→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.2.15] ■■■ [410]三島之藍陵が摂津最大規模ではない理由 その御陵は、三嶋之藍御陵とされている。場所は三島野古墳群を指していると考えると、唯一の摂津国内造成の御陵ということになる。先代・後代の御陵地選定基準とはえらくかけ離れている。・・・ ㉗勾_金箸宮広国押建金目命(安閑天皇)河内古市高屋村陵 ㉖伊波禮_玉穂宮哀本杼命(継体天皇)三島之藍陵 ㉕長谷之列木宮小長谷若雀命(武烈天皇)片岡之石坏陵 河内・和泉・大和という大阪湾岸から奈良盆地へ向かう地域一帯の勢力争いに明け暮れていた朝廷政治とは一線を画す、淀川流域勢力の地域を基盤にした勢力が基盤の天皇ということになろう。 「古事記」を読むと、大和川だけしか目にとまらぬが、淀川も古代から力を持った勢力が存在していた。中央での継承騒動でどうにもならなくなり、とりあえず外部から招聘という線で朝廷大分裂を回避したのだろう。 【淀川系古墳】 《山城》 ●木津川山城 椿井大塚山175m△🈠 〇城陽平川 久津川車塚156m△🈭 ●乙訓@向日 寺戸芝山 恵解山120m🈭 寺戸大塚95m🈜 元稲荷94m[前方後方] 五塚原91m🈠 天皇の杜83m ○京都 山科 御廟野70m[八角]38m◇🈗 《摂津》 〇茨木 紫金山110m🈜 ●三島野@淀川北岸(茨木〜高槻)丘陵部 太田茶臼山227m▲△🈭 ☚ ↕ 1.5Km 今城塚190m+(二重周濠)△🈝 ☚ 岡本山120m🈠 弁天山100m🈠 ただ、御陵比定地としては2ッあがってしまう。・・・ 今城塚古墳@摂津国嶋上郡/高槻郡家新 大田茶臼山古墳@嶋下郡/茨木大田(宮内庁治定) 大きさからすれば、茶臼山を選んでおくのが無難である。今城塚は盗掘や手が入って可能性もあるとはいえ、摂津No.1とは言い難いから。 しかし、非中央の連合勢力を束ねる力を象徴するとしたら、今城塚しかなかろう。 阿蘇ピンク石への拘り さらに、"藍"御陵と名付けられている由縁だが、おそらく、淀川系の摂津国と山城国が当時の主生産地だったからと思われる。淀川に入る場合の顔として睨みを利かすのは、あくまでも茶臼山である。河内の超大型御陵が瀬戸海を睥睨するのと同じことで。 ただ、地方勢力連合体制は要石の地を欠いている。下手をすれば宮の持ち回りになりかねず、すぐに瓦解しかねない脆さがある。そんなこともあって、宮は奈良盆地内に設定せざるを得なかったようだ。 宮地がその姿勢を語っているようなもの。・・・初代が開いた宮にあやかった名称以外のなにものでもなかろう。ご破算願いまして、ということで原点回帰をお勧めしたのだと思われる。それが上手くいくとは思えないものの、とりあえずそれで行くかとう合意が形成されたのだろう。 -------------------- 個人的贔屓で宝来山古墳を御陵扱いに 佐邪岐皇御陵とは帝王陵墓の意味か 遺志に反し円墳御陵にされたか 山邊之道上陵とは 片丘とは建内宿祢勢力の地か ■■■ 御陵 ■■■ 科長は新時代の 集合墳墓地 河内の坂門原は お話と見たか 兄弟とその皇位継承者間に 問題ありか 檜垧宮天皇御陵は 継承儀式無しか 形状変更の 合陵は非掲載か 御陵名非掲載 の意味 石寸から王陵の谷への 改葬とは何か ■■■ 墓制 ■■■ 📖皇位継承争いの刀 📖頭椎之大刀 📖紐小刀 📖草那藝劒 📖生大刀 📖都牟刈之大刀 📖伊都之尾羽張 📖縄文から弥生へ 📖多遲摩毛理 📖矛を考える 📖副葬品"矛" 📖前方後円墳の消滅 📖月神 📖地蟲 v.s. 鳥 📖他界について 📖葦舟葬 📖"半島の影響"考 📖異界の力 📖火葬 📖ドルメン 📖渚に建てられた産小屋 📖石信仰 📖"勾玉" 📖密集集団墓時代 📖"土偶" 📖磨製"旧"石器時代 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |