音の"八雲立つ"は"八雲が立つ"では無い点。提起する言葉であるから、一塊でなければ駄目である。
"八雲立つ"も"妻籠み”も絶対に文節に分けてはいけない。そのかわり、助詞はいかようにも付けたり取り外したりしてかまわない。
これは現代の会話での、話題転換技法でみられる、「ところでネ」の用法と似ており、どんな話題に入るかを知らしめる部分。日本語は、場の設定ありきの言語であり、何の話題かを示すことから始まるのである。
例えば、「春は曙が・・・。」と文章が始まると、頭の言葉に付く助詞"は"が、主格を示していないとすぐにわかる。これこそが日本語らしさ。本来的に、SVOの構造文法では説明不可能だが、世界標準に合わせる為に、木に竹を接ぐ手で対処しているのが実情。それも又日本らしさそのものと云えそうだが。

五音が提起部分とすれば、自動的に表現の主体は七音の方。こちらは一塊の筈はなく、核である述部とその説明部の2つから形成されることになる。正統的なのは、目的語-述語だろう。もちろん、順番など好き好きであり、意味がわかるなら助詞も不要である。日本語の原点はえらく簡単な言語ということになる。しかし、だからこそ難しいともいえる。同じような情景であっても、たった七音しかないのに、その描き方はいくらでもあるからだ。
もう少しご説明しておこう。
多くの場合、動詞が入ると主語は提起部分から想定可能だから、不要になる。と云っても、"山が在る。"という手の表現が必要だと、名詞だけで、動詞は不要になるので一概には言えないが。この場合、自明なら、名詞とその修飾語だけで七音が形成されることが普通ではないか。余計な部分をカットするなら、それが最善の描き方と思われるからだ。
いずれにしても、七音は2塊から成る述部なのだ。
これが【五-七】調の意味するところ。

歌謡での歌とは、【五-七】が連なるだけのこと。片歌・短歌・旋頭歌・長歌は異なる歌体と云う訳ではない。

ただ、これでは尻切れトンボな表現なので、終止形として【五-七-七】が存在している。要するに、末尾にをつけるだけのこと。一番簡単な形は【五-七】の【七】を繰り返すこと。
それこそ最高潮の気分なったら、【五-七】調とは、即、【五-七-〃】だらけになったりする筈。それだけのことで、深く考えるべきことではなかろう。
実際、そのように書いているではないか。・・・
    八重垣作る=その八重垣を
ここは、繰り返しも可能だが、それでは能が無いから異なる表現になっているだけ。"作りし八重垣"もよさ気だが、それでは八音で七音的に詠むのが難しいこともあり、中途半端な表現に映る句になっていると見てよかろう。

上記の仏足石歌体も特殊というほどではなく、【五-七】調の一環と考えた方がよかろうというだけのこと・・・。
  5(おほみやの) 6(を_とつはたて) 7(すみかたぶけり)
  5(おほたくみ) 6(を_ぢなみこそ) 7(すみかたぶけり)
  5(おほきみの) 7(こころをゆらみ)
     5(おみのこの) 7(やへのしばかき) 7(いりたたずあり)
  4(しほ_せの) 7(なをりをみれば)
     5(あそびくる) 7(しびがはたてに) 7(つまたてりみゆ)
  5(おほきみの) 7(みこのしばかき)
     5(やふじまり) 7(しまりもとほし) 7(きれむしばかき)
                      7(やけむしばかき)
  5(おふをよし) 7(しびつくあまよ)
     5(しがあれば) 7(うらこほしけむ) 7(しびつくしび)


言うまでもないが、こうした見方を正当と見なせるような歌ばかりが収録されているとは言い難い。
その辺りをどう考えるかは別途。

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