→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.2.13] ■■■ [408]佐邪岐皇御陵とは帝王陵墓の意味か そうなれば、なんといっても飛び抜けて巨大な大仙陵古墳@百舌鳥とこれに次ぐ誉田御廟山古墳@古市、上石津ミサンザイ古墳@百舌鳥を取り上げることになる。 ●古市 誉田御廟山425m▲▲▲=恵賀之裳伏岡◇15🈭 ☚ 河内大塚山335m▲▲▲🈝 仲津山286m▲▲🈭 岡見三才238m▲△=河内惠賀之長江陵◇14🈝/🈭 鉢塚60m 市野山227m▲△=河内之惠賀長枝陵◇19🈭 古市墓山224m▲△🈭 津堂城山202m▲△🈜 軽里大塚/前の山200m▲=白鳥陵◇🈭 野中宮山154m△🈭 古室山150m△🈭 野中ボケ山122m 高屋築山122m=河内古市高屋村陵◇27 白髪山115m 小白髪山46m 大鳥塚110m 二ツ塚110m はざみ山103m 峯ヶ塚96m 島泉丸山古墳75m=河内多治比高鸇◇21 ●百舌鳥 大仙陵525m▲▲▲=毛受耳原陵◇16🈭 ☚ 上石津ミサンザイ/百舌鳥陵山365m▲▲▲=毛受陵◇17🈭 ☚ 土師ニサンザイ288m▲▲173m△🈭 御廟山203m▲🈭 百舌鳥大塚山168m△173m△🈭 乳岡155m🈜 田出井山148m=毛受野陵◇18🈭 いたすけ146m🈭 長塚106m 永山100m 丸保山87m 収塚61m 文珠塚58m 〇羽曳野 御旅山44m 〇柏原国分市場 松岳山130m🈜 〇住吉 帝塚山/伝大伴金村墓88m ●岸和田 摩湯山200m🈜 ●泉南岬 西陵200m▲173m△🈭 淡輪ニサンザイ173m△🈭 この3御陵は以下の記載に対応しているのは自明。・・・ ⑱多治比_柴垣宮水歯別命(反正天皇)毛受野陵 ⑰伊波禮_若櫻宮伊邪本和氣命(履中天皇)毛受(百舌鳥)陵 ⑯難波之高津宮大雀命(仁徳天皇)毛受耳原陵 それでは、どれがどれか、と云うことになるが、考古学や文献学での検討結果の解説を読む必要は無い。「古事記」を自分の頭で読んで来れば、当たり前の結論が見えてくるからだ。・・・ この3天皇は下巻の頭の段だが、その前の中巻末段では、皇嗣詔にからむ天皇と3御子の話がある。軽い内容なので、収載しなくてももよさそうに思うが、末子相続で即位した天皇にとっては皇位継承を儒教の長孝ルールへの変更圧力を浴びていたことをそれとなく示そうということで、なくてはならぬシーンなのだろう。 ここで重要なのは、天皇 品陀和氣命が、長子と末子の可愛さ比較質問をしてくるシーンで、天皇の真意を知る皇子 大雀命は、末子継承が自然と発言し、御意との言葉を頂戴することになる。 爾 天皇詔: 「 儒教的な長兄相続にすべきか、倭の女系制の伝統から末子相続にすべきかという、結節点でもあり、長兄は力づくでの皇位を狙うが、大雀命の助力を得た末子の策であえなき最期を遂げる。禅譲的に三皇子に役割を与えて安定した政治を図ったが、結局のところ、それは夢物語でしかないと指摘しているようなもの。 ・・・「今昔物語集」で言えば、鰐が淀川を俎上し戦乱勃発するものの、琵琶湖の鯉の勝利に終わるという話に当たろう。 御陵の話と全くの無関係と言えばその通りだが、ここでは、天皇の生のお言葉が書かれている点が目を引くのである。 皇子 大雀とはサザキと読むことがわかる。 そして、下巻題は、"古事記下巻 起大雀・・・"となる訳である。 さて、そこでだが、御陵は、"ミ-ササギ"と読むことは知られているが、その語源は、通説ではこのサザキである。 他に思いつかないから、「そうなんだネ。」と言うしかないが、小生は、逆だと思う。 考えられぬような大御陵を造成した天皇だから、"大-ササギ"と呼ばれるようになったと考えるのである。 《陵[=阝+夌(坴+夂)]》=山/丘(阜)⇒高大な坟墓:"帝王陵墓" [音]リョウ [訓]みささぎ しの(夌)ぐ [訳訓]おか ともあれ、これだけ巨大なのだから、大-ササギ天皇は寿陵間違いなしだろう。とんでもない大工事であり、その労役たるや半端ない。官僚統治機構による強権的な統制なくしてはどてもできることではなく、崩御前からこのサザキ名が通用していてもおかしくない。 そんな状況を想定すると、サザキ御陵は本邦最大の大仙陵古墳しかありまい。次代崩御も皇嗣祭祀を同様に執り行っただろうから、近隣の上石津ミサンザイということになる。 「古事記」は全巻を通じて注意深く編纂がなされており、この"ササギ"についても別な箇所(ヒバリ、ハヤブサ、サザキが歌に用いられている。)で触れている。もともとの意味は、猛禽類に狙われる本邦最小クラスの鳥名("みそさざい")であることがわかる。 倭の葬儀は鳥装祭祀行儀であり、御陵造りはサザキだったということになろう。 従って、大御陵造りにご執心の天皇を、大サザキ命と呼ぶのは自然な流れ。 しかし、この鳥は<みそさざい>で、漢字表記は"鷦鷯"となる。"雀"はあくまでも<すずめ>であり、太安万侶はイメージを改める操作を行ったことになる。前者はおそらく巣作り運搬に熱心な鳥なのだろうが、超大型御陵造営の風景を考えると、超大群で行動するのだから<すずめ>がピッタリということか。 -------------------- 遺志に反し円墳御陵にされたか 山邊之道上陵とは 片丘とは建内宿祢勢力の地か ■■■ 御陵 ■■■ 科長は新時代の 集合墳墓地 河内の坂門原は お話と見たか 兄弟とその皇位継承者間に 問題ありか 檜垧宮天皇御陵は 継承儀式無しか 形状変更の 合陵は非掲載か 御陵名非掲載 の意味 石寸から王陵の谷への 改葬とは何か ■■■ 墓制 ■■■ 📖皇位継承争いの刀 📖頭椎之大刀 📖紐小刀 📖草那藝劒 📖生大刀 📖都牟刈之大刀 📖伊都之尾羽張 📖縄文から弥生へ 📖多遲摩毛理 📖矛を考える 📖副葬品"矛" 📖前方後円墳の消滅 📖月神 📖地蟲 v.s. 鳥 📖他界について 📖葦舟葬 📖"半島の影響"考 📖異界の力 📖火葬 📖ドルメン 📖渚に建てられた産小屋 📖石信仰 📖"勾玉" 📖密集集団墓時代 📖"土偶" 📖磨製"旧"石器時代 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |