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■■■2015年6月の記述内容 ■■■
2015.6.30   首狩り文化は理解できぬ
   人工知能時代の幕開けというのに、首狩りは盛ん。
   精神古層はなかなか消えぬもののようだ。
   首取と首狩りの本質は同じ可能性もあろう。   →本文
2015.6.29   ついに完全雇用状態突入か
   失業率は低く、有効求人倍率高し。
   従来なら言うこと無しだが、今は逆。問題だらけ。
   労働市場の構造が変わったから。   →本文
2015.6.28   ドラッグ問題を眺めて
   グローバル企業に於けるドラッグ対応は重要。
   ブランドとか倫理の話でなく、組織防衛の点で。
   大被害など有りえぬと断言できるならよいが。   →本文
2015.6.27   座右の銘
   座右の銘は漢語が似合うようだ。
   短い言葉で、元ネタの漢詩の状況が浮かぶからだろう。
   もっとも、それが可能なのは一部の人だけ。   →本文
2015.6.26   病院の終末期「医療」の見方
   問題ありなのはわかるが表層的な文化論化は拙い。
   不快極まる治療を受けたい人などいない訳で。
   実態を知れば工夫の仕方など色々あろうに。   →本文
2015.6.25   四住期の現代性
   引退し清楚な生活に入る林棲期とは、ある意味、人生のハイライト。
   しかし、それを愉しめる豊かな社会の実現は難しそう。   →本文
2015.6.24   365種のビールを眺めて
   最近はクラフトビールも盛ん。質の向上も顕著。
   様々なビールを現地に行かずに味わえるのは有り難い。
   選ぶのは一苦労だが、そこが楽しみでもある。   →本文
2015.6.23   最高3神信仰の文化的違い
   印度教と日本教の最高3神は似た概念のように思える。
   ただ、大陸型と島嶼型の違いはあるが。   →本文
2015.6.22   印度教の見方
   ヒンドゥー教の神の名前は部分的に知ってはいる。
   しかし、素人には、仏教の天部はよくわからない。
   印度教として見直せば結構単純。   →本文
2015.6.21   わからん、研究成果のブリーフィング
   ド素人からすると俗説的なナンダカネのご説明に聞こえた。
   なにせ、記憶・感情の本質解明としか思えない話なのだから。
   しかし、実験技術としては偉大な一歩。   →本文
2015.6.20   駿河湾眺望の楽しみ
   狩野川河口から西側の御用邸迄の海岸歩きも悪くない。
   ただ、地形的な眺めを愉しむに過ぎないが。   →本文
2015.6.19   神道視点での道教考(呪術信仰が基盤)
   為政者の道教と、民衆の道教の紐帯は呪術。
   民俗化しても、ここは原点臭いのでずっと残るだろう。
   中央集権嫌いの日本では道教呪術は表舞台には出れず。   →本文
2015.6.18   神道視点での道教考(官僚的仕組み)
   道教の神々も、中央集権の官僚制度下で活動。
   為政者の仕組みは詳細。民衆は実利信仰なので粗くなる。
   "官"に捧げモノをして、上手く取り図らってもらう訳だ。   →本文
2015.6.17   和傘部品用材の木
   山萵苣、轆轤、石鹸、おまけに"エグい"と様々な名前が並ぶ。
   英語では、可憐にも雪鈴。それと、安息香、スチレン。
   雑木林に必ずあった、よく知られた木だったのだろう。   →本文
2015.6.16   「茘枝」詩
   茘枝とくれば楊貴妃。そうなれば長恨歌の白楽天。
   しかし、秀逸は蘇東坡の食茘枝。
   三百顆食べて大満足とホザクのである。   →本文
2015.6.15   神道視点での道教考(星信仰)
   道教の核は星々信仰だろう。北極星でなく、北斗七星崇拝。
   しかし、体系化のコンセプトは乾燥草原の民の信仰の援用。
   いかにも官僚統治機構らしさ紛々。   →本文
2015.6.14   「櫻桃」詩
   日本は花櫻で、大陸は実桜。果実は重視されていたようだ。
   詩人にも、それぞれの想いが込められていそう。   →本文
2015.6.13   仏教徒の遊仙詩感
   空海は遊仙詩を虚と見たようだ。顕密を止揚した誇りもありそう。
   道教帝国の臣下白楽天はそう表明する訳にはいかぬ。
   しかし、幻の仙を追い求めず、修行生活の人だった。   →本文
2015.6.12   植物名「漢字表記」について
   難読でも、漢字固有名詞は有り難い。
   イメージが膨らむからである。   →本文
2015.6.11   神道視点での道教考(女神)
   道教は女神を外したがるようだ。太陽神軽視も否めない。
   人気女神は限られている上に、道教体系のヒエラルキー外。
   神道の姿勢とはかなり違う。   →本文
2015.6.10   MERSへの泥縄式対応を眺めて
   膨大な数の隔離者発生には驚かされた。これで収まればよいが。
   軽視していた結果でもあろう。
   しかもリスクコミュニケーション能力を欠く。   →本文
2015.6.9   神道視点での道教考(宇宙創成)
   道教の世界初発記とは各種神話の融合編纂物。
   古事記は道教移入と言うより、古層反映作品では。   →本文
2015.6.8   球形巻貝類
   玉,富,栗,袋,卵といった順当な名前だけではない。
   猫と鼠。津免多貝となるとよくわからん。
   しかし、一度聞けば忘れられないのが不思議。   →本文
2015.6.7   神道視点での道教考(最高神グループ)
   道教も神道も3神体制だが、たまたまそうなっただけでは。
   陰陽の創造思想と教祖が道教の最高神。
   高木と女神のペアに理念的柱が古事記の記載。   →本文
2015.6.6   「聞蛙」詩
   大陸は、「聞蛙」と言えば愚帝話になる風土。
   蛙聲に感興を覚えるのは日本ならでこそかも。
   ただ、高青邱作品にはビックリ。   →本文
2015.6.5   神道視点での道教考(八百の神々)
   道教は土着であり、神道と似た点があるとされるが、どうなのか。
   最高神と官僚制の存在、女神排除スタイルは違いすぎるゾ。
   しかも基底に「星」信仰。・・・全く異質では。   →本文
2015.6.4   神道視点での道教考(仏教習合)
   道教は仏教を飲み込んだかのように見える。
   最高神の下に仏陀を位置付けることができるからだ。
   その結果、両者が描く宇宙の階層構造は同一化。   →本文
2015.6.3   粒螺類と巻
   ツブとバイは太平洋 v.s. 日本海。
   基本は、小と大の、南 v.s. 北。
   ともあれ、著しく多様化している貝だ。   →本文
2015.6.2   磯玉類
   磯での食用巻貝採りは古代から盛ん。
   従って、対象貝類全般を指す言葉がある筈。
   昔はシタダミ。現代は磯玉。   →本文
2015.6.1   白鼻芯の体質
   本来的には美食家のようだが、止む無く健康食に。
   爪を使うこともなく、頭が切れる動物なのだろう。   →本文

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