2015.7.31 英語詩の観賞障壁はとてつもなく高い 現代詩評論に目を通してみたが、知識不足だとついていけない。 Haikuでさえ、かなりの難度。 評論集からの英詩入門は無理なことがわかった。 →本文 2015.7.30 半知性主義批判本を読んだ 米国は反権威主義宗教民主主義の国。政教分離観も独特。 結果、政治は妥協より、極端でも道徳を追求する。 コレ、米国流反知性主義。日本は半知性主義国。 →本文 2015.7.29 鏡カヌーの表象実がなる蔓草 ガガイモといえば古事記を想いだすが、珍しい草ではない。 その実の特徴が少彦名命にピッタリだったのだろう。 もちろん、それは渡来ではなく、日本土着の植物。 →本文 2015.7.28 初期仏像グループの見方 初期の仏像は釈迦三尊主軸のようだが、多尊像だったのでは。 説法の様子を抽象化することが第一歩の筈。 その後の釈迦如来像は、ドラマチックな変化を見せる。 →本文 2015.7.27 神饌牛蒡観 ゴボウ食には畑作開始時代への想いが詰まっていそう。 ジャポニカ米への拘りとルーツは同じかも。 おそらく、そこら辺りが倭人の原点。 →本文 2015.7.26 マリファナとは政治問題 米国のティーンエージャーの2割はマリファナ体験中とか。 すでに、解禁への道驀進中。政治的にはそれがベストだろう。 日本も真似すべきかは、情報不足で、判断しがたし。 →本文 2015.7.25 毎度お馴染み「中長期の経済財政に関する試算」改訂版 バラ撒き政権に何を見せたところで、意味があるとは思えぬ。 野党はさらなる大バラ撒き主義者であり、議論するだけ時間の無駄。 破綻対応策の議論の方が余程重要だし、実践的。 →本文 2015.7.24 仏像分岐分類の補足(続) 「天」を、「天竺仏」でなく、先ずは、「天衆」と考えるべし。 その上で、六道全体を眺め、分類を工夫するのが筋。 →本文 2015.7.23 大陸の桃信仰 「桃花源記」は、桃源郷への憧れの詩ではなかろう。 道を探そうともしない世の中を嘆いているのだと思う。 桃信仰の肝はやはり桃夭か。 →本文 2015.7.22 桃文字類 「○桃」だらけ。わからぬもの多し。 長寿イメージ付加の工作臭芬々。日本では嫌われかねまい。 女神感のある桜や梅の方が好まれる訳だ。 →本文 2015.7.21 十二支の「馬」トーテム発祥元を探る 騎馬戦の先駆者スキタイが初源。根底に太陽神信仰。 星信仰国だが、帝国の原点はあくまでも武器。 馬無しの太陽信仰部族には違和感が生まれたかも。 →本文 2015.7.20 仏像分岐分類の補足 日本人は高僧/弟子像には結構冷淡なようだ。 涅槃や出山の釈迦牟尼像が少ない理由も同根か。 →本文 2015.7.19 米国覇権終焉期に日本社会党的姿勢の復活 世界の動きを踏まえた議論をさせたくないのだろうか。 再び、過去に戻ってしまったかのよう。 小生は参議院選で野党没落と予測する。 →本文 2015.7.18 2015MDGの感想 ついにMillennium Development Goals最終年。 皆さんどう評価するのだろう。 数字は悪くはなかったが、問題は、どう見るか。 →本文 2015.7.17 蘇東坡の雨詩 宋の時代は、雨男の詩人が人気だったのかも。 夜雨相床(牀)をちょっと眺めてみた。 →本文 2015.7.16 沖縄独立も一案 沖縄県と政府の交渉に意味がなくなりつつある。 沖縄属国化許せず感情に火がつけばどうにもならない。 米国は力を喪失しており、県民が選ぶなら独立もアリ。 →本文 2015.7.15 印度瞑想樹 釈尊が悟りを開いた場所の木とは、インド定番の聖なる巨樹。 命あるモノに分け隔てなく恵みを与える木ということ。 日本の菩提樹からそんな発想は浮かぶまい。 →本文 2015.7.14 東京の文化的魅力度向上を急がないと パリ祭が都市の魅力を高めているのは間違いない。 東京も文化発信都市としてパリ以上にならねば。 多種多様な文化が育っており潜在力はあるのだから。 →本文 2015.7.13 十二支生肖仮説[改訂版] 「十二支に十二禽を割り当る事、大出来。」・・・その通り。 帝王と官僚が統治する帝国らしい施策。 トーテムを実践論で並べたにすぎないが。 →本文 2015.7.12 十二支論の考察 「子〜亥」と「鼠〜猪」の十二支二重表記は実にユニーク。 しかもアジア全域で通用する。 これぞ正しく中華帝国の大発明。 →本文 2015.7.11 十二支薀蓄本を読んで 典籍を洗いざらい検討したのは前尾繁三郎。 広く世界を眺めたのは南方熊楠。 ここが思考鍛錬の入口。 →本文 2015.7.10 「蜘蛛の糸」に感じる仏像論 冒頭の間違いが肝。そこに、竜之介の知性が光る。 経典宗教では有りえない釈迦牟尼像だから。 →本文 2015.7.9 仏像分岐分類の考え方 「如来・菩薩・明王・天」分類はさっぱり面白くない。 仏教感を失わせるための分類と言ってもよいかも。 系統図で眺めた、大分類でなければ。 →本文 2015.7.8 白楽天の心頭滅却考 人人避暑走如狂、獨有禪師不出房。・・・白楽天の句である。 「たのしみは 草の庵の 莚敷き」という気分ではなさそう。 儒と道に、禅や浄土/念仏までと幅広い詩人だ。 →本文 2015.7.7 名称が腑に落ちぬ葉使い低木 七夕用は竹ではなく笹。葉を使うから。 クマザサも隈葉でないものが色々ある。 名称が錯綜しているのは間違いない。 →本文 2015.7.6 陸上化時代を彷彿させる植物の分類 松葉蘭や岩檜葉は盆栽的な人気園芸植物だった。200年前だが。 陸上植物の元祖形態だと直感的にわかったからかも。 藻、苔、羊歯の分岐がわかりつつあるようだ。 →本文 2015.7.5 蝉詩 中華帝国では蝉は霊的な存在だったのかも。 鳴き声を本心から愛でたとは限らない。 →本文 2015.7.4 反科学勢力に対抗できるだろうか Natureに実験失敗の賞賛話がのっている。 反科学運動から、実験を護って無事完了とのこと。 ただ、ラボで見られた結果はえられず。 →本文 2015.7.3 半球形巻貝類 海士小舟との文芸的名称の貝がある。 形は半球なので、球形系とか、磯玉とは呼べまい。 そんな形だから陸上棲化できたのだろうし。 →本文 2015.7.2 ギリシアの出来レース 小生は、チキンレースではなく、出来レースと見る。 どの道を選ぼうと、構造的に借金は返せないのだから。 革命待望混乱万歳派 v.s. マドルスルー官僚派。 →本文 2015.7.1 聞初蝉 蝉の声を聴くと生ビールを飲んで帰るかとなる。 その手の風情が今後も続くとよいのだが。 →本文 |