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■■■ 「古事記」解釈 [2022.2.20] ■■■
[415]伊邪河坂上陵の被葬天皇は実在する
事績記載がほとんど無いということで<欠史八代>とされているが、素人からすれば、その最後の天皇の御陵は現存しているとしか言いようが無い。その点だけ見れば、どう考えても、後世の天皇より、存在確実性は圧倒的に高い。
  ⑨春日伊邪河若倭根子日子大毘毘命(開化天皇)伊邪河坂上

その御陵の場所だが、現在の奈良の中心部に近い。それこそビルが立っていておかしくない場所に、ポツッと孤立して存在している。📖春日之伊邪河宮
↓JRなら駅
┼┼┼┼┼┼┼┼┼卍 ←東大寺
─│──○ ←近鉄 なら駅
────────────────
┼┼┼┼卍 ←念仏寺山/伊邪河之坂上陵◇9 興福寺
┼┼┼┼┼┌■─■ ←猿沢池 荒池
┼┼┼┌┘←率川神社=春日之伊邪河宮◆9
┼┼┼┼
──────┘ ←率川

─┴───────○── ←JRきょうばて駅

但し、上記で"率川"と表記され神社が、当該天皇と関係があるとまでは言えないが、川の名前からすれば、伊邪河と同一と見てよかろう。
  率川[いさがわ]神社@奈良本子守
       …大三輪君白堤建立@593年(御祭神:媛蹈韛五十鈴姫命)>

この川は歌にも詠まれているから、朝廷では、常識レベルの地名と見てよいだろう。・・・
詠河 [「万葉集」巻七#1112]
   はねかづら 今する妹を うら若み
    いざ率川(率去河)の 音のさやけさ
この率川だが、景色という点では大きく変わってしまったが、流れそのものは昔からほとんど同じである。
 源流@御蓋山紀伊神社
  ⇒飛火野
   ⇒鷺池
    ⇒猿沢の池[人工貯水]/菩提川
     ⇒[現在:暗渠]ならまち
      ⇒[現在:浄水処理施設]東堀
       ⇒合流(佐保川)…合流する西堀は秋篠川
なんといっても、この御陵は完全に孤立しており、それこそが肝要な点。 ここは、平城京内であり、本来なら都造成工事を進めるにあたって取り壊して棺を移動し改葬するのが筋では。しかし、この地に存在することが重要ということで、ママ残す意思決定がなされたのは自明。それは御陵以外に考えられまい。

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倉椅岡上陵比定地混乱に納得


畝傍山御陵について


"村"の御陵とは何を意味するのだろう


下巻末部記載御陵の比定地確実性


三島之藍陵が摂津最大規模ではない理由


個人的贔屓で宝来山古墳を御陵扱いに


佐邪岐皇御陵とは帝王陵墓の意味か


遺志に反し円墳御陵にされたか


山邊之道上陵とは


片丘とは建内宿祢勢力の地か

 ■■■ 御陵 ■■■ 
科長は新時代の
集合墳墓地

河内の坂門原は
お話と見たか

兄弟とその皇位継承者間に
問題ありか

檜垧宮天皇御陵は
継承儀式無しか

形状変更の
合陵は非掲載か

御陵名非掲載
の意味

石寸から王陵の谷への
改葬とは何か

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